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その時、鳥取と島根の区別がついていたかどうか自信がない。
「鳥」と「島」が似ているし、多分わかっていなかったに違いない。 母のふるさとは、「倉吉」と信じていたので、倉吉に出かける前に、大阪にいる伯父に電話をかけた。もし、お墓があるなら、それを見てみたいと。
伯父は「倉吉ではなくて「水尻」だよ。イナバの白ウサギで有名な神社の近くの・・・」と長話しが始まりそうだった。
「倉吉じゃなかったの?」とそっちの方が重大事件。ずっと「母のふるさとは倉吉」といいふらしていたからだ。
倉吉市は彫刻がいっぱいある。一九八五年三月に旧国鉄倉吉線が廃止になり、その線路跡地を「緑の彫刻プロムナード」と題した遊歩道にしたそうだ。
旅にでて街角に立っている彫刻に会うと、必ず、制作者の名前を見るのが習慣になっている。もしかしたら、友達の作品かもしれないからだ。
倉吉陸橋に、小さな女の子がマントを着てうずくまっているブロンズ像がある。
「あっマサミチくんだ」と声をあげた。女の子の像が、なぜマサミチくんなのか。作者が山本正道といって、大学の同級生なのだ。
彼の作品は、横浜の "山下公園 "に「赤い靴をはいた女の子像」という石の彫刻がある。私はまだ、直接見たことがないが、山下公園に行くと、ほとんどの人が、その女の子の像を背景に記念
撮影をするのだそうだ。その記事を新聞などで見知っていた。
ヤマモトマサミチの名前を知らなくても、山下公園の女の子の石像と言うほうが有名である。
彫刻は大学に入るまで、まったくやったことがなかったのに, 油絵科入試の競争率に恐れをなした私は、競争率の低い科を探したのだった。大学に入ることが大切で、専攻科は何でもよい。どの科でも、もし受かれば油絵を描こうと思っていた。そして幸い、彫刻科に受かった。
これも「お金持ちでもないのに、娘を大学にいかせるなんて」という陰口をはねのけ、学費を送りつづけてくれた母のおかげだ。
マサミチくんと山本くんの事を呼んでいたのは、彫刻科二十二名のうち、三名が山本という姓だったからだ。ややこしいので、マサミチくん、ヤマテルさん、ヤマタケさんと三人を呼び分けていて、
今、さて、本名は?と考えると、すぐには浮かんでこない。
大学時代の仲間、マサミチくんの彫刻に出会えたのは、母のエンかもしれない。
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