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「料理に使う野菜は、せんぷ近所のおじさん、おばさんが有機肥料、無鼻薬、減鼻薬で作ってくださったものと"わら"の自家栽培、卵も、もちろん平飼い鶏のものです。 |
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太いハリ、黒ビカリの天井、手づくりのテーブルの食堂には、いろりがあり、赤い火が燃える。そこが一番あったかい。 夜はいろりを囲んで三十代のご主人が
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ボヘミアン時代
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耕さない農業 川口さんには八年程前に再会していた。京都に住む、自然会に熱心な友人からのルートで、川口家に一泊したのだ。
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川口さんの本『自然農から農を超えて」(カタツムリ社)を読むと「耕運機、便利な肥料、農薬、除草剤などを積極的に取り入れ、田植えと収積の時のニケ月だけ休み、あとは絵の勉強をしていた。二十九歳で体をこわす。そこで有吉佐和子さんの『複合汚染」(新潮杜)福岡正信『自然農法』(時事通信)『自然農法・わら一本の革命』(伯樹社)に出会い、自分のおこなってきたことの過ちに気づいて自分の畑で実践する。 今は「赤目自然農塾」でも米づくりを教える。川口さんは言う 「・・・自分のことだけやっていると、気づきに限界があるのです。与える側、教える側、親の側に生きることによって、貫の知恵が働くようになるのだと思います。」 私は三十五歳で、自然のものを、自然の流れにそって描く方法に気づき、玄米食になる。 |
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