エッセイ目次

No30
1991年10月4日発行

   
   

 

現実から学ぶ

   
     あわ踊りで有名な徳島から、室戸の方へ海沿いに南下する。急行で一時間半、日和佐という港町がある。
 入江の複雑さと美しさで、水俣の海に似ていると思った。
 駅からすぐのところに島を背景にした海があることもそっくり。
 その街の大浜海岸には、海ガメが産卵することで有名である。立派な海ガメ博物館もあって、毎年六月から「海ガメまつり」をやっている。
 その街に住む、ミセス陽子と成田国際空港行きのバスの中で隣合わせに座ったことから友達になった。
 今年のお盆休みは「海ガメを描こう」というイベントを企画してもらった。
 キミ子方式のテーマに「カメ」がある。「毛糸の帽子」を描く時と同しように、抽象的に描く、大事な基礎である。
   
   


 キミ子方式は、いつも本物を見て描く。ところが、6月に視察にいくと、本物のカメは博物館のプールにいるが底に沈んでいて、カメなのか、コケなのか見分けがつかない。
 「カメの甲羅ってね、数が決まってるのよ。真ん中に五コで・・・」と私が得意になって説明し、ミセス陽子が「スゴーイ」と尊敬の目になってあいずちをうち二人でプールを覗いていたら
「あれれ」
 汚れたコンクリートのかたまりみたいなのが、あっちこっちにいる。そして、ビクとも動かない。 〈これがカメか。こんなバカデカくてグロテスクなのが? 私の知っているカメはせいぜい直径二十センチ〉と思ったのに、あまりのショックで声が出せない。
 なにしろ甲羅の数をかぞえられないほど、コケだの貝だのと汚れたのがのっかっている。
 「甲羅の数が見えなくちゃカメにならないよ」とつぷやくと
 「キミ子方式の主旨に反するけれど、剥製を描く? 剥製はきれいに磨いてあるから甲羅の数も見えると思うよ」と、よく気がつくミセス陽子は次なる手段を考える。


   
     八月十五日。
 町の公民館の体育館のように広い講堂に、五十人くらいの幼児から年輩の人まで集まった。
 モデルのカメは五コ集まった。どれもピカピカに磨ききった剥製である。
 〈剥製のまずいところは、甲羅だけ描いて「手足を引っ込めたカメ」として完成させづらい。どの剥製も、手足、尻尾、頭がドカッとつき出している〉
 でも、何よりも甲羅がきれいに見える。甲羅の数もきちんとかぞえられる。
 私は、カメの描き方を説明した。
 「カメの甲羅はね、数が決まっているの。大きなカメも小さなカメも甲羅の数は同じ。先ず真ん中の甲羅から描きます。それが描けたら下に二コ、上に二コ、そして左右に・・・」
 〈いつものカメの形とちがうな〉と思ったけど、甲羅の数を強調するのをメインにした。
 午前中は甲羅を描き、描き上がった人からカレーライスを食ベ、午後は頭、手、足、尻尾を描いた。
 「疲れた−」が多くの人の感想であった。
 何しろ、実物大かそれ以上。一メートル以上、画用紙九枚なんてザラだ。
 日和佐のカメは、ハート形というか、お尻の方が狭くなっているのだった。
 日和佐の人々は、おそらく私の説明など無視し、町ぐるみで愛する力メに、ひたすら神経を集中させたのだろう。
 私の予想をこえた、本物そっくりな「カメ」の絵が続々と描き上がった。

 そのカメの絵を持って、田崎海洋生物研究所の所長さんに見てもらおうということになった。
 所長の村松さんは、ミセス陽子の絵を見て
「あっアオウミガメですね」と言った。
 このカメは肉食で首が太く、肩もガッチリして、甲羅がニつ肩のところに多いんです」と教えてくれる。
 「エ−ッ」とあせる私に、ミセス陽子は「そうじゃないかと思ったのよ。あっ私の絵、ちゃんと甲羅が多く描けてる」
 「アカウミガメは草会で、首が細く、タイマイ(カメの名称)は甲羅が重なっていて・・・」次々と説明されるカメの話に、私は目の前が真っ暗になる。
 「カメ」って何種類もあったんだ。
 「村松さんの話を聞いてから、絵を描けぱよかったね」となぐさめてくれたけど、なんたることか。
 キミ子方式の絵の描き方は、あくまでも仮説なのである。
 「こうだと思うんですけど、本当は?」と、実物を仮説をたてて見なくちゃならないのに「剥製だ」という軽蔑心があって、まるで実物を、私は見ていなかった。

 生物研究所の村松さんは、マベ貝の養殖に成功された方である
  マベ貝に真珠を植え込むと、アコヤ貝よりも、何倍も成長が早く、良質の真珠がとれる。真珠研究者にとって、マベ貝養殖が悲願だった。
 なぜ、村松さんが成功したのかを聞くことができた。
 研究所で毎日マベ貝の世話にあけくれていたある日、単純な疑問で仲間に聞いた。
 「海の中にいるマベ貝って、どんなところに、どんな状態で住んでいるの?」と。すると、上司も仲間も誰も見たことがないと言う。そこで、実際に村松さんが海の底に潜って、マベ貝の生き様を見てみると・・・。

 

 

 

 

 

   
     


 この話を間きながら、キミ子方式と同じだなと思った。
 頭だけで組み立てられた理想論の中であれこれ苦悩している多くの教師や研究者がいる。
 でも私は「現実の教室の子ども達はどうなっているか」と、現実を見たところから、キミ子方式が生まれたのだ。「現実は・・・?」と足を遅んで現実を直視する人は、ほんとうに少ないのだ。
 現実の創製のカメを見なかった自分を棚にあげて、所長村松さんの話に聞き惚れた。いい日だった。
 来年こそ、ちゃんと、もっと親切に教えられることだろう。ミセス陽子、来年もぜひ会を企画して下さい。

 

   
     

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