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        エッセイ目次 
      
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        私のパスポートには、ニュージーランドの入国印が三つ押されている。 
         日付は一九八八年、一九九○年、一九九二年である。 
         ニュージーランドという国の事は、行くまで全く知らなかった。教えてくれたのは、今は亡き友、バーネットである。 
         私は大事なものしか入れない、古布のパッチワークで出来ているハンドバックから、永い間しまっておいた、バーネットの手紙をとりだした。その手紙は彼女がニュージーランドに帰国する直前に届いた手紙だった。消印は一九八七年六月二日。 
         「キミ子さん、私はまた日本に戻ってきたいです。でも、医者は白血病の疑いがあるので、日本に住むことは、できないだろうと言っています。 
         まだ、白血病の種類は分かっていないのですが、きっと、私は長生きします。でも、この病気は死の可能性もあります。 
         私にとって、はっきりしていることは、恐れていないということです。私は生きたい。だけど、もし死ぬようになったら、私は死の準備をします。 
         もし、私が良くなったら、又日本に来て、あなたに会いたいです。約束していた、八月(キミ子方式全国大会)に、歌を唄えなくてごめんなさい。」 
         この手紙の時から、彼女は五年弱生き、昨年の四月一四日に亡くなった。 
        
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       ○心を許せる友人 
       バーネットと友達になったのは、彼女から英語を習うという口実で彼女の家に、週一回通ってからである。 
         彼女は当時、東京都国立市に、家族と共に住んでいた。 
         日本の公立小学校と、私立中学校に通う二人の娘がいて、公立小学校に通っている下の娘のことで悩んでいた。 
         ある日 
         「これがニュージーランドの私の家、そして庭。庭には果樹園があり、オレンジの木や桃、リンゴの木があり、小川が流れ・・・」と、写真を見せられてレクチャーをうけた時は、猫の額とよくぞ言った我が家の庭と比べて、その広さが見当つかなかった。 
         私は彼女と気が合った。彼女と話して私は、はじめて英語コンプレックスが溶けていくようだった。 
         ミュージシャンの彼女は、英語のレッスン終了十分前はいつも、ギタ−に合わせて、一緒に歌を唄った。 
         彼女の唄う歌は、ほとんど女性によって作られた女性についての歌で、その中のいくつかは、彼女自身によって作られた。 
         エイズの話、同性愛の話、結婚とは何か、男と女が一緒に暮らすということ。日本の女とニュージーラ ンドの女、特に女が生きるということについて、恋人の話、性の話、あらゆることを正直に話合った。 
         その彼女が、二回目のコンサートを国立市で開く寸前に入院し、一週間の検査の結果、白血病であることが分かった。そして、急いで家族共々ニュージーランドに帰国する事になった。 
         翌年。彼女の生きているうちに一度会いたいと、十二月に初めてニュージーランドに行った。 
         彼女の自慢の果樹園に、テントが張ってあった。そこが私のホームスティ先である。 
         テントの裏には小川がある。彼女はウインクして「ここがトイレと洗面所よ」と教えてくれて「ハイ!」と差し出したのは、ロールのトイレットペーパーであった。 
         夜はテントの中で眠り、朝になったら果実園で日光浴をしながら眠り、おなかがすいたら、桃やオレンジやリンゴを木から直接とって食べた。 
         眠るためにニュージーランドに来たという感じだった。 
         ウイークディは、バーネットのパートナーの経営する英語学校に通った。彼女は病気の片鱗もなく元気で、コンサートのための練習を毎晩やっていた。 
         クリスマスは、パートナーの両親がいるハミルトンや、バーネットの実家のオークランドへ行った。 
         どこでもパーティ、パーティ。たくさんの人々を紹介してくれて、にぎやかだった。 
         歯茎の血が止まらなくて、不安に怯えて泣く日もあったが、年末の三十日には、コンサートをやり、私の帰国の日は、四時間かけて車をとばし、飛行場まで送ってくれた。 
         
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       ○どこまでも続く青い空 
       一年おいて、二度目のニュージーランドは、バーネットも果樹園の中の大型テントで寝起きしていた。 
         その前を通る時がたのしかった。よく、果樹園の光の下で、まっ裸で日光浴をしていた。 
         その年のホームステイ先は、日本人のエリ子さん宅だった。 
         彼女は現地の公立学校の日本語の先生で、子ども三人とニュージーランドで生きると決心している人だ。 
         ニュージーランドを去る日が近づいた頃、エリ子さんとバーネットの庭を訪ね、まっ裸で日光浴する彼女と桃を食べながら話をした。 
         〈又、会おうね〉と。 
         翌年はメキシコに行った。 
         その年の三月十四日、私は鳥取県倉吉市へ行っていた。 
         絵の会が始まる前に、会場の前に広がる公園に、太陽がサンサンとあたっていたので、日光浴をしていた。 
         その時、会場に東京から電話が入った。"バーネットが亡くなった"と。 〈鳥取の空は青い!ニュージーランドの空も青いにちがいない〉とショックでつぷってしまった眼の中に、どこまでも続く青空がひろがった。 
         
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       ○共に過ごした時間が 
       バーネットのいないニュージーランドなんて考えられないけど、どんな風景になっているか見たかった。それが今年の旅だ。 
         エリ子さんの家にホームステイした。彼女はここ三年の間に、九エ−カーの農夫になっていた。馬が二頭いて、娘さんと毎朝一時間、海辺から山へと馬を走らせる。馬も犬と同じで、散歩させないと運動不足で太ってしまうのだと教えてくれた。 
         三度目の英語学校は、生徒がすごく増えていて、スイス、ドイツ、オーストラリヤ、韓国、台湾、ニューカレドニアと国籍が広がっていた。初めて来た時は、日本人ばかりだったのがウソのようだ。 
         顔見知りのスタッフや教師たちと再会を喜んだ。が、誰一人としてバーネットのことを口にしない。 
         水曜日の音楽の時間、教師のミス夕−・ロスが、生徒のリクエストに答えてギターを弾き、みんなで唄う。私は彼のすぐ前の席だった。 
         彼の伴奏で、みんなが「イエスタディー」を唄いだした。その歌のやさしいメロディーに耳を傾けていると、バーネットの唄う声が間こえるような気がした。そのとたん、自分でもおどろくほど突然、両目から涙が流れた。 
        〈もう、とめられない〉 
         どんどん流れる。悟られないように下を向いたが、鳴咽がもれる。バーネットと過ごした時間がぐるぐる思い出される。 
         エミ子さんの家から、バーネットの元恋人デビィの家にホームステイ先を変える。 
         デビィには新しいパートナーがいるので「バーネットは、どんなふうに生きたの?」と間きたくてたまらないけど間けなかった。 
         バーネットがいないのに、海は青く、風はさわやかなのだ。何事もなかったように花々が咲いている。 
         その街を去る二日前、バーネットの娘をつかまえて、「ねえ、バーネットの話をして!どんなだったの、死ぬ前は?」と、つめよった 
         十七才の彼女は、しばらく考えるように宙を見つめ、ゆっくり話だした。 
         「彼女は、とってもよい友達だったわ。大切な友達を亡くした。彼女とはなんでも話せたの。特にボーイフレンドのことをね。今はボーイフレンドの事話せる人はいない・・・」とそこまで話して、静かに泣きだした。 
         「ごめんなさい。私、彼女が好きだから、彼女のこといっぱい知りたくて・・・」と言いながら、まだ十七才の彼女に、むごいことを間いてしまったと後悔した。 
         すると彼女は顔を上げ 
         「いいの、聞いてくれてありがとう。誰もバーネットのことを聞いてくれないから、私の中からバーネットが消えていきそうになっていたの。あなたのおかけで思い出したわ」としっかりと言った彼女は、私より数倍大きく見えた。 
         もう帰国がせまっている。その時になって初めて、私がなぜ、バーネットのいないニュージーランドの風景が見たかったか分かった気がした。 
        
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