エッセイ目次

No59
1994年3月4日発行

   
   


過去は振り向かない

 

   
   

 10年以上も前のことである。
 当時、小学校の図工の産休補助教員をやっていた。
 ある日、ふと思い立って、小学校5年生相手に、似顔絵を教える前に生徒の自由に描いてもらうことにした。
 「あとでゆっくり教えるけど、その前に、自分で描けるところまで描いてみて。時間はどれくらい必要?」と八つ切り画用紙を渡した。
 友達の顔を、鉛筆で描くのである。
 「5分で充分」という子や、「15分」という子、それぞれ描けるところまで描き、描いた時間を画用紙の端に書き入れることにしていた。
 約40名近い子ども違の、名前と時間を書いた作品を集め、新しい画用紙を配った。
 そして、鼻、鼻の下、口、目、まゆ毛、あご、頬、髪の毛の順に教えていった。
 その後、自由に描いた絵と、教えた絵とをセロテープでつないでみた。
 自由に描いた絵は〈マンガチックに描く絵〔A〕〉〈ニヒルに描く絵〔B〕〉〈気弱に描く絵〔C〕〉〈健康な顔を描く絵〔D〕〉の4つのパターンに分かれた。その中で、健康な顔に仕上がっている絵は、絵のうまい人の絵で、クラスに二名くらい。
 私が、顔の鼻の部分から、となりとなりと、ものを見ていく描き方を教えたら、全員の絵が〈健康な絵〉〈利口そうな顔の絵〉になったのだ。
 そこで、私は思った。
 「自由に好きなように描きなさい」と、親切そうに聞こえる言葉は、何も教えないで、ただ教室にとじこめているだけという状態である。つまり、教育しないと、いつまでもその子をマンガチックかニヒルか気弱のパターンに閉じ込めたままだということだ。
 私は興奮して、あちこちの研究会にその作品を持ち歩いたので、セロテープがバラバラになり、今ではわが家のロッカーのどこかにしまわれて探すのは難しい。

 

   
   

 それからほどなくして、東京近郊のY市で、先生に吐られた小学6年生の男の子が、ビルの屋上から飛び下り自殺するという事件がおこった。
 原因は何か、新聞やテレビで大騒ぎになった。
 その中で、A新開に自殺した少年が描いた「人の顔」が載った。その絵はニヒルに描かれた人の顔だ。心理学者や評論家はこぞって、「この子は世の中をニヒルに見ていた。だから死を選んだのだ。この絵がそれをあらわしている」という談話が新聞記事をしめくくっていた。
 それを見て、アッと思った。
 〈気の毒に、この子はただ、人の見方、人の絵の描き方がわからず、ニヒルに描くパターンだけをどこかで学習してきただけなのだ。〉
 私のロッカーに入っている、教える前と後の変わり様が分かる絵を探して、自殺した少年の誤解をときたかった。
 もし、その少年が、人間の顔の描き方がわかったら、きっと心理学者や評論家は「こんな絵を描く知的な少年が何故?」となったのではないか。絵で人間心理を分析するのが許せないと思った。
 そう言いながらルーズな私は、わが家のロッカーを探しもせず、産休補助教員も辞め、小、中学校の現場から離れてしまった。
 先日フト思い立って、十年以上前の、その話した。その時になにげなく「どこかの小学校を貸してくれないかしら。私に授業をやらせて、教える前の絵と教えたあとの絵の資料がほしいのよ」とつぶやいたら話を聞いていた杉山さんが 「じゃあ、うちの小学校でやってくれない。交渉してみるわ」と言ってくれた。
 そして、大阪の春日小学校で実現したのである。
 大阪に、時間をとって飛行機で行くのももったいないので、沖縄の仕事帰り、徳島行きの前と決めた。

 

   
   

 10日以上の沖縄滞在は、デパートで「80歳の母が絵を描いた展」と、講演、実技講座、そしてゴルフを四回。沖縄のデパートは、二月だというのに冷房がギンギン入っていて、薄着で水着を持っていた私は風邪をひいてしまった。
 大阪での授業開始時間に、私は15分遅刻してしまった。駅の近くのその学校は、一方通行が多く迷路のようになっていて、道をまちがえたのだ。
 春日小学校の4年生は、教壇の下にもぐったりして遊んでいた。教室の後ろには、どこで聞きつけたのか大人の見学者が10人くらいいた。
 「ごめん!道まちがえちゃって。さあ座って−」が私のはじめての言葉。  まず、四つ切りの画用紙を半分に折って、右半分に友達の顔を自由に描いてもらうことにした。時間は5分。
 「エ−」とか「イヤダョー」とか言わず、ざわざわしながら、なにやら描こうとしたり、ハタと友達の絵を見ようとしたりして「困るよ」も「デキナイョー」も言わず、何もできないふう。首をかしげたり、頬杖をついたり。
 〈そうだ、自由に好きなようにやってごらんと言うと、こんなふうになるんだった。一見考えているふうで、実はただ困っているだけなのだ〉
 5分たった。あごのリンカク線は全員描けている。
 「あとでちゃ−んと教えるから、今、描けるところまで描いてみて」
 ちょっとでも描けている人を見つけると「うまい、うまい」と励ました。「もう7分たったからやめようか」と言うと「もう、ちょっと」と粘るのだ。
 クラスのうしろの真ん中込りに、おとなしそうな顔をした男の子が、〈ニヒルな顔〉を描いていた。
 思わず、Y市の自殺した少年を思い出し心が痛んだ。

 

 

   
   

 さて、15分遅刻して、10分自由画を描いて、あと20分で終わるのかと不安もあったが、いよいよ鼻からキミ子方式で描くことを教えた。
 口のあたりを描くころになり「下唇と上唇の間の線はまっすぐじゃなくて、山型になっている」と教えると、ある子は「あっ」と言いながら先程自由に描いた絵を、一生懸命直し始める。
 「直さない、直さない。過去はふりむかない。これから描く絵に集中してよ」と言っても、あわただしく消して、描きなおす男の子がいる。
 〈しまった。一枚の画用紙を折って裏と表に描くというのはマズイ〉直す子の気持ちはわかるけど。
 過去と比較して、うまくなった自分を喜ぺばいいのに、過去のおろかさを恥ずかしいと思って、消したり描き加えようとするのだ。
 教えた絵が出来上がった。自由に描いた過去の作品が気になる六人の少年たちは、過去の作品に、ほっぺたに丸やうずまきを描いたり、ひたいにキ印を入れたり、シワを入れたり、ナミダをいれたり、鼻水をかいたりしてふざけることで、自分の過去を茶化した。
 全員男の子だったけど、きっと元気のいい仲間だったのだろう。いたずらマークが共通していた。
 全員の作品を、紙芝居のように一枚一枚めくると、その度に「キャ−!」という笑い声が教室に響いた。教える前の絵と違いがでるほどたのしい。笑いは伝染する。思いっきり腹を抱えて全員が笑った。腹がよじれる程、私も笑った。
 「子どもも、結構見栄っ張りなんだねぇ。おろかな過去を修正しようとあせるより、進歩した自分を喜べたら、生きることがずっと楽になるのにね。絵が描けないって、こんなに屈折してしまうんだ。なつかしいな小学校時代」とマンガチックに書き加えた絵を見て友人はいう。
 今回、私の実験に協力してくれた子ども達の中に二人、自由画を何も描いていない人がいる。一人は、いそいで消したらしく、鉛筆の跡がアゴのリンカク線だけが残っている。
 もう一人は、自由画を隠して、新たに描いたようだ。そこまで過去を消したかったのか。なにくわぬ顔して、よい絵だけを人に見せたがる。この子がもしかして一番屈折しているのかもしれない。
 ビデオ『三原色の絵の具箱』第一巻「もやし」の絵の描き方のところで、一度描いた絵を上から直そうとする人に、私が「直しちやだめ。過去をふり返らない。そのエネルギ−があったら、これから描く未来に向けて」と言う場面がある。その場面がくると、どの教室でも必ずビデオを見ている人達から、たのしい笑いがおこる。
 12年振りの実験は、正しい成果は得られなかった。やはり、自由に描いた絵を回収し、新しい画用紙を配った方がいいようだ。

 

   
     

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