エッセイ目次

No17
1990年9月4日発行

   
   


台風の一日


   
   

 1990年、夏。台風が久し振りにやって来た。その時私は夏の巡業の真っ直中、四国・高知でのこと。

     
   

 絵金研究家、近森敏夫氏に会いたくて、・ほるぷ・の小松さんが何度も電話してくれたが、留守らしくて通じない。 あきらめて、絵金の絵を見るために・龍馬美術館・に着いた時は、台風は本格的にやってきた。飛行機は飛ばないだろうし、空港への電話も、ずーっとお話し中。
 船もダメなので、バスもダメ。
 小松さんのはからいで、高知から土讃線で岡山行きの汽車にのることにした。
 「台風って、なぜか興奮してしまうのよね」と荒れ狂う海を見ながら駅に向かった。
 9時20分の汽車も動いていなくて、11時20分は大丈夫そう。でも飛行機に乗るはずの人が汽車に変わるので座れないかもしれない。
 「それでもいいわね。四国を脱出できれば」
 私はキヨスクで新聞を買った。座席に座れない時に床に敷くためである。
 手持ちの本で読んでいないのは、松本清張の『昭和史発掘』だけ。
 なにか文学作品を読みたいと探したのだけれど、推理小説やビジネス本ばかりだ。やっと一冊、山田詠美の単行本があった。これでよし。
 めざす東広島には、三時に着くはずで、その夜はマッサージ付バーベキューの宿「注文の多い料理店」が待っている。

 

   
   

七月末の巡業は、ギックリ腰になり、ハリ、キュウ、マッサージにかかりながらの旅仕事だった。
 八月後半の巡業は、暴飲暴食をひかえるようにした。しかし、高知のサワチ料理は大皿にドバ ッーと、これでもかと海のもの山のものが並ぶ。
 過去、四回も五回もごちそうになりながら、今回、ハッと気づいたのは、めいめいの小皿に盛りつけてあげるシステムになっているらしい。私の目の前に、デンと大皿があるので、格闘する 感じで直接手をのばしバンバン食べてしまった。
 案の定、腰の調子がおかしい。
 マッサージにかかりたかったけれど、翌日の東広島でしてもらうからまあいいかと我慢した。
 腰の調子が悪くても、台風に気をとられて忘れそうだ。
 汽車は、自由席はたくさんの人が立っていたけれど、指定席はあいていた。新聞紙は、冷房よけという別の使い方になりそうだ。
 30分もすると駅弁を売りにきた。うなぎ弁当とまずいお茶を買った。  毎週、高崎まで新幹線通学している私としては、汽車の弁当はコリゴリ。旅の楽しさの一つは 駅弁という心境から離れてたのに、台風のせいで弁当を買いたくなった。
 その時、突然汽車が止まった。
 車内放送で
 「ただいま、台風により線路に木が倒れています。運転手が木を取り除きに行っていますので、少々おまち下さい」車内は爆笑。
 10分程動いて「大杉」という山間の駅に止まった。
 外は強風と雨、車窓づたいに雨がもれる。
 私は山田詠美のバリ島の男性との恋愛小説を読みふける。
 バリ島は数年前に行ったけど、予備知識がなくて、ボーッとしていてもったいなかった。お寺巡りの行列に加わって、ひたいに水をかけられたり、花びらをつけられたりして楽しかったのを思い出していた。
 それから延々八時間、何とそこから汽車は全然動かなかった。
 小説を読み終わったら、東広島で待っているはずの古田さんの顔が浮かぶ。
 公衆電話は二台しかなくて、長蛇の列だと聞いていたので、かけなかった。
 6時30分頃、「近所の人にお願いして・炊き出し・を頼んでますので、夕食は少しではありますが、ご用意してあります」の車内放送くらいが明るい情報だった。
 こうなると、テントの中の心境で食べることだけが楽しみになってくる。

   
   
 車内には250名の人が閉じ込められているそうだ。
 通路をはさんだ座席の若い女性は二度ほど「大変だった」と言いながら電話を終えてきた。
 そろそろ電話嫌いな私が行っても大丈夫かなと駅へ降りてみたら、まだ長蛇の列、赤電話とカード電話が一台づつ。
 並んでいたら、前の男性に
 「千鶴子さん?」と声をかけられた。
 「ウーン、似たようなものですけどちがいます」
 学校に勤めていて、講演して歩いている女――それは千鶴子さん  「ウエノではありません。あんなに美人ではありません」(共通しているのは森 毅氏とお友達)
 「彼女の講演、面白かったなー。本買って読みましたよ」と彼。
 「? ? ?」と私。
 こんな話のきっかけで、男と女が出会って恋に落ちる。なんていうのは映画や小説だけれど‥と夢想していたら
 「汽車が動きます。すぐに汽車に戻って下さい。どうやら、車中一泊にならなくてすみそうです」と車掌さんはうれしそうに言い回っている。
 「エッほんと!」と群衆がダッダッと駆け出した。反射的に私も汽車に飛び乗った。
 やっと動き出した汽車。
 車内放送の声も元気そう。
 「次はおおぼけです」  ?と思いながら、次の駅に着く。
 大歩危という字の駅だった。
   
     

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