○子どもは喜び、大人は苦手
ザリガニの絵は、子どもは喜び、大人は苦手だと思っていたが、五年ほど前に、静岡で大人と子ども半々の講座で実験したら、大人も巨大なザリガニを描き上げて、うれしそうだった。子どもには絶対にうけるテーマである。
やはり数年前に、沖縄の小学校で研究授業を私がした。 「子ども達、モデルのザリガニを全然見てませんね。先生が黒板に描いた図を見ながら描いていようですが・・・」と授業後の研究会で指摘された。
その時にひらめいたのは「ものの見方は、大きくわけて三つあると考えます。一つは〈細かくていねいに観察して見る〉。二つめは〈大ざっぱに感じをとらえて描く〉。三つめは〈描象化して見る〉。私の考えたキミ子方式は、この三つの基礎をおさえることから出発します。今日のザリガニは、大ざっぱに感じをとらえるんです。黒板に図だけ描いて、モデルを見ないからと、モデルを用
意しなかったら、こんなに楽しく集中して描いたでしょうか。
モデルのザリガニを、キャーキャ−大騒ぎで見つめて、逃げたのを追っかけまわして、捕まえて、そして描き順とのミックスで、こんなステキな作品になったのでは? 描き順は、見ていく順、さわり順です」と言えて、私自身もなるほどと思った。
私の中に「もやし」「イカ」「毛糸の順子」の配列の意味が深まった。
私はそれまで、この三つのテーマを必ずやらなけれぱならないと強調するのは、生徒逮の中に、この三つの気質、タイプがあるからだと思っていた。それぞれの気質の人がスタ−になるためには、この三つをやることが必要だと。気質のせいだけでなく、ものの見方が三つあるのだ。
○あたらしい説
さて当日の佐世保の会場は体育館のように広い。八十匹のザリガニは今日まで、みんな元気なのだろうか心配である。
数年前、静岡での講座の時は、主催者の本屋さんが前日、沼に採集に行き、酸素ポンプ付きの水槽に入れていたにもかかわらず、当日、半数近くは死んでいた。そして、ツメがとれていたりしていた。
少ないザリガニをめぐって、小学生達は、なぐり合いのケンカになった。ザリガニごときで少年違は命をはるのか?
今回は、八十四のザリガニが一匹を除き、元気いっぱい生きていた。
今年は新発見したことを伝えなければならない。ザリガニの胴体から出ている八本の足のことだ。
横に出ている八本全部の足先のツメが、ハサミ状になっているザリガニはメスで、尾っぽに近い2本の足先が一本のツメかオスなのだそうだ。
徳島で、大学の先生にエビがそうなっていると聞いたので、きっとザリガニもそうにちがいない。
ツメ一本のザリガニを今まで、食いちぎられたと思って、8本ともツメをハサミ状に教えていた。
メスはなぜハサミ状かというと、タマゴに空気を入れてかき混ぜるためで、オスはその必要がないので、一本なのがそうだ。
「ザリガニは、どう描くかより、ザリガニと遊んで楽しいというところにポイントをおいてね。できばえよりも、夢中になってさわる、描く。お絵かき遊びだから」と言ったけど、大人はザリガニを見ても、さわりたくないだろうに。しかし今回も、大人は「なるほど、知らなかったびっくり」「バルタン星人みたい」と、子どものように、うれしそうに描いて、大作がどんどんできた。体育館いっぱい、ザリガニの絵が広がった。
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