エッセイ目次

No37
1992年5月4日発行

   
   


トモダチ

 

   
   

 キミコ・プラン・ドウを解説して三年が過ぎ、四年目にはいった。
 例年この場所で、五月のゴールデンウイークを中心に個展を開いている。
 今年は、八王寺に住む、旅行会社勤務の関澤直史さんが「サラリーマンのほろ酔い絵日記」と題して二十三点の作品を展示している。
 五月二日の朝、「キミ子さんに会いたいと人がきています」と会場から電話がかかってきた。行ってみると、七人の男たちが椅子に座っている。どう見ても、絵を見に来た雰囲気ではなさそうなその人たちを見たとたん「キャー!」と叫んでしまった。 私の高等学校時代の同級生七人だった。
 おもわず「高校生の時はお世話になりました」と深々と頭を下げてしまった。
 私は理数系がニガテだった。芸大志望の私は、受験に必要ないものはことごとく切ってきた。最低の出席日数、最低点。とにかく大学に入るために、高校を卒業するのが目的だったからである。
 ところが数学は、卒業のための最低点さえ取れそうもない。一、二年の数学の試験前一週間くらいは、トモダチの下宿に行って、トモダチから特訓を受けていたが、高三の数学は特訓では間に合わないと、トモダチは決断した。
 「カンニングをやろう!そして全員一緒に仲良く卒業しよう」
 そして、数学のできるトモダチ何人かは、すばやく回答用紙を作る係になり、試験中に我らできない者に回す。
 決して満点の回答を全部うつさず、六十%くらい書く。先生の目をごまかすために、試験開始の何分後に、誰かが先生に質問して先生の注意を引きつけ、その間に回答用紙を横の人に渡す。というシナリオを発表した。

 

   
   

 クラス四十人は、胸ときめかせて実行した。
 「私は最後の方だったから、なにやら小さい文字が下の方に書いてあって、それを写そうとしたら、それが「発行所・文化堂」と書いてあったのよ。いそいで消したけど」と、三十五年前の高校最後の数学の話しをした。
  そうすると、七人の男たちは笑った。その中の一人、文化堂副社長のナカジマ君は「文化堂は歌もあったよね。ブンブンブンカのブンカドウ・・・」と歌い始めた。
 あの頃、みんな貧しかった。英語の教科書のアンチョコを一人一冊買えなかった。一冊のアンチョコを小さな文字で書き写し、その日先生にあてられる可能性のある人に一枚十円で売る。
 書く人は小さい文字をキチンと書ける優等生であり、文化堂の社長イシバシ君だ。文化堂はアンチョコ手書きコピー会社だったのだ。 その当時、私の一ケ月の小遣いは五十円だった。その五十円を有効に使うために考えたのは、一枚五円のハガキを十枚買って、十人の友達と文通することだった。だから今でもラブレターを葉書に書くクセがある。

 私の負い目 
 私達全員はカンニングのおかげで無事卒業できることになった。私はその後二年浪人して芸大に入った。そして皮肉なことにイシバシ君は、とうとう浪人一年であきらめて高卒のまま就職した。
  そのことが、ずーっと私の負い目になっていた。
  イシバシ君が東京に来ていることを知った時、お宅におじゃました。 
 二人の息子さんに、「あなたのお父さんはいかに友達を大切にする、素晴しい人だったか。あなたのお父さんのおかげで私は高校を卒業できたのよ。私が芸大にいけたのも、あなたのお父さんのおかげなの。どうぞお父さんを誇りにおもってね。」と言った。
 これだけは言いたかった。この事を言うために行ったようなものだ。
 一生懸命に数学を教えてくれたトモダチの一人は仙台にいる。その彼に会った時も、カンニングの お礼をのべた。彼いわく「僕たちの頃、トモダチを大事にしたよな」

 

   
   

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 七人の男性と高校時代の話しに花が咲いた。
 「一時間だって余分に高校にいくのがもったいないので、いつも日数を数えていたわ」
 「晴れた日はもったいなくて学校なんかには 行っていられなかったわ」
 「定期試験の問題のくだらないこと。解答にあたいしない問題なんか解く気がしないから、いつもギリギリの点」と私。
 それにしても、数学のできないトモダチのためにカンニングペーパーを作り、本人の大学入試に失敗した優等生イシバシくんのことがやっぱり気になる。<私のために、彼は大学に入れなかったのではないかと>
 思い切ってイシバシ君に聞いてみた。
  「イシバシ君、お子さんはその後どうしてる?」
 「それがね、高三の時に突然美術をやりたいといって、結局、芸大のデザイン科に入ったよ」
 「わあ、よかった!」と大声を出していた。これで平等。私は負い目を感じずに生きていかれる。
  「また会おうね」五十代の男たち七人は、それぞれの人生をしょって帰っていった。
 十五分程して、沼田高校一同の名札のついた「デンドロビューム」という蘭が展覧会場に届けられた。びっしりと花のついた鉢植えだ。一つ一つの花に、高校時代のトモダチの顔がダブッた。
   あの頃わけわからず、それでもイッショウケンメイだったなと思った。

   
     

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