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週三日だけ、時間は十一時から、昼食をはさんで、二時半までの三時間。絵を描いたり、彫刻をしたりする美術学校が〈キミ子方式・アートスクール〉だ。
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○年齢も職業も様々な人達 我がアートスクールは、五月末が開講日。今年は四期目で八人の生徒がスタートした。 「月曜日」は川合京子担当、「火曜日」は私、「金曜日」は杉山 操担当となっている。 今年の生徒さんは、昨年からひきつづきの十九才のT君、二十七才になったMさん、六十九才のSさん。そして一年目はまじめに来ていたけれど、二年目は来たり来なかったりで東北に住む両親を悩ませていたNさん。 「二年も東京に居たのだから今年こそ田舎に引き上げなさい」と、ついに両親の強いお達し。 「三年目こそ、まじめにやってキミ子方式をマスターして、故郷でキミ子方式の教室を開く」と決意して五月と六月までは来ていた。 久し振りに〔草花の絵〕を描いたあと 「私って、二年前はまったく手が動かなかったんだ。やっと今年調子がでてきたわ」とポソッと言った。 そうなのだ。なぜ彼女は手が動かさず、目ばかり動かして、おしゃべりをしてしまうのかと、私たち講師を悩ませていた。それを彼女自ら気がついた。そして、明るく美しくなって、アートスクールにこなくなった。そして今、ダンサー目指して、ダンススクールに行っている。 |
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今年新人のKくん。
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七ケ国語を同時に学ぼう=ヒッポファミリーのMさんは、ご主人が定期講座を学んで一年、ついにMさんもアートスクール入学だ。 ヒッポのMさんがTくんに 「Tくん「今日は寒い」ってフランス語でなんて言うんだっけ?」という間いに、Tくんは「○X△XX」と言う。「英語は?」「○X△xx△X」と流れるように答える。Mさんは喜んで 「この教室は、絵と語学が学べるわ」とTくんに質問してボキャブラリーを増やしていた。 「いつか沖縄へ帰って、ヒッポとキミ子方式を普及したいわ」と言っていた。それが突然八月に、ご主人が沖縄への転勤が決定した。 Tくんは「日本語より、フランス語や英語の方がスラスラと会話が出来る」と、入学の時に聞いていたので、どんな顔の人かと緊張していたら、すてきな日本の男性だ。 沖縄転勤で去ったMさんの紹介で十二月からUさんが参加。 来年四月には、アメリカのミシガン州にご主人の転勤で行ってしまうというWさんが十一月から三月まで〈いそがなくっちや〉と来ている。 「主婦は最高よ。昼間本を読んだり、好きなことができて」と、おっとり優雅なVさんは月に一度のペース。 「大検が受かったら、九月から又行きます」と、はりきっていた一期生のHくんは、大検に受かり、アナウンサー学院にも受かり、声優になる可能性がぐんと近づき、そちらで学んでいる。
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○描きはじめの一点に思いを込めて 様々な年齢の、様々な事情をもった人が、ふと、アートスクールでふれあう。同じテーマを描いたり、違ったテーマを描いたり、時には、ちょっと話をしたり。 確実なことは、絵を描き作品が残ること。翌週必ずしも会えるとは限らない。 まるで人間の交差点。その交差のひとときを、キミ子方式で絵を描く。 卒業生のMさんのお母さんから 「娘は、アートスクールに行く以前は、毎日ように警察に呼ばれる日々で、電話の度にドキンとしていたのに、絵を描いてからピタリと盗みが止まったのよ。うそみたいに」という話をこっそり聞いた。 彼女は在籍中一回だけ休んだ。その一回分のテーマを、今年ひょっこり現れて描いていった。彼女の中できっちりと全カリキュラムをクリヤした。それは、開講以来四年間、皆勤した生徒が一人いたという、アートスクールの新記録にもなった。 過去に何があろうが、未来に対してどんな不安があろうが、ただ今は絵を描くだけ。描きはじめの一点に、自分の思いをこめて、三原色で色を混ぜて自分の色にして一歩を印すだけだ。 一九九三年の春から始まるアートスクール五期生を募集中。 広島の高校生が願書をもってきた。 「そんな資格もとれないところへいかなくても・・・」と言う、高校の先生の反対に「楽しく生きるための中味を学ぶんです」と、キッパリ言い切ったそうだ。 |
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