エッセイ目次

No61
1994年5月4日発行

   
   


水泳を習い始めた

 

   
   

 五月から、新しい仲間が〈ホントに絵が描けるかしら?〉とドキドキしながらやってきます。
 私も四月から、水泳教室にいくことにしました。

〈絵のかけない子は私の教師だ〉と気づいたことから生まれたキミ子方式だが、世に出てから十九年がたつ。
 初心は守られているだろうか? 多くの講師たちに伝えられているだろうか? その不安を解くためには私が最もニガテとするものにチャレンジすればよい。劣等生の立場に立てば、きっと「教えること」のヒントがもらえそう。
 そして決心して、二カ月が過ぎたのに全然実行できていない。いや、一度固い決意をして、スイミングスクールに行った。夕方六時頃である。しかし開まっていた。
 〈もしかしたら、つぶれちゃったのかもしれない〉と、そのまま行かずにいた。

 

   
   

 四月のある日、息子が駅まで車で送ってほしいと言う。イヤだなあと思ったけど〈人のために動くといいことあるかもね〉と引き受けた。
  朝の九時である。フト、駅の近くのスイミングスクールを思い出した。
 車を灰色の閑散とした建物に横づけした。人の気配はなさそう。やっぱりつぷれちゃったのかもしれないと考えていたら、一人の男性が来て鍵をカチャリと開けた。
 いそいで、車のエンジンをかけたまま飛び降りて、その男性の後を追った。
 「すみません、カタログほしいんですけど」と声をかけると、その男性は上着を脱ぎながら「お客さんにカタログを上げて下さい」と掃除している若くて、体の細い女性に声をかける。
 「ハイ!ちょっとお待ち下さい」
 入会金八千円、月四回で六一八○円払う。毎週水曜日、午前二時から一時間。あと一時間後だ。
 さあ大変。日光浴用にビキニの水着はいっぱい持っているけど、あれじゃダメそうだし、昔買った水着があるにはあるけど着れるかな。水泳帽もいるようだ。
 タンスの中をひっかきまわしたら、ちゃんとピンクとブルーの水着がでてきた。さらにひっかき回すと帽子らしきものが出てきた。まぁ無いよりいいでしょうと、バスタオルと共にバックにつっこんだ。
 水泳はいいなあ、荷物が簡単だ。水泳帽のカビだけ気になるけど。
 一一時三分過ぎに受付ヘ。
 「はじめてのお客さんを案内して下さい」と男性。
 「ハーイわかりました。どうぞ」と受付嬢が明るく案内してくれた。
 靴箱の鍵を渡され、まずは靴をしまう。次は更衣室のロッカーの使い方を教えてくれる。

 

   
   

 そのロッカーの前に、不安そうな中年の女性が立っていた。
「あなたも初めてですか?」と声をかけたら「そうなんです」と、両手をX字にして水着の胸を隠している。
 私のジョギングピンクの水着はちゃんと体に入った。帽子もカビがナンテンだけど、プールって殺菌用カルキがいっぱい入っているから丁度いいとかぷった。
 ロッカーにいた女性は、私の水着姿をみて 「おたくは泳げるんでしょう? 私、全然泳げないんです」 「私も泳けないんです」でも、いつだって裸に対して差恥心がない動きをするので、水泳の先生とまちがえられる。
 二階にプールがあり、25メートルにラインが二本入って、三つのコーナーに分かれている。初級コースは窓側サイドのようだ。八人くらいの女性が、けのびをして右手をあげてクロールのポーズをしている。
 先生は若い男性。私を見つけ
 「よく泳いているのですか? よく日焼けしていますね。その肌にピンクの水着がよく会いますね」と言ってくれた。
 「泳げないんです。日焼けは日光浴のせいです」と水着をほめられたのに、突然すぎて〈ありがとう〉の言葉が出てこない。先生まで、私を泳げる人と勘違い。
 「まず、歩きましょうか。水の中を大きく歩幅をとり、アキレス腱をのぱしましょう」 「あ、それならできそう」と水に入るが、これが水に入った瞬間「キャアー」とか「フー−」とか緊張のあまり声が出てしまう。
 そして、大股で歩くことが難しい。体がまっすぐ向かない。もう一人の新人さんは、とても上手だ。25メートルを一往復歩いたら 「じゃあ、水に顔をつけられますか? 手足をのばして、やってみましょう」
 これが又難解。水に顔をつけると思ったらもう全身緊張。肩に力が入り、肩を上下したり、腕をへラヘラ動かしたり、深呼吸をして緊張をほぐす。 〈やんなきゃしょうがない。でもつらいな〉
 水に顔をつけ、手足をまっすぐにのぱす。ここまでは出来るはずだと自分をはげます。
 「顔はつけられますね。じゃあ立ち上がり方を教えましょう」と、手足を伸ばした状態から、立ち上がる動作を教えてくれる。

   
   

 教えてくれたその動作は、あちこちの学校で産休教員をやっていた時、学校のプールは入り、この動作がたのしくって、これぱかりやっていたのを思い出した。
 「私、ダメ、出来ない」と先程まで水の中をスイスイ歩いていた新人がつらそうにいう。プールサイドに両手をついて足を伸はずが、手をプールサイドから離すのが怖いのだ。
 「大丈夫。私がもっててあげるから」と、私は先生でもないのに、すぐ先生したくなる。
 彼女の体を横たえ水の中で支える。そこヘホンモノの先生が来られた
 「慣れですからね、すぐ慣れますよ。今度はビート板をもって、顔をつけて足をビートさせてみて下さい」
 「顔をつけて、息苦しくなったら?」と私。
 「その時は顔を上げて、息をすって下さい」と先生。 それを四回くらい
 「今度は片手づつ大きく回しましょう」それも四回くらい。
 水にはちょっと慣れたような気がする。私と新人の女性以外は、皆背泳ぎをしている。
 一一時四五分になったら
 「さあ、水の中を大きく後ろ向きに歩きましょう」これなら出来る。
 「こんどは横向きに歩きましょう」横向きに歩いて、初めて窓の外に新緑の山が広がっているのを発見。空には陽光があたりさわやかだ。プールは入る緊張感で、そのことに気付かずにいた。
 「お疲れさま」「ありがとうございました」
 新人さんに先生は「大丈夫ですよ。絶対泳げるようになりますよ。又この次」と励ましている。
 一時間も温水プールに入っていると体が冷え切るものらしい。プールサイドのジェットパスに入ったら〈あったかい!いい気持ち。しかもバスに陽の光が入って贅沢〉と思った。
 シャワーをあびた。私は着替えが上手にできない。ロッカーの前でペロリと裸になって、洋服着ちゃったけどいいのかな?  帰りの受付で男性が「いかがでしたか?」と芦をかけてくれた。
 「プールから上がって、ブクブクのお風呂に入ると気持ちいいですね。それだけで、うれしいって思いました」と答えた。
 駐車場までの足どりの軽いこと。自分の下半身とは思えない。自宅まで走って帰れそうなほどかろやかだ。不思繊! 「泳げたらなあ、なるかな−。いつかカリブ海で泳ぎたいなあ」と、新緑の山を見てつぷやいた。
 あれ・・これって「絵かけたらいいなあ」「ハガキのスミにちょっと絵がかけたらいいなあ」と言われた方と同じセリフだなと思った。

   
     

TOPへ