エッセイ目次

No54
1993年10月4日発行

   
   


見る目のちがい

   
   

 安芸でおこなわれた全国大会のこと。せっかく海のあるところだからめずらしい魚にも挑戦してみたいね。高知ってどんな魚があるのだろう? と、大会二日目の魚を描く講座を楽しみにしていた。
 前日「どんな魚が集まりそう」と主催者のNさんに聞いたら 「さあ、現地の人におまかせなんですよ」という返事。
 「それは大変!」と一瞬思った。現地の人々の顔が、すぐ浮かぶ。
 現地には、毎年、八月の夏休み、一日講座をやって、八年くらいになる。
 夏休みの母と子の楽しい講座ということで〈もやし〉〈イカ〉〈毛糸の帽子〉〈空と海〉〈自転車〉〈木〉〈スイカ・似顔絵〉など浮がぶ。はじめての人が毎回多くても楽しく描けるという視点で、テーマを決めている。しかし、今回のように魚だけのテーマにしぼって、はじめての人も、中級の人も楽しく描ける魚は何か、ということを教えた覚えがない。
 「どんな魚が集まりそう」と私が質問した意図は、めずらしい現地の魚をテーマにしてもいいが、スタッフの人が描いたりして研究しているのだろうか?と心配したからだ。

 沖縄大会の時は、スタッフの人が半年前に集まって、沖縄の魚の中で、どれがテーマにふさわしいかを研究したものだ。
 私も一緒に描いて〈グルクン〉という、中型のプルーやピンクや黄色の入った、沖縄の大衆魚にした。
 しかし、今回は現地のスタッフから、魚の種類についてや描き方の問い合わせもない。
 「初めての人用に〈サバ〉や〈サンマ〉も用意しているだろうか?」と不安で、もう一度Nさんに間く。
 「おまかせしてありますから。もう予約してあるそうです。なんだったら先生、現地の人と一緒に、お店に行きますか?」と言われて
 「もちろん私が行きます。そして私がモデルを選んできます」とすぐ魚屋さんに行く予定を入れた。
 キミ子方式はテーマを何にするかが最重要なのだ。
 もし、おまかせするなら、中級の基本テーマをおさえ、ゆとりの部分で、めずらしい魚も選ぷということを伝えてから、おまかせしなくてはならない。

   
   
   
   


 私と松浦幸子さんと現地のスタッフと、車に乗ってお店に行った。
 魚屋さんは、私がいつも泊まるタマイホテルと海の間をちょっと右に入ったところで、古い商店街の中にあった。
 毎年、散歩していても〈海に行く〉ということしか頭になくて、魚屋探しをしていなかったことに気づく。
 東京都調布市で「クッキングハウス」という昼食レストランを開いている松浦さんは、魚を見て興響する。
 「わぁ−大きな魚屋。鮮度がいいわね!」と調理師感覚がドッとでてきて〈絵のモデル〉のことを忘れそうだ。
 現地の人が魚屋さんに、モデルとして注文しておいてくれたのは、現地での大衆魚ではなかった。
 「絵を描くのにいいと思って」と考えて選んでくれたのは〈ガシラ〉という15センチくらいの、あかっぽい、頭に大きなトゲトゲのある魚だった。絵を描くというより「食べてうまくて、色がついている」という視点から選んでいる。
 現地の人、毎日おいしい魚を会べている人は、魚を見る時、はじめにおいしい魚をまず考え、次に絵に描きやすい魚を、と考える。これは当然で、魚を会べて生きている時間の方が、絵を描く時間より絶対に長いからだ。
 私がキミ子方式を考えた頃、「イカを描く時のモデルは、冷凍イカでいいから大きなイカが一番」と言っていた。

 

   
   

 山口県に教えに行った時、岩国市に住む方が 「私は冷凍のイカは食べる気がしないし、気持ち悪くて見ていられないんです。だから、このイカを絵に描けません。私達は鮮度のいい、おいしい生イカを見なれてるものですから」と言われた時、すごいショックを受けた。
 主婦だから、いつも新鮮ないいものを、家族のためにと第一に考えるからなのかなぁ、と思い、私も主婦だけど、鮮度よりも量の多い方を買う暮らしだなあ、海辺の町と、東京とのちがいかな−。でも、この考えも頭の中に入れておこう。なんたって主婦の趣味のためにキミ子方式を考えたのではなく、小中学生がとじこめられている学校の教室で行われる、美術や図工の授業のために考えたことだから。
 鮮度のいいイカをモデルにしましょうなんて言ったら、手に入れるのは経済的にも時間的にも難しい。学校の先生をしている時は、四日間くらい同じモデルで授業をし、三日すぎくらいから図工室がイカの鮮度が落ちて、クサくなる。「なんだ、このクサさは」と、子ども達に嫌われながら「生き物はクサる」ということを知るのも勉強だと言ったり「鮮度が落ちた方が、色が赤っぽくなって、色を作りやすいんだから」と説得して、授業をしてきた。
 確か、10年程まえに四国の中学校の先生からのレポートで、その中学校の生徒も、冷凍のイカのモデルを見たとたん「こんな、マズそうなもの描けない、もっと鮮度のいいものを描こう」と抵抗されたとあった。イカのとれる街では、冷凍イカをモデルにするには抵抗があるらしい。
 さすがの私も、二人からの苦情に"忘れないでおこう"と思った。
 だから、海辺の街の人が魚を見る目は、私のように、山育ち、都会暮らしとはちがうのだ。だから、キミ子方式の絵のモデルという目で、確かめなければならない。
 〈ガシラ〉という魚は、食べると美味しいらしい。頭でっかちの姿からして、想像がつく。
 「これ、絵のモデルとしては、小さくて、複雑すぎて難しいからやめよう」と私は言った。
 「えっ−!」と現地の人の困った顔。
 「なかなか手に入らないのを、三日かがりで、大きそうなものをとお願いして集めてもらったんです」と言う。三十匹注文しておいてくれた。安くしてくれたそうだが、六千円以上した。
 「−最もありふれた、安い魚をモデルにして、あんな粗末に見ていたものが、絵にすると、こんなに立派になり、もう一度、安い魚を見直してほしい−というのがキミ子方式の趣旨なのに」と魚屋さんの前でブチブチ言いたくなったが、魚を注文する前に言うべきことだ。
 「じゃあ、〈ガシラ〉は宿で料理してもらいましょう。タ会に使ってもらえぱいいんだ」と言って買うことにした。
 モデルの予算がオーバーしそうだけど、会計の顔もチラリと浮かんだけれど、あくまでも、絵を描く人の立場に立たなけばならない。
 〈サバ〉〈サンマ〉とモデルの定番を、驚く安さで買い、大きな〈カツオ〉も一本五百円なので、二本買い、それより大きなへんな魚をみつけた。  絵のモデルを選ぷコツは、魚は大きいこと。大きくて安いこととなると、味はニの次になるのは当然だ。
 〈シイラ〉という、サバより、カツオより大きい魚だった。一匹六百円ぐらいだったかな。これこそ、高知の魚のモデルにふさわしい。
 またまた発見。見たこともないほど、大きくて長い〈タチウオ〉が金色に光ってる。
 三百円、五百円、八百円と、値段に比例して鮮度や大きさがちがう。
 「エイッ」と、八百円のを買う。イカ三十ハイを含めて、二万円をちょっとオーバーしてモデル買いが終わった。

 

   
   

 魚を描く当日、集まったのは、初級を終えた人。〈サバ〉を描く人八人。〈シイラ〉を描く人四人。〈サンマ〉を描く人。〈タチウオ〉を描く人二人だった。〈カツオ〉は誰も描いてくれない。〈サバ〉をもっと買ってくるべきだった。
 問題の魚〈ガシラ〉を描いた人は、四国の後藤田さんと、大阪の坂井さんだった。
二人共、長いお付き合い。後藤田さんは通信講座生だし、坂井さんは大阪の教室で、毎月一回で三年以上受講してくれている。だから大丈夫だろうと安心して見ていた。
 後藤田さんは午前中に仕上げて、うれしそうだうたけれど、坂井さんは苦しそうだ。 「あ−こんな魚、描かなきゃよかった」とフーフーいいながら、植物画的に緻密にねぱる。小さい魚は植物を描くように描きたくなり、だから難しいのだ。
 〈シイラ〉を描いた、名古屋の中根さんは、赤い画用紙二枚使って、堂々とした絵が午後に仕上がった。
 午前中で終わるはずが、午後にも描き続ける人が続出して描いているところに、午前中、外で「空」を描いた人が次々にやって来て〈サバ〉を描きはじめる。
 目の前に「絵を描きたい、教えてください」という人がいると、断れないのが私のクセで、ずるずるとつきあい、午後は海を見ながら日光浴という私の楽しみがなくなった。
 夕食に出た〈ガシラ〉のお吸い物は、ほんとうにおいしかった。
 これはやっぱり描く魚ではなく、食べる魚だ。イカをお醤油で煮たものも夕食のテーブルにのっていた。
 この二種のおかずがなかったら、二日目の夕食は悲惨なものになったのではないか。
 それにしても、あの八百円の〈タチウオ〉や〈シイラ〉も食べてみたかった。 今度、高知には、テントをかついで自炊道具をもって行きたいものだ。

 

   
     

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