エッセイ目次

No50
1993年6月4日発行

   
   


南国土佐へ行こう

 

   
   

一九八二年、ほるぷ出版から『三原色の絵の具箱』全三巻が出版された。当時は、定価四五○○円だった。この本は飛ぶように売れ、今も24刷と刷を重ねている。
 全国にある、主なほるぷ営業所で、この本の説明を営業マン相手にする旅に出ていた。
 四国の高知の営業所に行った時、講演のあと飛行場まで車で送って下さった方がいた。
 小柄で、色あさ黒く、目の輝くチャーミングな女性だ。その方は、キミ子方式の理論編である『絵の描けない子は私の教師』(仮説社)を読ませて頂きますと、胸に抱くように受け取った。

 

     
   

 それが、ほるぷ安芸営業所所長の小松保子さんとの出会いだった。
 彼女は「私は気に入った本しか売らないのです。気に入ったら、徹底して、信念をこめて売ります。その本がいい本かどうか勉強するのに時間がかかるのです。遠山 啓さんの『算数大好き』シリーズ、あれを勉強するのに時間がかかりましたが、結果的には、よく売りました。
 キミ子先生のこの本、私のように絵が描きたいけれど、描く方法を知らない者には福音書です。でも、いかんせんこの本は安すぎます。私は名刺がわりに、新人の先生にこの本を紹介して喜んでいただいているのですが、できれば、三万円から四万円の間の本を作っていただきたいのです。私たち女性が本を売る場合、何十万円のセットをポンと売るというより、三〜四万の値段の売り方が売りやすいのです」と話してくれた。
 その後、あちこちのセールスマンから「この本は(単価が安いので)迷惑商品だ」という苦情や「絶版になってありません」という噂を流されたりした。この本は店頭販売用の値段で、セールスマンがこの本一冊をお届けするために車を走らせたら完全に赤字なのだ。
 東京に帰るなり、ほるぷ出版の人にこの事を伝えた。そして、三万円台の本を作ろうということになった。
 三年後に『ひろびろ三原色』『彫刻編』『続ひろびろ三原色』として全19巻が出版された。

 小松さんは、ほるぷ営業所のトップセールスウーマンである。あちこちの小、中学校にキミ子方式を紹介して下さり、そこで実践されている先生達の相談相手になり、ときどき私に、生徒の作品の写真とエピソードなどを手紙にして送ってくれた。
 あれから八年。毎年、夏休みの間の一日、小松さんに呼ばれ、高知県安芸市で絵の講座が開かれている。
 この安芸市には、タマイホテルというモダンなホテルがある。その部屋か眺める海が好きだ。最上階のレストランからは、パノラマのように太平洋が広がってみえる。
 私の大好きなホテルだ。好きなホテルのあるところは、仕事がたのしい。  毎年、小松さんとの仕事の打ち合わせの時
 「タマイホテルがとれましたからね」とか「残念ながら、他のホテルで‥‥」と、まずホテルの話から入る。
 お気に入りホテルがとれないことがあった。近くの旅館風の建物にベットが付いて、名前だけは○○ホテルとなっている。私の長男、一郎が私のカバン持ちでついて歩いた時のことだ。宿の女主人が
 「まことに申し訳ありませんが、ダブルの部屋がなくて‥シングル二つご用意しました」という申し出に
 「あっいいですよ。僕たち親子ですから」と一郎が言った。
 そのとたんに
 「まあ、そんな!」と女主人はピンク色に頬をそめて、恥ずかしがって、体をしならせる。
 「本当に親子ですよ」は、私の方が恥ずかしくなって、ぶっきら棒に言った。
 <私の恋人は、もっとステキだ>と不機嫌だった。。

 

   
   

 さわち料理

 小松さん主催の絵の会は、いつも百人は集まる。午前と午後を使って行う。昼休みは、近くのお弁当屋さんからのお弁当を食べながら、キミ子方式実践発表会だ。
 ある小学生は『ひろびろ三原色・彫刻編』の中の「うさぎ」の作り方をメモしていき、学校でメモ通り作ったら、その作品がコンクールで賞をとったという。
 美大の彫刻科を出て、県展に彫刻を出品している方が、一年目にお会いした時は、私を質問責めにし、困惑させたけど翌年は、勤務先の美容学校の生徒と高知一の進学校の生徒との両方にキミ子方式を教え、人間に差がないことを、両方の生徒の作品を展示して証明してくれた。
 毎年八回連続で、同じ町に行っていると、幼児だった子が中学生になっていたり、子どもの成長もたのしみである。こんなに一か所に長年行っているところは、ここだけだ。
 ホテルの楽しみの他に、絵の会の前日に、キミ子方式実践家が七、八人集まり、さわち料理をごちそうになる。サバやトビウオの姿寿司を筆頭に、大皿に盛りつけられたのが並ぶ。さわち料理というのは今の今まで地名だと思っていたら〔皿鉢〕と書いて〔さわち〕と 読むのだそうだ。それで大皿に盛りつけてあるのかと納得した。
 さわち料理は、小皿にとって、他の人に薦めるのがルールらしいと、何回目かに行って知った。私はバイキング料理と同じように考えて、自分でバンバンとるわ、他の人から薦められる小皿をたべるわで、いつもの三倍は食べてしまう。それでもなお、たっぷり大皿に料理が残る。〔どろめ〕〔のれそれ〕という小魚の名前を知ったのも、高知県安芸市。

 

   
   

絵金の見方

 私は異端が好きだ。幕末の土佐に生きた異端の絵師"金蔵"の絵が安芸市の近くにあると知った。郷土史家、近森敏夫氏が"絵金"の研究家だとしった時、安芸行きが、いっそうたのしみになった。
 絵の会が終わってから、小松さんの車で、田んぼの道を走り、小さな板戸のついたお堂に着いた。
 近くで農作業している70代の男性が、お堂の鍵を開けてくれた。
 お堂の中は、暗くてガランドウ。その隣の真っ暗な個室に、タタミ大の木の箱が立ち並んでいた。
 その中に、ぎっしり"絵金"の絵があった。タタミ二枚分つながっている作品を、お堂までひっぱり出し屏風のように並べて見た。
 夕暮れの寂しいお堂が、人間の怨念、妖怪というか、エロ、グロ、ナンセンスというか人間のおどろおどろしさでいっぱいになった。
 「七月の夏祭りに、街頭でローソクの炎の下で見るのが、本物の絵金の絵の見方」と説明された時
 「その夏祭りの時、絵の会をしましょうよ」と言ったが、未だに実現できずにいる。
 今年のキミ子方式全国大会合宿研究大会は、燃える高知の女たちと高知県安芸市で、八月七日(土)八日(日)九日(月)の二泊三日で行われる。
 太陽いっぱい、夏の海で、今年もお会いしましょう。

 

   
     

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