エッセイ目次

No35
1992年3月4日発行

   
   


多様性と多層性

 

   
   

 二月のはじめ、宇都宮市で行われた「文化のまちづくり全国大会」に出席した。
 第三分科会「自然と都市文化」のパネリストとしてである。
 「どうして私が?」と、驚いたものの「都市と自然の共生について語ろう」と呼びかけられたので、それなら、キミ子方式で絵を教えていて見えてきたこと、気になること、考えていることを活かせばいいかなと気楽に考えて引き受けたのである。
 パネリストは、日本野鳥の会・小堀修男氏。グリーントラストうつのみや理事・佐藤文明氏。東京農大教授・進士五十八氏と私。コーディネーターは、地域交流センター代表・佐藤栄治氏である。
 どなたにもお会いするのは初めてである。
 100人近くの分科会参加者を前に、小堀氏は野鳥の生態を観察しながら、野鳥の数が少なくなったことと、種類が少なくなったことを具体例にあげながら説明してくれる。
 グリーントラストの佐藤氏は、留学されていたオックスフォードをはじめ、イギリスのグリーントラスト運動〔グリーントラスト基金で森を買い上げる運動らしい〕の話。今勤めておられる、自治医科大学は、病棟の三倍くらいの森をひかえた病院 である。そのスライド写した。九州の精神病院では、海に病院を建て、治療効果がバツグンである例などを話し、グリーントラストの会員になりませんか、と呼びかけた。
 東京慶大の進士氏は、都市の緑比率は現在○○%で、理想的には○○%で・・・と数字と共に語りはじめた。私は「緑比率って?」とあせったら、材木や農地や芝生を緑といいもちろんゴルフ場の芝生も「緑」の中に入る。
 自然とは、多様性と多層性をもったものをいい、緑比率が足りないからと街路樹を植えてすむ問題ではない。こんなことは二十年前に議論されていることで、しかし二十年前からちっとも変わらず、むしろ、ますます都市の発展と自然の保全のバランスはあやしくなってきているのではないか。だとしたら、なせ議論されつくしていながら、実行できないのか、そこを考えていったらどうだろう、と話された。

 

   
   

○第三の道は・・・

 「都市の発展と自然の保全」一見矛盾するように見えることがあった場合、両方が幸せになる道はないかな、と考えたくなる。
 キミ子方式を考えだした三十五才の時「この世に、絵が描ける人と描けない人がいる」その両方が幸せになる第三の道がないかと、毎日のように昼間の喫茶店のテーブルで、図を書いていた。
 今まで、絵が描ける人が描けなくなって、今まで絵が描けなかった人が描けて喜ぷ、逆の図だけではダメなのだ。第三の遣があるはずだ。
 縦の線と横の線、どちらでもなく両方が幸せになる道。絵が描ける人も描けたと思え、絵が描けなかった人も描けたと喜ぶ道、喜ぷナナメの線。
 子ども途を学校や保育園に送り、家事を片付け、昼食が終わると、読 みかけの本とノートをもって、喫茶店に車を走らせる。窓際の席に陣取 るや一杯のコーヒーを注文し、ドサッと持ってきた本をテーブル、読みぷけた。その時の喫茶店の窓からの光や音楽は、ちょっと目をつぷると今でも間こえてきそうだ。

 

   
   

○多様性の追求

 キミ子方式の絵のテーマは誰でも、いつでも、どこでも手に入るモデルを探す。"安い"という条件も必要である。
 身近を散歩し、根付きの雑草を摘んできてそれを絵に描く事をはじまりにしていたのだ。けれど、東京の区内の小学校に勤めた時に、あたり に空き地がなく、したがってモデルの雑草が生徒の数だけ手に入らない。苦肉の策が「もやし」をモデルにすることだった。
 東京・神田。地下鉄、神保町駅から仮説杜へ行く間に、草花のモデルが摘めた。春はペンペン草、スズメのカタピラ、アカマンマが、仮説杜での絵の講座の時、モデルの心配はいらなかった。ここ十四年。年々空き地にビルが立ち、今では雑草を探すのは無理。
 私が街を見渡すのは、どこにモデルの雑草があるかという目になってしまう。
 街では、雑草が減る速度が早い。今年ここにあったと喜んでいても、翌年そこは皆無ということもしばしぱだ。
 植物だけに限らず、動物のモデルも探すのが難しくなっている。
 「植物」「動物」「人工物」のローテンションが、キミ子方式には必 要なので、これは多様性の追求ということになるのだろうか。

 

   
   

○様々な人がいるから

  進士市の話は続く 「森には様々な樹木や雑草が生えているからこそ森なのです。同じ木を植えたりでは森の機能は果たせない」。その話を間きながら、はがき絵作りの着想をくれた久美子と出会った、府中市の小学校で、生徒たちとお別れの言葉を言うために朝礼台に上がった時のことを思い出した。
 校庭には、絵を教えた様々な子ども達がいる。
 校庭のまわりには、ヒマラヤ杉が同じ大きさ、同じ間隔で並んでいた。
 その対比を見た時 「なぜ、この六ケ月たのしい日々だったのか今わかりました。それは 様々な人が混ざっていたからなんです。だから毎日が楽しかったんです。
 人間てすごい、一人一人が個性的。どうぞ自分のすばらしさに自信を持って生きていって下さいね」私の口から、考えていなかったセリフが飛びだした。
 久美子はどうしているかしら。久美子と同じ学校に行っていたアキラが、今年の年賀状に「東京農大にいっている」と書いてあった。思わず隣のパネラーの農夫教授、進士氏に 「アキラっていう子が農大生なんですよ」と叫んでしまった。 「?」「アキラ、アキラ、小学校の時みどり色のカバンを持っていて・・・私の本『教室のさびしい貴族たち』(仮説杜)に出てくる少年なの」 「何アキラなの?アキラだけじゃ松本さん、わかりませんよ」
 それはそうだと思いながら、小学生のアキラと過ごした日々ばかりか 思い出され、姓が思い出せない。
 一体、キミ子方式の話以外、私に何が言えるのだろう。 会場から質問があった。
 「みなさん木を植えましょうと言うけれど、又一方、落ち葉が雨ドイをふさいで困るから切って下さい。隣の落ち葉で掃除が大変だから切って下さいという苦情が市役所に来るんですけど、具体案は?」  その瞬間、私は『はがき絵の描き方』の落ち葉を描くペ−ジを広げてしゃべっていた。
 「キミ子方式という、安い道具で誰でも描ける絵の描き方があるんです。それで落ち葉を描くと、落ち葉が愛しくなり、落ち葉の掃除が大好きになるんです。隣の家の落ち葉も絵のモデルとして見て「ありがたい」と思うようになります」
 会場は笑った。
 隣の席の進士氏に
 「木は成長の順に描くんです。動物は鼻か目から描くのです。幼児から老人まで、様々な年齢の人が一緒に描くことができるのです」と話したら 「あっそれは強い。多層性ってヤツですよ」と教えてくれた。

 

   
     

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