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エッセイ目次
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私が未だキミ子方式普及のために行っていない県は、富山県と鳥取県である。
鳥取県は母のふるさとである。
母のふるさとをこの目で見たいという想いは母が死んだ歳に近くなるに従ってふくらんできた。
鳥取県出身という人に会うと「呼んで下さい」とお願いして、ついに実現したのである。
倉吉の小谷佳子さんと米子の加藤洋子さんが主催者になって下さった。どちらも、一生懸命生きている主婦である。
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「キミ子さん、冬の山陰地方は飛行機で来ていただくのは不安なんです。汽車の方が安心なんです」ということなので、思い切って寝台車で行くことにした。
21時15分東京発米子行き・出雲30号A寝台は浴衣が用意されていたけれど、寒そうで、着替える気にはならない。洋服のままゴロリと寝転がりそのうちすぐ寝てしまった。
寒いなぁと思いながら、コートをかけたり、マフラーを首にまいたりして、いつの間にか寝ていたらしい。
カーテンの外にガヤガヤと声がして目が覚めた。汽車は止まっている。
「みなさまおはようございます。強風のため鉄橋は渡れません。様子を見るためにしばらく駅に止まっています。たいへんごめいわくを‥‥」
「エッ」時計をみると6時30分。すぐに7時になった。
七月に四国で八時間汽車の中に閉じ込められたことを思い出した。あの教訓をいかさねば。すぐに主催者に電話をすることにした。
「豊岡に汽車が止まってるんです。このままバックして山陽線をまわって米子に行くらしいんです。もっとも早く倉吉へ行く方法は?」
「鳥取・倉吉へは、普通列車で香住まで行って、バスで浜坂まで行き、又汽車で‥‥」
7月の事件があるので大騒ぎすることにした。午後7時からの仕事にどうしても間に合わなければならない。
すると、その時男性が、
「あなた倉吉に行くって言ってましたよね。僕も倉吉へ帰るんですが、タクシーに交渉したら三万八千円くらいっていうんですよ。ね、相乗りしましょうよ。僕もロンドンから一時帰国で時間節約のために寝台車にしたのに、これじゃどうしようもありません」
二人でタクシーに相乗りすることになった。これから約二時間のドライブ。もう八時三十分、本来なら目的地に着く時間である。
「間に合う」と思った途端に疲れがどっと出る。
「ちっとも強風に見えないけれど強風なんでしょうね」
「この間落ちて、責任者自殺しちゃったりして、あの時以来ちょっとの風でも大事とって、通さないんですよ」と運転手さん。
「『この間落ちて』って、いつか汽車が落ちたのはココだったの?」
「そうですよ。余部の鉄橋ですよ」
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タクシーの相乗りさんは、ジェトロ・ロンドン・センターの次長さんの高多理吉さん。
「どういうお仕事ですか?」と聞くと、
「それを言われるのが一番つらい。説明が難しいのです。日本の外国貿易のオルガナイズってとこですかね。あらゆる領域に渡っていまして‥。」
私は、キミ子方式の説明をした。
「ほー、そんな講演会企画した方が倉吉にいるなんて信じられませんなー。その方どこの学校の先生ですかね」
「主婦らしいですよ、主催者は」
「倉吉っていうところは、講演会やっても人が集まらないところなんですよ。何名くらい集まるんでしょうね」
「100名くらいって聞いてます」
「エッ!!100名?」彼は信じられないらしい。
外は寒いのかもしれないのに、タクシーの中はホカホカ。
日本海の灰色の海の波が荒れ狂っている。海辺に沿ってタクシーが走る。モノクロ映画のシーンを行くようだ。
タクシーでよかった。こんなに身近に日本海が見える。
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私は母のふるさと気高郡気高町水尻が気になる。相乗りの高多さんに言うと、
「そんな町あったかなー、聞いたことない」と言う。
トンネルをいくつか過ぎた。
「あった。水尻だ!」
その一つに水尻トンネルがあったのだ。
この辺りで母が生まれたのか。母と次の子が生まれて、母の両親はふるさとを捨て、北海道へ渡ったのだ。
「冬の山陰地方は、いつだって灰色なんですよ。僕はこれが嫌で逃げ出したんですけどね」と高多さん。
「一年以内にロンドンに来ることがあったら連絡して下さい」
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十時三十分に倉吉の駅に着いた。
二時からの会場は人の渦。小谷さんはてんてこまい。高多さんの知っている倉吉とは随分違ってきているようだ。
参加者の内訳は、先生が60%、主婦20%、その他20%という割合。
夜のパーティでの小谷さんの、
「人が集まってくれるのだろうかと心配で夢を見ました。その夢はキミ子方式の会場に行ったら、相撲してるんです。一対一の勝ち抜き戦何です。なんでキミ子方式の会場で相撲とらなきゃいけないの?と思いながら、一人、一人と投げ飛ばしていくんです。そして、あーこれも『部分から全体』なのか、と納得して目が覚めたの」に大笑いした。
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翌日は米子の加藤洋子さんが中心に、洋子さんのお姉さん、義理のお姉さんの三姉妹が主催者。
「母です。母の母です。子供たちです。ルーツ全部引き連れて来ました。母の母は九十歳。みんな 元気いっぱい」
こちらは、学校の先生が20%、主婦が60%、20%がその他の職業という割合。
加藤洋子さんは親子劇場の事務局長さんだから、大勢の人の前での挨拶には慣れているはずなのに、
「上がってしまったわ。だって、親戚一同ズラーッと来ているんだもの。夫までも来ているんだもの」
「私のパートナーは、『あなたは好きなことをしていいけれど、僕を誘ったりだけはしないでね』 って言っていたの。その彼が『絵を描くっていうことは』(仮説社)を読んで、『僕も行こうかな』って言って、来ちゃったんですよ。やぁ、あがっちゃいました」
講演の最後に、
「質問ありませんか?」と私が聞いたら、
「ハイ」と目の前の小学生の男の子が元気よく手を挙げた。
「先生、歳いくつですか?」に全員大爆笑。その質問者は加藤一族だった
「彼はちょろちょろしていてちっとも落ち着かない」とお祖母さんを嘆かせていたらしいが、
「今日のあの子は先生の話をじっと聞いて、一生懸命絵をかいて、ハイッと質問したものね。見直しちゃった」
九十歳の上品な曾お祖母さんも色づくりをした。
「私が絵を描くなんて」と曾お祖母ちゃん。
「今度は親子四代で『もやし』を描きましょうね、おばあちゃん」
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