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1990年、夏。台風が久し振りにやって来た。その時私は夏の巡業の真っ直中、四国・高知でのこと。 |
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絵金研究家、近森敏夫氏に会いたくて、・ほるぷ・の小松さんが何度も電話してくれたが、留守らしくて通じない。 あきらめて、絵金の絵を見るために・龍馬美術館・に着いた時は、台風は本格的にやってきた。飛行機は飛ばないだろうし、空港への電話も、ずーっとお話し中。
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七月末の巡業は、ギックリ腰になり、ハリ、キュウ、マッサージにかかりながらの旅仕事だった。 |
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車内には250名の人が閉じ込められているそうだ。 通路をはさんだ座席の若い女性は二度ほど「大変だった」と言いながら電話を終えてきた。 そろそろ電話嫌いな私が行っても大丈夫かなと駅へ降りてみたら、まだ長蛇の列、赤電話とカード電話が一台づつ。 並んでいたら、前の男性に 「千鶴子さん?」と声をかけられた。 「ウーン、似たようなものですけどちがいます」 学校に勤めていて、講演して歩いている女――それは千鶴子さん 「ウエノではありません。あんなに美人ではありません」(共通しているのは森 毅氏とお友達) 「彼女の講演、面白かったなー。本買って読みましたよ」と彼。 「? ? ?」と私。 こんな話のきっかけで、男と女が出会って恋に落ちる。なんていうのは映画や小説だけれど‥と夢想していたら 「汽車が動きます。すぐに汽車に戻って下さい。どうやら、車中一泊にならなくてすみそうです」と車掌さんはうれしそうに言い回っている。 「エッほんと!」と群衆がダッダッと駆け出した。反射的に私も汽車に飛び乗った。 やっと動き出した汽車。 車内放送の声も元気そう。 「次はおおぼけです」 ?と思いながら、次の駅に着く。 大歩危という字の駅だった。 |
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