道端に放心状態で座る。インディオのおじさんや子ども達を見た時、キミ子方式で絵を教えてあげたいと思った。
絵が描ける、彫刻が出来てそれを楽しんでる人と、それと全く縁がなく、楽しみを知らない人とは、お金がある人とない人の差のようにはっきりしている。
ニューヨークの彫刻家は、どうしてあんなにはりきって、作品の写真を見せたのだろうか。その写真を見た時、すぐに思ったことは、多くの庶民は、まして、目の前にいるインディオの人々は、その作品のあるホテルには一生縁がない。
その作品を見られる人は、高級ホテル代を支払える全く一部の人々にすぎない。
芸術家という職業は、いつだってその時代のお金持ちのためのなぐさめものだった。
キミ子方式で、身近の植物や動物や風景を絵に描いたら、描いたものが愛しく感じられるだけでなく、絵を描いた自分に自信を持つ。自分のすばらしさに気づくだろう。
一時間ほど、岩山をひたすらハアハアしながら登った。自分の体とは思えないくらい呼吸が苦しい。
テポステコ山からは、眼下にテポストランが見え、遠くに山々が連なる。その絶景の展望が見られるところに、一四世紀のマステカ時代のピラミッド型神殿がある。その圧倒的な建物と周囲の風景に心が震えた。
今までの絵は、めずらしいもの、遠くにあるものを描いてきた。その結果、北海道の片田舎にいた 高校生の私は、東京へ、パリへと憧れ、父や母と住んだ土地を捨てた。
遠くの都会に文化があり、自分の住んでいるところは何もない。ただの村だと思っていた。
この村に住んでいる人々が、村に住んでいることを誇りだと思ってもらうために、絵を教えたいと 思った。
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