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友人のYさんから「面白い本があるよ。八カ国の現地校で、小学校から高校まで学んだ人の体験記なんだけど」と、浅井 悟著『サーシャの奮闘記』−八カ国の学校で学んで−(評論杜)を借りた。 著者の学んだ国は、ドイツ・オランダ・オーストリア・ソビエト・エジプト・イスラエル・アメリカの八カ国。今は日本に帰ってきて東大生ということだ。 私は、この八カ国の内の半分しか行ったことがないなあと、心細さと羨望で、その本を読み始めた。 私が教育の本を読む時の関心は、ひたすら絵画教育のことについてである。八つの国で著者が体験した美術教育はどんなだったのか。その夜を徹して読んだ。 |
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西ドイツ(六才〜八才)で体験した絵画の時間は 「まず、紙を渡し、好きなものを描かせる。顔でも木でもよい。どんな大きさに描こうが、何色で色を塗ろうが何とも言わない。先生は黙ってニコニコ見ているだけである」 「絵を描くと、子どもの想像力は急にふくらむものらしい・・・」 「どんどん絵を描いて、予定の時間を変更して、次の時間も絵画の時間となった」というところを読んで、暗い気持ちになった。信じられない事が書いてあったからである。 先生が、ただ黙ってニコニコしているだけで、飽きもせずクラス中が絵を描くのを楽しみ、次の時間まで絵を描きたがるというのは、ウソだという思いが頭をかすめる。日本ではありえないことだけれど、西ドイツではありえるのか? オランダ(八才〜九才) ソビエト(十才〜十二才) |
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その本を読んでから、どの位だっただろう。週刊誌に『サーシャの奮闘記』を書いた浅井 悟の八カ国での体験はウソだ!」という記事が載っていた。「体験ではなくて創作ではないか」と。
「よかった−」その記事を読んで一番喜んだのは私ではないだろうか。やっぱり、私の直観があっていたという安堵感で体が軽くなった。 私は過去、サギ師に二度出会ったことがある。 一人は、私と絶対に目線を合わせないで、モソモソしているからへンだなあと思い、一人はあまりにも調子が良すぎてへンだなあと思った。 今は人を見る目も曇り、どんな人もそれぞれ素敵な人生だと賛歌したいが、世界中での美術教育がどうなっているか、そこだけはしっかりと見極めたい。 あちらこちらで新しい学校作りがさかんになようだ。私も興味があるのだが、つねに、絵を描くっていうことをどう考えているのかなぁという視点で見ている。もしかしたら、学校を作ろうとしている人の中に、キミ子方式より使れた方法を実践している人がいるかもしれないと期待している。 1989年3月頃だったと思う。 「スモール,イズ,ビューティフル」と主張して講演に釆られた外国人に質問をした。 「図工とか美術の時間、絵を描いたりしますか?描くとしたら何をどんなふうに描くのですか?」と。彼は「いろいろ創造的なことをやります。葉っぱをひろって来て組み合せたり、焼き物をしたりします」と言って、絵を描くことには昔及しなかった。 やはり、絵については曖昧なままだ。絵を描いたりしないのかなあ。その学校にキミ子方式を教えてあげたいなあと思った。そうすれば、絵を描いた人も教える人も幸せになれるのに。 |
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