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今年のキミ子方式全国合宿研究大会は、一九九一年八月七,八,九の三日間、群馬県伊香保で行われた。 この大会は、私にとっていくつかの発見があった。 多くの講師達が絵を教える現場を見ることができたからである。 参加者は四才から八十一才まで、職業も様々、参加目的も様々。特に良かったのは、旅の途中でちょっとキミ子方式なるものをのぞこうという人達がいてくれたことである。 多きにわたる参加者という点では、公立小中学校に最も近い集団なのかもしれない。 一五○名の参加者のうち、約半数近くは全く初めての人達であった。 『絵のかけない子は私の教師』』(仮説社)に 「感じ方そのものは教えられない。だから技術を教えよう。そして技術は、対象に誘惑された時に身につくものだ。物事に誘惑される−それが出発だ」とある。 この文を書いたのは一九七六年八月一日発行の初めての私のガリ本 『絵のかけない子は私の教師』「美術教育の創造に向けて」の中である。 対象に誘惑されるためのモデルと画用紙と作者の配置が、キミ子方式の特徴なのだということを、私がきちんと講師達に説明していなかったのではないかと気になった。 〈対象に誘惑される配置〉とは抽象的すぎるのかもしれない。「どうしたら人はおもわず絵を描いてしまうように誘導できるのか」という言葉におきかえた方がいいのかもしれない絵を描きはしめるまでの準備と言えようか。 初期の頃のキミ子方式は、描き方に重点をおかず、モデル、画用紙、配置がほとんどで、たとえばモデルの「モヤシ」を配る時、一人一人と「このモヤシはあなたにもっともふさわしい」などと作者の目の前で会話をしながら・・・。 モデルの「ぶどう」を配る時のおおげさな演技(大きなカゴに入れて、その中からもったいぷって配る)とかをやっていた。 なぜ、このモデルを描くのかを、理屈ではなく「すごいモデルなんだ」と見せかけるための演技をしていた。 それはモデルに関心をもってもらいたいから。モデルという対象に誘惑され惚れてほしいからだ。たくさんのモヤシの中から、なぜそれを選ん で描くのか。 そして描き方は、一点から隣へ隣へと、とばないことを、モデル全体のリズムを、私の身体で表現したり擬音にしたりしていた。 今から考えると、芝居っぽく、音楽っぽくパントマイムのようにして、「ペんぺん草」や「イカ」を演じていた。教える人は魅力的な演技をしなければならないと思っていた。 |
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この本田さんの授業から、不愛想でも、かんじんな事を文字にすれば生徒が満足する授業ができるということに気がついた。
仮説実験授業のように、授業書があれば誰でもできるのだから、授業書にかわる授業メモをつくろう。 本田さんの書いた「授業メモ」からヒントをえて、「文字化」作業が進んだ。 本を読んだだけで、全国の人々に今までと全く違う発想の絵の描き方を伝えるにはどういう文にしたらいいのか。当時の美術の授業研究会の課題であった。 そして堀江晴美さんを中心に「授業メモ」としてまとめたのが『絵のかけない子は私の教師』(仮説杜)に二十テーマが載っている。 しかし絵の描き方だけが拡がって、考え方が伝わらないのは困るので、授業メモは本の真ん中にひっそりと入れた。 授業メモづくりが終わるか終わらないかの頃、オールカラーでキミ子方式の絵の描き方を写真にする作業がはじまった。実際に絵が描けない人に絵を描いてもらって、その過程を写真にしようとした。 「徹底した技術だけの本を作ろう」「日本には、きちんとした技術の本がない。本だけで絵が描けるようにするには、どんな写真が必要か?」と、編集の近藤さん。デザイナー。カメラマン木庭さんと議論したものだ。これが『三原色の絵の具箱』(ほるぷ出版)になった。この写真集のおかげで、キミ子方式は飛躍的に知れ渡った。 絵を描いてみたいけど、描けるかどうか不安な初心者に「これ描いてみませんか?」と、モデルとの初めての出会いは、第一印象をよくしてあげるほうが、初心者の不安を和らげてあげることが出来る。 思わず「モヤシ」に惚れて描いてしまいたくなるような準備が、道具だてがキミ子方式の八割を占めるのではないか。絵の描き方は二割かなと思ってしまった。 キミ子方式に興味をもって集まって下さった皆さんに、楽しんでいただけたのだろうか不安になって、久し振りに本田陽一さんのガリ本『もやし一本に挑戦』(一九八○年)などのキミ子方式初期の本を読み返している。 |
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