エッセイ目次

No27
1991年7月4日発行

   
   


旅のスケッチ 広島編


   
     毎月第三土、日曜日は、岡山と広島に出かけている。
 広島のいつも泊まっているホテルは満室で、時刻表に載っていた「ホテル・サンバレス」に泊まることにした。
 旅仕事を気持ちよく続けるには、泊まる"宿"が大きくウエートを占める。お気に入りのホテルのある街は仕事に行きたくなる。
 ホテル・サンバレスー初めてのホテル。お値段から察して期待できそうもない。それでなくても、広島でのホテルはついてない。
 忘れもしない、初めて広島で泊まったのは"ステーションホテル"で四千八百円の部屋。三昼くらいの部屋で、体を横にしないとベットヘ行けない。窓の外はビルの壁。ベットの上に、壁から突き出ている棚に乗ったテレビ。ベットに横になるにはテレビの下にもぐり込むような恰好になる。もちろんスタンドなどない。この狭い部屋で出来ることと言えば、テレビを見ることぐらいしか思いつかないくらいの部屋だった。
 しょうがなく、テレビのスイッチを入れたら、イタリヤの映画、フェリー二の「道」を放映していた。これがなつかしい映画だったので、少しだけ、このホテルに泊まることにした後悔が薄れた気がした。
 それからは、広島へ仕事にいくと、広島から二時間強、汽車に乗り三次市に行き"アート・ホテル"に泊まるようにしていた。そこにはジャコメッティの彫刻があった。しかしそのホテルも今はない。
   
   


 昨年一年間、常宿にしていた"ガーデンパレス"に泊まれるものと安心していたのでショックだった。
 広島駅南口三分、ダイエー裏。これが今夜の宿の位置である。疑い深くエントランスに立った私に、フロントの六十代の男性は愛想悪く対応する。
「お一人ですか?」と不快そうだった。やっと私の予約を確認する。
「チェックアウトは何時?」と私。
「十時です」とおじさん。
「十時か。仕事が午後からなので延長させていただけませんか?一時間いくらですか?」
「延長はできません」
「それじゃ、近くに公園でもありませんか?」
「ありません」ときっぱりと言う。
 一泊税込み五千円の値段通り、スタンドもない。窓の外は高架道路の壁、カーテンもない。御案内と書かれたビニールの貼った紙に「御休憩一時間千円」と書いてあった。
「おじさんの嘘つき」と怒ってよくみたら午後四時から午後十一時までとなっていた。
 またしても、テレビを見るしかないので、新開のテレビ欄を見ると、「スリーメン&ベイビー」(一九八七年・アメリカ)が目に止まった。ついている。


   
     翌朝、十時にチェックアウト。フロントは別の男性。昨夜の人より親切そう。ふとロビーの外を見たら、目の前が公園。公園の向こうは川。
 外はくもり。公園には高校生四人。公園のブランコに乗る。コンクリートのベンチで昨日もらった、たくさんのチラシに目を通しながら、ぼんやりしていた。
 自転車のおじさんが通りかかる。
「キーッ」とブレーキをかけて、私の前に止まる。
「あんた、美人やね」ろれつが上手くまわらなそう。酔っぱらいかな?目が濁っている。
「どっから来たんかね?」
「東京です」
「フーン、関東か」
 それでサヨナラと言ってほしかった。
 ところが又言う。 「あんた美人やね」絡みつくような目付き。落ち着いて考えれば、私を美人だと言ってくれてるのだから、まともなはずがない。ちょっと危ない人かもしれない。
〔ヤバイ〕
「ハイありがとうございます」と言っても声にはりがでない。
おじさんは私の顔をじっと見つめる。
〔ヤバイ公園には他に人はいない〕
おじさんは、おもむろに背広の胸を開いた。
〔ますますヤバイ〕
ところがそのワイシャツには、赤いボタンの花が墨のリンカク線の中に、左右腕いっぱいに描かれてあった。
おじさんは低い声で言う。
「わしが描いたんじゃ」
「えっ、あなたが描いたんですか! スゴーイじゃないですか。フー!あなたの絵なんだ」と歓声をあげてしまった。
 おじさんの顔が明るくなった。そして大きく額く。それと同時に、軽やかにペダルを踏んで、少年のように立ち去った。
「ザマーミロ」と言っているような後ろ姿だった。
「街角のさびしい貴族たち」私は思わずつぷやいていた。
今までの方法で絵が描ける私の仲間たちを、私は密かにこう名づけている。

   
     

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