エッセイ目次

No41
1992年9月4日発行

   
   


ザリガニ今昔物語

 

   
   

 一九九二年の夏。長崎県佐世保市で「ザリガニ」を描くことにした。
 「ザリガニを描きましょう」と、電話で打合せをしたら、主催者のほるぷ営業所々長の伊達さんは「ザリガニ」と絶句したあと、「ザリガニなんて佐世保にいるかしら。今や佐世保も都会になって・・・」と不安がった。
 「もし、いなかったら、理科の教材にあるようだから小学校の先生に聞いたら? それでもダメなら、デパートやペットショップで売ってますよ。東京では、料理屋さんから譲ってもらうんですよ」と教えた。
 「とにかく探してみます」と心細そうに電話を切った。
 そして絵の会の一週間前。
 「ザリガニ見つかりました。いるものですね、八十匹バッチリ集まりました」と弾んだ声の報告に、私の方が驚いた。
 「八十匹?そんなにたくさん?」
 「だって、一人一匹だと八十匹は必要ですから」
 「五、六人に一匹で十分ですよ。でも一人一匹だとケンカがおこりませんね」
 「そうでしょう。おみやげに一人一匹持ち帰っていただけます。近所の子ども達に採ってきてもらったんです」と電話の主も、ウキウキとはしゃいでいるようだ。
〈よかった。近所の子ども達にとってきてもらって〉


○野山を駆けまわり

 「お店で買ったら?」なんて主催者に言ってしまったけれど、もともとザリガニのモデルを発見したのは、野山を駆けまわり、ザリガニ採りをしたりする少年が、学校では落ちこぽれている。そんな、私の息子のような少年達を、何とか図工の時間にスポットライトを当てたい、という思いがあった。絵が描けるというのは二の次なのだ。
 「ザリガニを採ってきた人。モデルとして買い上げま−す」
 一体いくらで買い取ってあげたのか。ものをあけたのか。もはや思い出すことはできないけれど、とにかく、少年逮は生き生きと、そして誇り高く、学校にザリガニをもってきてくれた。
 絵を描き終わるのを待ちかねて、「ザリガニをボクに下さい」と、毎回大騒ぎになる。

 

   
   

 私は北海道育ちのせいか、ゴキブリもザリガニも、東京に来るまで見たことがなかった。
 あの赤黒くドクドクしい色で、家のすぐ近くのきたない川にもいるので、食べられるなんて信じられなかった。
 私が二十才の頃だった。
 一緒に住んでいた恋人が、旅行先で気がおかしくなった。
 「至急父兄が引き取りに来てほしい」と大学から連絡があった。
 旅行先に駆けつけたのは、恋人の私。兄弟や親ではなかった。
 再会した彼は、私の方に視線を合わせることなく、うずくまったり、隠れたりした。
 彼の親兄弟、誰一人駆けつけない、その事に心を痛めた私は、保護者になろうと決意した。
 五ケ月間の入院生活の後、少し良くなった彼は「お母さんに会いたい」と言った。
 彼の母は、自分の息子より若い男性と再婚していた。東京から一時間ほどいった村のお寺に住んでいた。
 そこへ彼を連れていった。
 ところが、彼はお母さんに会ったとたん、正気の人になった。美しい笑顔で笑ったりした。
 お母さんは私を吐った。
 「この子は、どこもおかしくないじゃない。あなたがおおげさに騒いで、どんなに迷惑だったか」と。
 〈それはひどい〉と反発したかったが、本当に私と知り合った頃の、すてきな彼に戻っていた。その時よりもっと素直で、少年のように若やいだ彼に。
 彼は「田舎はいいなあ。僕、ザリガニ採ってくる」とバケツと釣り竿と煮干しをもって、田んぼの間にある2メートルくらいの川に釣りにいった。私もついて行った。
 彼は無心にザリガニを釣る。晴れた春の日だった。匂いたつ緑の草の香りにむせびながら、私はただ、ボーッと見ていた。〈気持ち悪いものつるなあ〉と。
 彼は、お母さんに会って、すっかり直ったのだろうか。今までの彼は何だったのだろうか。
今の彼は絶対まともだ。彼は黙々とザリガニを釣る。見る間にバケツ  2つ一杯になった。
 その夜、お寺にいる四人で、ザリガニを茄でてたべた。確かにエビの味がした。貧しい美大生の食事の日々にとって、夢のような豪華な味だった。

 

   
   

  ○子どもは喜び、大人は苦手

 ザリガニの絵は、子どもは喜び、大人は苦手だと思っていたが、五年ほど前に、静岡で大人と子ども半々の講座で実験したら、大人も巨大なザリガニを描き上げて、うれしそうだった。子どもには絶対にうけるテーマである。
 やはり数年前に、沖縄の小学校で研究授業を私がした。  「子ども達、モデルのザリガニを全然見てませんね。先生が黒板に描いた図を見ながら描いていようですが・・・」と授業後の研究会で指摘された。
 その時にひらめいたのは「ものの見方は、大きくわけて三つあると考えます。一つは〈細かくていねいに観察して見る〉。二つめは〈大ざっぱに感じをとらえて描く〉。三つめは〈描象化して見る〉。私の考えたキミ子方式は、この三つの基礎をおさえることから出発します。今日のザリガニは、大ざっぱに感じをとらえるんです。黒板に図だけ描いて、モデルを見ないからと、モデルを用 意しなかったら、こんなに楽しく集中して描いたでしょうか。
 モデルのザリガニを、キャーキャ−大騒ぎで見つめて、逃げたのを追っかけまわして、捕まえて、そして描き順とのミックスで、こんなステキな作品になったのでは? 描き順は、見ていく順、さわり順です」と言えて、私自身もなるほどと思った。
 私の中に「もやし」「イカ」「毛糸の順子」の配列の意味が深まった。
 私はそれまで、この三つのテーマを必ずやらなけれぱならないと強調するのは、生徒逮の中に、この三つの気質、タイプがあるからだと思っていた。それぞれの気質の人がスタ−になるためには、この三つをやることが必要だと。気質のせいだけでなく、ものの見方が三つあるのだ。

 

○あたらしい説

 さて当日の佐世保の会場は体育館のように広い。八十匹のザリガニは今日まで、みんな元気なのだろうか心配である。
 数年前、静岡での講座の時は、主催者の本屋さんが前日、沼に採集に行き、酸素ポンプ付きの水槽に入れていたにもかかわらず、当日、半数近くは死んでいた。そして、ツメがとれていたりしていた。
 少ないザリガニをめぐって、小学生達は、なぐり合いのケンカになった。ザリガニごときで少年違は命をはるのか?
 今回は、八十四のザリガニが一匹を除き、元気いっぱい生きていた。

 今年は新発見したことを伝えなければならない。ザリガニの胴体から出ている八本の足のことだ。
 横に出ている八本全部の足先のツメが、ハサミ状になっているザリガニはメスで、尾っぽに近い2本の足先が一本のツメかオスなのだそうだ。
 徳島で、大学の先生にエビがそうなっていると聞いたので、きっとザリガニもそうにちがいない。
 ツメ一本のザリガニを今まで、食いちぎられたと思って、8本ともツメをハサミ状に教えていた。
 メスはなぜハサミ状かというと、タマゴに空気を入れてかき混ぜるためで、オスはその必要がないので、一本なのがそうだ。
 「ザリガニは、どう描くかより、ザリガニと遊んで楽しいというところにポイントをおいてね。できばえよりも、夢中になってさわる、描く。お絵かき遊びだから」と言ったけど、大人はザリガニを見ても、さわりたくないだろうに。しかし今回も、大人は「なるほど、知らなかったびっくり」「バルタン星人みたい」と、子どものように、うれしそうに描いて、大作がどんどんできた。体育館いっぱい、ザリガニの絵が広がった。

 

 

   
     

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