エッセイ目次

No25
1991年5月4日発行

   
   


体験と創作


   
     友人のYさんから「面白い本があるよ。八カ国の現地校で、小学校から高校まで学んだ人の体験記なんだけど」と、浅井 悟著『サーシャの奮闘記』−八カ国の学校で学んで−(評論杜)を借りた。
 著者の学んだ国は、ドイツ・オランダ・オーストリア・ソビエト・エジプト・イスラエル・アメリカの八カ国。今は日本に帰ってきて東大生ということだ。
 私は、この八カ国の内の半分しか行ったことがないなあと、心細さと羨望で、その本を読み始めた。

 私が教育の本を読む時の関心は、ひたすら絵画教育のことについてである。八つの国で著者が体験した美術教育はどんなだったのか。その夜を徹して読んだ。
     
   



 西ドイツ(六才〜八才)で体験した絵画の時間は
 「まず、紙を渡し、好きなものを描かせる。顔でも木でもよい。どんな大きさに描こうが、何色で色を塗ろうが何とも言わない。先生は黙ってニコニコ見ているだけである」 「絵を描くと、子どもの想像力は急にふくらむものらしい・・・」 「どんどん絵を描いて、予定の時間を変更して、次の時間も絵画の時間となった」というところを読んで、暗い気持ちになった。信じられない事が書いてあったからである。
 先生が、ただ黙ってニコニコしているだけで、飽きもせずクラス中が絵を描くのを楽しみ、次の時間まで絵を描きたがるというのは、ウソだという思いが頭をかすめる。日本ではありえないことだけれど、西ドイツではありえるのか?

 オランダ(八才〜九才)
 「絵の具だと、色を塗るたびに混色して色を作らなければならない。混色というのは子どもにとって案外めんどうなものだ」 「絵の場合、多色を重ねると色が暗くなり、本来の明るさを失ってしまう」
 私が必死で探していたのは、外国の美術の時間は、絵を描かせるのかということだ。もし、描かせるとしたら、何を題材にし、どんなふうにさせるのかに興味がある。 「何かを触った感覚を絵にした」。これは、目の見えない人が触って、その感しを色を使わず描いたのがヒントになったらしい。

 ソビエト(十才〜十二才)
 「図学をかなりやらされた。視点をココに置いて物を見るだの、65度の角度から見下ろす図法やら影のつけ方。透視図や展開図、道具も当然キャンパスと木炭ではなく、ケント紙とからす口(ペンの一組)またはペンだった。鑑賞や美術史も並行して行っていた。伝統工芸の木細工や刺繍をやった」 「美術といっても、だから絵を描いていた訳ではない」など。具体的なことが書いてないので役立たないけど、私が今まで小・中学生に、図工や美術の時間の思い出を書いてもらった時は「ほとんど何をやったか覚えていない」というのが多数を占めた。多分それが一般的だろう。でも、なんともはがゆく重苦しくなった。 「好きなように描きなさい」と言ってニコニコしている先生が、やっぱり気になる。でも、本人が体験したことだというのだから、書いてあることを信じるしかない。

   
     その本を読んでから、どの位だっただろう。週刊誌に『サーシャの奮闘記』を書いた浅井 悟の八カ国での体験はウソだ!」という記事が載っていた。「体験ではなくて創作ではないか」と。
 「よかった−」その記事を読んで一番喜んだのは私ではないだろうか。やっぱり、私の直観があっていたという安堵感で体が軽くなった。
 私は過去、サギ師に二度出会ったことがある。
 一人は、私と絶対に目線を合わせないで、モソモソしているからへンだなあと思い、一人はあまりにも調子が良すぎてへンだなあと思った。
 今は人を見る目も曇り、どんな人もそれぞれ素敵な人生だと賛歌したいが、世界中での美術教育がどうなっているか、そこだけはしっかりと見極めたい。
 あちらこちらで新しい学校作りがさかんになようだ。私も興味があるのだが、つねに、絵を描くっていうことをどう考えているのかなぁという視点で見ている。もしかしたら、学校を作ろうとしている人の中に、キミ子方式より使れた方法を実践している人がいるかもしれないと期待している。
 1989年3月頃だったと思う。
 「スモール,イズ,ビューティフル」と主張して講演に釆られた外国人に質問をした。 「図工とか美術の時間、絵を描いたりしますか?描くとしたら何をどんなふうに描くのですか?」と。彼は「いろいろ創造的なことをやります。葉っぱをひろって来て組み合せたり、焼き物をしたりします」と言って、絵を描くことには昔及しなかった。
 やはり、絵については曖昧なままだ。絵を描いたりしないのかなあ。その学校にキミ子方式を教えてあげたいなあと思った。そうすれば、絵を描いた人も教える人も幸せになれるのに。

   
     

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