エッセイ目次

No52
1993年8月4日発行

   
   


梅雨空の下で

 

   
   

 冬のニュージーランドから、暑い夏の東京に帰ってきたはずなのに、東京はニュージーランドと同じくらいの寒さ。ニュージーランドで着ていたものと同じ洋服を着ている。
 寒いのに、東京の電車やホテルは冷房がギンギンきいているので、風邪をひいている私には、冬支度が丁度よい。
 一週間、風邪がぬけない。風邪だろうが、腰痛だろうが、約束の仕事はこなさなければならない。
 風邪で体調が良くない時は、物を見ないようにしている。
 ゆとりのある時は、電車んい乗ったら、前の座席にすわっている人を観察したり、立ち話をしている人の話に耳を傾けたり、隣で新聞や週刊誌を読んでいる人の「何新聞か?」「何の本か?」をのぞいたりするのに、それができない。
 多くのものを見ると疲れるような気がして、自分の手持ちの本だけに集中する。それが身を守る安全策になっている。
 調子のいい時は、京王線を新宿で降りて、地下道をくぐり、中央線に乗り換えるあたりから、<さあ、旅にでるんだ!>とワクワクする。
 地下道で出会う人が、みんな旅にでるような、又は南や北の地方から上京してきたにおいを感じて、すかっり私も旅人気分で胸をはる。
 新宿駅から、東京行きのホームに立った頃は、もう完全に、東京の人を捨てるぞという心境だ。
 中央線からの車窓風景も<もしかしたら、これが見納めになるかもしれない、しっかり覚えておこう。桜の花や土手の菜の花も、釣り堀の人も、ボートに乗るカップル。>
 しかし、今日は見ない。
 前の人の足元だけを見て、そのあとに続き、いつもの改札口へ。禁煙車の七号車はこのあたりと、何にも考えず、人も売店も見ず、ボーッとしたまま習慣的行動のみで動く。新幹線の隣の座席の人に興味を持つこともなく。一瞬でもあたたかい席へ移動することばかり考える。

 

   
   

 午前の大阪方面行きはA席。午後はE席。
 私はどんなに疲れていても、太陽の下なら安心して、うつらうつらできる。太陽が大好きなのだ。
 だから電車に乗っても、絶対に陽のあたる側に席をとりたい。飛行機だってそうだ。ホテルは、朝陽のあたる部屋。
 ホテルのフロントで「禁煙、朝陽のあたる部屋」と今回も申し出ると希望に合わせて、部屋を変えてくれた。ホテルは割に熱心に、あれこれ相談して希望に合わせてくれる。
 飛行機の座席を申し出る時では、「陽のあたる側はわかりません」とあきれ顔で冷たく断られたことがある。日本の羽田で。
 飛行機会社で働く人は、日本地図や世界地図広げて、太陽の動きや飛行機の行路を学ぶ授業はないのかな。
 外国では「太陽が好きなので、朝陽を見たい」とか「夕陽を!」とか言うと、ニコッとしてOKと、はりきって、希望に合わせた席をとってくれる。
 不思議でならないのは、飛行機にしても、電車にしても、陽の当たる側にすわっていながら、窓をしめたりカーテンを引いたりする人がいることだ。
 太陽がきらいなら、反対の席にいけばいいのに。太陽があたりたくて太陽側、二番目の席にすわったのに隣人が太陽ぎらいだったら悲劇だ。

 

   
   

お互い幸せになれる

 E席に座り、夕方の講座めざして大阪に向かう。
 今月は、ねんどで作った「かぼちゃ」や「さつまいも」に色をつける課題だ。
 「あの人上手ね。ほんものそっくり。ほんものとまちがえちゃったわ私は色がでないわ」などブツブツいっている生徒さんの声に、はっと気がつく。
 「キミ子方式の絵や彫刻って、やたらに他人の作品がうまく見えるんですよ」と私はいった。
 「そう、そう、あの人もスゴイ。あのグループは‥‥」とワイワイ明るくなった。
 「そんな時は、思い切って『あなたステキ』と言ってみましょう。そうしたら相手も『あなたのもステキよ』と言ってくれわよ」
 その日、あちこちで、自分の考えていることの言語化がはじまった。
 その日の感想文には
 「前の座席の人にほめられました。大人になっても、ほめられるって嬉しい。大人ってほめられることってない日常を送っているのではないでしょうか。」という感想や五十代の女医さんが
 「実は今日、精神的にも身体的にもとても疲れていて、この教室に来ようか休もうかと、ずい分悩んでいました。でも来て、ねんどに色づけし、グループの人たちから、たくさんほめられました。ほめられて、すっかり元気になりました。
 ほめられることで元気になるってことがあるんだと大発見しました」と感想文に書いてくれた。
 実体のないことをほめられたら、おせじで、いやらしいわとなって元気をなくすでしょうが、キミ子方式での作品が、バーンとあるから、それをほめられるから嬉しいのだ。

 

   
   

 作品をつくりながら「他人はどうしてあんなにうまいのだろう」 「私のはダメだな」と二つの考えが同時に浮かぶのだと思う。その時、「私はダメだ!」と表現しちゃうと「私だってだめよ」とくらーいムードになるけれど、「あなたのは、どうしてそんなにうまいの?」と表現しちゃえば「あら、あなたのもうまいなーと思ってたのよ」と言ったりして、お互い幸せになれる。
 子どもは正直で、どんなにきらっているクラスメートでも  「おっうまい!!」と声をかける。
 (このあたりのことは『教室のさびしい貴族たち』(仮説社)がくわしい
 親子で参加している子どもが「お母さん、うまいね」とよく言う。
 「あなたの方がすてきよ」「お母さんの方がすごい」と言い合いになることがある。
 「主人、すばらしい絵を描きましたね。おどろきました」と感想をのべる五十代の方。
 いつだったか、八十代の女性が、だんなさんの絵を
 「うちのおじいさん、上手なモヤシの絵ですね。うちのおじいさん才能あるでしょう」と鼻高々で興奮していた。
 思わず、絵を描いたパートナーを尊敬しちゃったのだろうが、シングルの私としては、うれしくあきれて、ちょっと淋しい。  ニュージーランドにいた、バーネットの二人の子ども達、年齢が近いので、すさまじいケンカを毎日している。
 特に、夕食の片づけをどちらがするかで、つかみかからんばかりのののしり合いだ。それが毎夕食後。
 あまりにもすごいので、居候の私がそのケンカをききたくないので、片づけをしようとすると、両親に反対される。
 その彼女たちが、たった一日、お互いをほめあって、静かな夜になったことがある。
 「色づくり」「毛糸の帽子」の絵を教えた時だ。
 こんなにやさしい言葉も使えるのかというくらい、お互いほめあっていた。
 「自分のはダメだわ」と思ったら他人の作品がすばらしく見えて、そう思ったわけだから、すぐ表現しましょう。
 「あなたの絵ステキ!」って。  絵だけに限らず、洋服も、髪型も、おしゃれも、姿勢も、動きも、考え方も、
 「すてき!」と声をかけて、うっとうしい長びく雨の夏を、さわやかに過ごしたいものだ。
 それにしても、いつになったら風邪が出ていくのでしょう?

 

   
     

TOPへ