エッセイ目次

No62
1994年6月4日発行

   
   


徹夜の翌日

 

   
   

 全国あちこちに絵を教えに行っているが、宿はホテルと決めてから久しい。
 しかし、時々例外がある。ホテルよりも快適な宿、それが名古屋のNさん宅である。
 その日、Nさん宅の台所の目立つところに貼り紙がしてあった。
 〈どんなに楽しくても12時には寝ること。四月二十日〉
 その夜の友人は、エスニック料理のコーディネーターの小川真喜子さん。そして『ふうてんママのオーストラリア』(学陽書房)を書いた奥村典子さん。
 小川さんは、その日の絵のモデルに使った"イカ"をニンニクやセロリや彼女独特の手作りソースを入れて、あっという間にインド風イカ料理をつくってくれた。
 彼女は、エスニック料理のオリジナルを何十種類もつくり、瓶詰のソースなどを名古屋市内のエスニックグッズの店に置いたりしている。
 自分でもインド、チベット、タイ、ネパール、ビルマ、南米など30数カ国に行っている。その国に住み、食べた料理を日本人に合うようにアレンジし、世界の人の食生活の知恵を日本の素材でアレンジし紹介している。
 彼女の作る、世界ミックスエスニック料理をいただきながら、約30カ国の訪れた国とそこで出会う人と食べ物の話。一方、ふうてんママこと奥村さんは未婚の母である。娘をつれて戸籍のない国へ二年間行っていたたのしい日々の話。
 30数カ国を旅した独身女性と、独身のまま子ども生み、その子を連れて戸籍のない国オーストリアへ二年旅した人と、子ども三人つれて離婚し、ヨーロッパやメキシコを旅している私と、結婚して子ども二人いるNさんはベトナムを訪れ、と四人はそれぞれちがう状況。旅した国もちがう。
 共通しているのは、たとえ少数派でも、自分の責任でくっきり生きている人の歯切れのよさ。
 夜のふけるのはあっという間だ。食べ物がなくなれば、フードコーディネーターが、さっと不思議なお茶を作る。
 時々〈どんなに楽しくても12時には眠る〉というビラを横目でチラチラながめ無視し、おしやべりしつつ朝焼けを迎える。小鳥の声を間く。

 

   
   

 翌日、私はNさん宅に近い小学校で授業をやることになっている。三人も見学するという。
 徹夜の翌日授業をするという体験は今までにない。
 寝不足とか、体調が悪い時、気分がすぐれない時も仕事をしなければならない。そんな時、自分にいいきかせる言葉ある。
 「生徒がいて、魅力あるモデルがあり、きちんとした方法−キミ子方式−があるのだから、きっとうまくいく」と。そして、今まではそうであった。
 しかし、もう若者でもないのに一睡もしないで、元気な小学六年生相手に公開授業をするのは、ちょっと勇気がいる。しかし、これも実験である。
 ボーッとした頭のまま、授業時間にはちゃんと間に合った。これは徹夜組のNさんが車で運んでくれたから、そして、すぐ近くの学校だったのも幸いだ。
 小学六年生相手に「似顔絵」を描いてもらうことにした。徹夜組の三人と、その学校の先生達、そして一般の見学者数人とにぎやかな見学者が見守る中で。
 大阪で小学四年生相手に同じ授業をした時は、画用紙を半分に折ってはじめ半分の画用紙に自由に描いてもらい、その後、残りの半分に指導した絵を描いてもらったら、自由に描いた絵の上にラクガキをしたり、消して直したりしたので、今回は、自由に描いた絵を回収することにした。
 いつものように、10分ほど自由に描いてもらった。
 男の子と女の子が向かい合うことになった。小学六年生だから男と女が見つめ合う、奇妙なムードが流れた。決して相手を見ようとしないカップルもある。
 しかしこちらは寝不足である。ボーッとした全体しか見えない。真ん中込りに、ちょっとかわった男の子もいたが、ボーッとした霧の中のような私の頭では、どの子もみんなすてきな子。鼻→鼻の下→ロ→左目→右目→左まゆ毛→右まゆ毛→あご→ほっぺた→耳→髪の毛の順に一つ一つ描く。
 やっぱり、2時間の授業がのびたようだ。途中トイレ休憩もなしだ。
 最後に、教える前と教えた後の絵を並べて生徒に見せる。その度に、「ワアッ!」と歓声があがる。中でも、ことさら教室中がどよめいたのはO君の絵を見せた時だ。
 授業が終わったら、ふうてんママの奥村さんは「涙がでちゃった」とホントに泣き顔なのだ。〈寝不足は人をおおげさにさせるんだ〉
 ところが、Nさんの見学記によると、見学していた人がみんな泣いていたそうだ。

 

   
   

○「似顔絵の授業を見学して」奥村典子

 キミ子先生は、鼻の穴を描くために向かい合っている人の顔を見ようと説明している。と、隣で見学していた校長先生が担任とコソコソ目くばせしてあわてている。向かい合う組みが男と女になっているのだ。
 「前もって聞いて、並び方を変えておくべきだった」と二人の会話。キミ手先生はそんなことおかまいなしに、次々と作葉を指示。とまどい、はみかみながら少しづつ相手の顔を見る時間が長くなる生徒達。
 「お前一年の時、何組だった?」と、はじめて交わす一言葉なのかと思われる会話も間こえはじめ、教室の中にホワンとした空気がただよい始める。
 急いで校長先生が一冊のスケッチブックを持ってきて、私に渡した。そこには人物画(?)が描いてある。年齢は六年生だが、知能は六才位の男子生徒のものだと言う。
 けげんな顔をする私に、校長先生は教室の中の一人制服でないスモックのような服の生徒を指して
「授業をみんなど一緒に座って受けていることに驚いている」という。
 私は制服に反対してがんばっている素晴らしい生徒が一人いるのだと思っていたので、私の方がビックリする。
 キミ子さんの指導の目と手は、その生徒にやさしくそそがれる。彼はうれしそうに、ほんとうにうれしそうに作業をする。
 担任と校長は"そんなことってあるの!"といわんばかりに落ちつきがない。そして私に彼の日常がどんなに異常かもささやく。
 一人の生徒もトイレに行きだがることもなく、給食の配膳車があわただしく廊下を通るのに、そんなことにも目もくれず楽しそうに絵を描く子ども達の笑顔がステキだ。
 指導前の似顔絵と、キミ子先生の指導の下に描かれた絵を一人一人比べて見て「オー」とか「へえ−」とか驚きの声が上がる。中でもスモックの彼の時は教室がどよめいだ。
 私は感動で涙がこぼれそうになりながら見学している人々を見る。みんな涙ぐんでいる。
 校長先生はボツリと
「絵が描けないんじやなく、教え方なんですね」と言った。
 授業後、校長室で休憩しているキミ子先生の前にニコニコ顔で現れたスモックの彼は幸せそうだった。
 豊田市立衣丘小学校六年一組の生徒にとって、この日の絵の授業はきっと宝物になるだろう。

 

   
     

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