エッセイ目次

No18
1990年10月4日発行

   
   


二つの高校の授業


   
   

  「遊佐町」は、山形県庄内平野の最北端、国定公園「鳥海山」の懐にいだかれ、月光川が流れる。なによりも、みごとな松林でできた防風林の帯がくねくねと続く。その西が日本海。この防風林にかこまれて、ササニシキ、メロンなどがとれる。
 遊佐町の人々のシンボルは鳥海山で、私を呼んでくれた池田 繋さんをはじめ、会う人みな「鳥海山が見えなくて残念」と声をかけてくれる。
 日本海の夕焼けを見ながら、魚料理を会べた。何とカレイとあじの田楽と、魚が二匹もでてきた夕食は初めてだ。
 翌日の8月31日、遊佐町のとなり酒田市にある、私立天真学園高等学校購理科三年生に美術の授業をやった。
 非常勤講師の中沢さんの授業である。彼女は武蔵野美術大学油絵科卒で、キミ子方式の授業をやってくれている。調理科には東京をはじめ、東北各地から生徒が来ている。
 32名位、男女半々の生徒が集まった。女生徒は甘い香水の香りをただよわせて色っぽく、男生徒は頭をツンツンと天井に向けてとんがらせた髪型にしていて魅力的だった。
 男性の頭髪があまりにもめずらしかったので、教室にはいるなり「あら、すてきな髪型。ちょっとさわらせて」と、両手でツンツンをさわらせてもらったら、その若者がこぽれるような笑顔になり、私もニッコリ。

   
   

 屋上で「空」を描くことにした。
 空の授業は床でうつむいて描く。女生徒が「先生、胸がみえてるよ。男の子達笑ってたよ」とやさしくアドバイスしてくれた。着替えるのがめんどうで、胸が大きくVカットしているシャツのままだったのだ。
 「女におっぱいがあるのって当然なのに、どうして笑うのかな」と私。 「そりゃそうだけど」とその子達。 「先生教えて!」と呼んでくれたりして、屋上中走りまわって、全員完成。お互いに「おっうまい一」「天才!」とほめあっている。
 全員の作品を黒板に貼って、感想文をかいてもらった。 「えっ学校名もかくの?調理科っていうのも?」「秋田北高ってかこうかな」という声が間こえる。それぞれの地方に、独特の有名校があるらしいが、そんなのは全国的に見ると、ど−ってことないのに。

感想文より

今日は自分の中に秘められた才能がでてきたように思った。もしかしたら先生よりも上手かもしれない。佐藤俊幸

 

   
   

○映画のシーンみたい!
  9月9日は三重県津市から車で30分の所にあるヤマギシズム学園高等部へ〈ニワトリ〉を描く授業に行った。大阪まで迎えに来て下さった青木さんと夕方に着いた先は、ぶどう棚の下だった。ぶどうの熟した色が見られない位に暗かった。そのせいで完熟しゃないぷどうを穫ってしまった。
 ぶどう棚の下には若者がさわさわといて「富沢賢治の世界だ!」とおもった。そのくらい、人間がのさばっていなくて、ぶどう畑と一体化していた。
 えだ豆、おいも、とうもろこし、カボチャが目の前の女の子の皿にのっていた。それらはみんな、高校生の作った作物なのだった。穫えたての農作物を目の前にしたら、会べること以外は何も考えられない。

   
   
 「早く会べたい」を連発し、若者たちに笑われてしまった。
 ここでは、野菜、果実、養牛酪農の営みを「実学」といい、先生と言わず「世話係」で、サカエさん、スズキさんと名前を呼ぴ、授業といわずに「学究」と言う。
 朝七時に、車で農場や牛やブタを見せてもらった。
 中国産の黒ブタが(名前を忘れた)子育て上手なので増やしたいと言っていた。日本産のブタは、母ブタがドデッと昼寝をする時に子ブタをつぷしてしまうのだそうだ。(あ−私を見ているようでつらい)
 オスブタは、メスに比べて二倍くらい大きく、豚は一夫多妻だそうだ。キングブタ一頭は陽当たり風通しのいいところで堂々と朝寝。
 畑では、もう高校生が働いている。こんな風景は、今まで見たことがないのに気がついた。広大な畑なのに映画のシーンか?  いや映画でも高校生だけが畑で働くシーンはない。高校生演劇の舞台を見ているようだった。
 9時半から授業(じゃない)「学究」が始まる。
 ニワトリを描くために40名程が講堂に集まった。生徒に(とは言わないか)女の子に「あなたも「労働」終わってきたの?」と聞いたら「労働?」と小さく笑われてしまった。
 畑仕事というべきか、農作業というべきか。ことヤマギシズム学園は、単語の共通理解をしてからでないと次なる会話が難しい。
 ニワトリの止まり木は、工作部の男子生徒が作ってくれた。
 この学園の高等部通信の表紙は、多分キミ子方式で描かれたと思われる。農作物のリンゴやかぷ、ホーレン草のみごとな絵だった。
   
     以前から「絵を教えに行って下さい」「来て下さい」と、あちこちから声をかけられていた。この夏、大阪の講座でニワトリを描く時、モデルにヤマギシのニワトリをもらったことから実際に教えに行きたくてたまらなくなった。
 ビデオ(『三原色の絵の具箱』第四巻「にわとり」)をうつし、黒板で説明をする。何とその間、雑談というものは一切ない。質問もない。  今まで何回となくニワトリを教えてきたが、目の前の人にしゃべるような声でニワトリを描く説明をしたのは初めての体験だった。みんな黙々と描き進めるのである。これは完全に映像のシーン。思わずカメラをかかえている人に、この美しいシーンを写真に録ってと叫んでしまった。
 私はするべき仕事が何もなく、ただポーゼンと若者の動きと顔を見ているだけだ。一点からとなり、となりと作業を進めるキミ子方式を、彼らは農作業その他で体験済なのだ。
 11時半に昼食(とは言わず、第二会。ちなみに第一食は夕方六時半。一日二食である)後、また黙々と描き、サカエさん(私の言葉で言えば美術の先生)が 「さあ、ここで研讃しましょう」と言う。「ケンサンってなんですか?」と私。もう何でも分からないことは聞くに限る。  床に腰をおろし、コンパスで書いたようなきっちりとした円をつくり、ヒザを両手で抱える。
 言いたい人が何か言う。(感想文の発言版?)
 「にわとりの口ばしは、ただ黄色いと思っていたのに、実際に絵を描いてみたら色々な色があるので驚きました」 「にわどりは怖くて近づくのがイヤだったのですが平気になりました」
 このあと「キミ子さん」と生徒達に呼ばれることが多くなった。画用紙を足さなければならなくなったからだ。「キミ子さん」と近くに来て静かに言われると、思わず両手を広げて、その子を全身で抱きしめたくなった。
 翌日、東京の私へ青木さんから電話があった。 「彼ら、今日もつづきを描いているんです。モデルのニワトリがまだ返せないでいます」
 どんな絵になっているのか、ぜひ見たいものだ。
   
     

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