奄美大島スケッチ旅行に向けて 「奄美を夢みて」

関澤澄子 東京都・キミコ・プラン・ドウ講師

○田中一村の奄美大島へ
  夢、希望、意志または計画、どれも未来へ向かった言葉だ。「行けたらいいな」「行きたいな」「行こうと思う、行こう」と言い換えてもいい。次第に実現度が高まっていく。

 一九八四年十二月、子ども達と朝ごはんを食べながら見ていた、NHK教育テレビ「日曜美術館」は〈黒潮の画布ー異端の画家・田中一村〉というタイトルで始まった。
初めて聞く画家の名前だった。作品も、見たこともない雰囲気の、熱帯の植物の絵で、四十五分間では何だかびっくりしただけなので、その夜八時からの再放送を心待ちにして見た。田中一村が世に知られた時だった。
  あの時私は三十三歳で、育児真っ最中だった。田中一村の描いた奄美大島へ「いつか行けたら」と思った。奄美を夢みてから十八年の間に、私の思いと環境が少しずつ実現に向かっていた。
  ニ〇〇一年秋に、田中一村記念美術館が奄美大島にオープンした。
  翌〇二年は次男が学業を終え、私も学費を卒業するので「来年春、行こう!」。そう決心したらうれしくて、たまたますぐ行ったK市教室で、昼食時に生徒さんに話したら、Kさんという男性が、十年ほど前に奄美大島に住んでいた、という。
  「裁判所の調査員で赴任し、長女は奄美で生まれて・・・。今は羽田からすぐで、日帰りもできますよ」と、たくさん奄美の話を聞いた。Kさん家族とは長いお付き合いだったが、初めて聞く話だ。偶然てすごい。
  まだ、奄美への行き方や、どんな所か調べていなかったのに、いっぺんにわかってしまった。一村関係の資料とはまた別の最近の奄美情報で、かなり魅力的な島だということがわかった。
  私の夢が紆余曲折しながらも、実現への環境と偶然までが整いつつある。こういうのを「機が熟す」ということか、と思った。
  初めて訪れた奄美で、空港から乗ったタクシーの運転手、中野さんとは今や家族のようなお付き合いをさせてもらっている。こういうのを「ご縁があった」というのだろう。

○チャンスの神様
  行くと決めて心づもりをしていても、簡単に行ける余裕はなかったが、チャンスの神様は前髪しかなく、しかも早く通り過ぎてしまうので、前方から来たら前髪をエイッと掴まなくてはいけない、とかいわれているので、エイッと行った。ああ良かった。
今では私にとって奄美大島は最も天国に一番近い島なのだ。
  私が初めて行った一年後の二〇〇三年二月末から毎年〈奄美大島スケッチ旅行〉を催行していて、二〇〇八年は六回目になる。二月末から三月初めは観光旅行シーズンではないので、静かで穏やかな時期だから絵を描くのにはとても良い。
  参加者の七割方はリピーターで、その人達の誰かは毎回、初参加の人をまるで島の人のように「ほら、ここがステキでしょ」と誘ったりしているのも、なかなかステキなことだ。

○それぞれの奄美
  ホテル「ばしゃ山村」は島の海と植物がとてもバランス良く保たれていて、私達はどこへも行かず絵を描くことができる。
  サンゴ礁の潮音を聞きながら海辺で空と海を描く人、陶器工房で三線の音を聞きながら奄美の植物を描く人、奄美の古民家や倉、三線島唄の師匠を描く人、スケッチブック片手に散歩して描く人。オプションを申し込みマングローブカヌー体験をした人、古代焼きの陶芸やお菓子作り体験、絵は一日だけ描き、浜のテラスでゆっくり休む人、それぞれの奄美を楽しみ、味わっている。
  一度参加したら「来年はこうしたい」と思って来年のスケジュールを調整して貯金をする、とリピーターの人達は言っている。だから、帰りの空港まで送ってもらうバスで必ず「来年はいつ?」と聞かれる。
  学校の先生など職業によっては年間スケジュールがあり、チャンスの神様をかなり前から捕まえておかないといけないそうだ。参加者は東京その近県の人が主だが、石川、京都、栃木、遠くは広島、北海道の参加者もいる。年齢も、二〇代から七〇代、最高齢は九〇歳、ヘルパー同伴で熱心に描いて過ごした人もいた。
  毎回参加してそんなに描くものが有るのか?と思われるかもしれないが、描いても描いても描ききれないほどある。
  自分のテーマがあり、同じ題材をずっと描き続けている人、バナナの木を前回実のところまで描いて先端の花を次回描く予定の人、アダンの木と背景の空と海を二回行って仕上げた人もいる。気候の変化で前年咲いていた花が今年は咲いていないこともある。
  鳥は描けないが、ルリカケスが軒下に巣をかけて間近に見えることもある。一村さんが「今日はルリカケスがポーズをとってくれました」と、知人に興奮して語ったように、モデルや人との出会いは、旅先ではことに偶然の要素があり、それがまた旅の楽しさでもある。

○巡りあえたら
  これまで描いていないモデルの一つは魚で、事情があってなかなか調達できなかった。今回は調達できるかもしれない、と私も期待している。確約できないわけは奄美大島の地理的条件に関係がある。奄美は鹿児島の南端、種子島、屋久島と沖縄の中間くらいに位置し、魚は本州の魚アジ、カツオ、マグロ、カンパチなどの南限、熱帯魚アオブダイなどの北限なので、南国でありながら魚介類は豊富で大変美味しい。
  でもキミ子方式で描いて楽しいモデルの魚は奄美では雑魚だ。お店や市場で買える魚ではなく、漁師さんに直接頼んでおかなければならないし、海が時化れば揚がらないだろう。一村さんも、珍しい魚は、大島紬工房の同僚で潜水漁をする人に、捕れたら譲ってもらえるよう頼み、手に入ると工房に臨時の休みをもらって描いた、というエピソードがある。
  もし私が「奄美の魚を描きたいので仕入れてください」とだけ頼んだらマグロやカツオ、小ぶりなのでもカンパチなどを用意してくれるに違いない。立派すぎて描けないけど、奄美の人、ことにばしゃ山村スタッフの方々は親切だから食べるのには極上の魚を用意してくれるに違いないと推測して、私はこの秋、奄美へ行き、夜明け前の漁港を下見してきた。私が求める魚は予想通りとっくに皮をはがされ袋に入ってキロいくらで競りにかけられていた。
  そこで、ばしゃ山村の常務、福崎さんに魚の写真を見せて名前を確かめて調達してもらえるよう頼んだ。「よし、行こう!」と思っている方は、魚と巡りあえたらラッキーです。
  前回初めて行って、楽しくて美味しかったタンカン狩りは、初日に行く予定。乞うご期待。
  これまで、雨に降られたことがなく、一度、三日目スコールにあったが、帰りは満月を見ながら離陸した。奄美は雨が多い。春先は最も雨が少ないとはいえ霧雨は時々降る。天候は予約できないけれども、奄美は雨の美しい島、とも言われているので、雨に巡りあえたらそれも楽しめるように、と思っている。

 田中一村が五〇歳から移住し、生涯をかけて描いた奄美大島。一村さんを惹きつけ、一村さんが絵で魅力を世に紹介した奄美大島へのスケッチ旅行、今回はニ〇〇八年二月二九日から三月二日です。羽田空港より直行便で約二時間、一緒に行きませんか。


●田中一村の本・私のお薦め
▼『絵の中の魂』〔評伝・田中一村〕 著者:湯原かの子〈新潮社〉
▼『田中一村 作品集』〔新版〕〈NHK出版〉