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        エッセイ目次 
      
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       毎年、四月末からゴールデンウィークに、キミコ・プラン・ドウでは全国でキミ子方式を楽しんでいる人の個展を開いている。 
         今年は「80代の女性四人展」を企画している。 
         きっかけは、奈良県に住む井上宇能さんの話を、大阪の小山恵美子に聞いてからである。 
         二年前のことだった。 
         八十才の井上さんが、脳いっ血で手足が不自由になり、リハビリのために手に輪ゴムで筆をとめて、私の著書『はがき絵の描き方』を見ながら、はがき絵を描いていた。そのはがき絵に 
        「私はもっと描きたいです。御指導お願いします」と書き添えて、小山さんへ送ってきた。 
         小山さんの手元にある、たくさんのはがき絵を見た時、「ふたりだけで見るのはもったいないね。もっと多くの人に見てもらいたいね」と話し、大阪で開かれた〔私にも描けました展〕に特別参加させてもらった。 
         予想通り、宇能さんのはがき絵は大好評だった。 
         絵を描くというのに年齢は関係ない。できれば年を重ねたほうがいい。それに、リハビリのためにキミ子方式の絵は大いに役立つだろうから、もっと多くの人に知ってもらいたいと、東京でも展覧会をやりたいと思った。 
       
       
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        ちょうどその頃、東京に住む、精神科のソーシャルワーカーであり、クッキングハウスを主宰している松浦幸子さんが「八十才の母が絵を描いた」と題して、新潟の過疎の村に住む、絵とはまったく関係なく暮らし、人生を諦めかけている母、二国ノイさんが上京した時に、クッキングハウスで行われているキミ子方式の会で「アカマンマ」を描いた時のこ、とを文章にして本紙に投稿してくれた。 
         しかも、絵を描いた日の夜に娘に語った「冬がくるから、田舎に帰って描いてみようかのう」の言葉通り、田舎に帰ったノイさんは「アカマンマ」を毎日描いて肩が痛くなり、ハリに行って体を整えなければならなかった。その後も、お地蔵さんの絵や、小鳥、少女、木など、昔の思い出を描き続けている。 
         ノイさんの絵は、童画のような素朴画だ。お地蔵さんも小鳥、少女の顔も限りなくやさしい。 
         ノイさんは描いた絵を、自分の部屋の壁に洗濯バサミで、二重にも三重にも重ねて貼ってある。 
         「さちこ、わたしのかいたエをみてください。さちこに(全部)おくるのがさびしいので、おくるのがおそくなってしまいました。はんぷんだけおくります」と絵を娘の幸子さんに送ってくれる。 
         一九九一年のキミ子方式全国大会は、群馬県伊香保温泉で開かれた。 
         その時、松浦親子に参加してもらい松浦さんに、ノイさんが絵を描くようになった話をしてもらった。 
       
         
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        伊香保温泉では従業員さんにも評判になり、真夜中仕事を終えた人が「おばあちやんの絵見せて」と展示場にきた。 
         井上宇能さんはハガキ大の絵。二国ノイさんの絵も、大きくてハガキ四枚大だ。 
         〈二人だけの絵だと、小さな絵だけになるなあ。もっと大きな絵も描く、年草の人がいないかなあ〉と探していたら、埼玉県に住む笠原八重子さんが浮かんだ。 
         群馬県に住む永島直子さんが「なんとか伯母を元気にしたい」と、笠原さんにキミ子方式の話をした。 
         「世の中にある色は三原色と白で混ぜ合わせれぱできるのよ」「もやしが立派な絵になるのよ」「画用紙が足りなければ足し、あまれば切るのよ」とキミ子方式の説明をして「20分つき合って」とお願いし、八重子さんにもやしの絵を教えた。 
         八重子さんはその後「半切りキャベツ」を描き、直子さんを驚かせた。 
         一点から隣、となりと成長の順にという描き方がわかったら、花や野菜を片っばしから描きたくなったそうだ。昔、小原流のいけ花をやっていたとかで、花の組合せ(構図)がみごとだ。何時間もかけて一枚の絵を描く。しかし、草花の絵が多いので、四つ切り大の画用紙におさまってしまう。 
         画用紙を足して、大きな絵を描く年上の人、できれば東京の人を探して行きついたのが、駒場教室にきている平福美恵さんだった。 
         美恵さんは、ポストに入っていたビラを見て、二年前から年10回の定期講座に来ている。四人の中で唯一、キミ子方式のモデルの配列順に描いている人だ。そして、四人の女性の中でただ一人ご主人が健在である。 
         美恵さんも80才になっていないようだ。 
         日頃、絵を描くのに年齢は関係ないと主張しているので、参加者の年齢を間く習慣がない。 
         でも、展覧会のタイトルは「80才の女四人展」と決めていた。 
         〈80になっていない、八重子さんや美恵さんには悪いなあ。「四人で合計三二○才展」というのもピンとこないな〉と考えていた。 
        
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       ○年をとることは恐くない 
       50代の私にとって、70代はすぐ目の前。長崎県で高齢者デイ・サービスでボランティアをしている鳥巣さんは、92才の方に教えたが、私は90代まで生きる自信がない。 
         だからこそ、80代が私の未来の究極のような気がする。希望通り年を重ねても、絵を描き、楽しい人生が過ごせるという証明に、四人の作品展をしたい。 
         この展覧会の話を、人に会うたびにしていたら、日買出版杜の高戸さんが 「ついでに本を作ったらどうですか? 
         これからは、ますます高齢化社会になるから、僕たちにとっても励みになります。本のタイトルは『生きる証』というのはどうでしょう」と言ってくれた。 
         本を作るなら、四人の女性を美しく撮るカメラマンがいないものかと考えた。 
         長い年月上きてきた人は美しい。その上、絵を描いている時はさらに美しい。その姿をぜひ本の中に入れたい。そう思っていたら偶然に見つかったのがカメラマンの川島敏夫さん。彼は年輩の女性を被写体として探していたのだ。 
         いよいよ展覧会に合わせて本ができる。 
         本のタイトルは『80歳の母が絵を描いた』。四人のカラーの作品と、四人のポートレートと私の文章。二千五百円くらいの週刊誌大。一六四頁。 
         この本が出版されれば「年と共に感受性がにぶるから絵が描けなくなる」という美術教育界の常識をくつがえすことができる。 
         感受性は年と共に豊かになる。その豊かな感受性に見合う表現方法がなかっただけだ。 
         「遠くのものは、もう見えないけれど、キミ子方式は近くに置いて、さわって確かめながら描けるから、だから私にも描けるのね」笠原八重子さんの言葉だ。 
         もう年をとることは恐くない。それどころか楽しみである。  
        
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