エッセイ目次

No55
1993年11月4日発行

   
   


貴重な休日

 

   
   

 土曜日なのに仕事がない。
"しめた! 何をして過ごそう。もっともゴージャスに過ごす方法は?"と、その週の月曜日からウキウキしていた。
 結局、いきついた先は、"木曜日に部屋をきれいにしよう。夏物と冬物の衣類を入れ替えよう、そして、土曜日は見違えるような部屋で、ゆっくり窓から外をながめ、コーヒーを飲もう"そう、心に決めた。
 そして、木曜日。 「今年こそ、余分な衣類は捨てるぞ」と、大きなゴミ袋をニつ部屋に入れ・・・。しかし、一つの袋の半分もうまらないうちに木曜日は終わる。
 金曜日。青山女子短期大学「児童文化」の最後の授業。
 清水真砂子さんが私を援護して下さって、もう三年続いていた授業だった。三年前の初めての日「キミ子さんをお呼びするって教授会で言いましたら、反対されまして・・・」と笑われ、私も「やっぱりそうですか」と笑った。
 その日から三年、授業を持てたのは清水真砂子さんの力だ。授業後にする、真砂子さんとのおしやべりがたのしかった。
 それも今日でおしまい。帰宅して ソファーにねころんで、生徒の感想文を読んでいたら胸があつくなった。

   
   


 「色づくりの時、私は小中学校の美術で描いた水彩画を思いたしました。あの時、私は空は青くなくては駄目、雲は・・・と、いつも使う色が決まっていました。だからやっぱり美術の点数も悪くて、二度と絵は描かないと思っていたら、高校で最悪にも美術の選択科目にされてしまい、漫画好きで絵のうまい友達にまで「ヘタ」と言われていました。が、今日〈髪の毛〉を描く授業で、私は少し自分に自信がもてるようになりました。これから、もっともっと自分で描いたり、作ったりしてみたいです。それから、今日のプリント「かいた人はどんな人」(『たのしい授業』No23「描き方を変えれば絵は変わる」カラーグラビア)で見た絵は、とても同じ人が描いたとは思えません。
 心理学に興味がある私は、アメリカの心理学者がいうような、紫を使う時は心が・・・とか、人を殺してる絵を描くのは・・・とか言うのは一概には言えない気がしてきました。ただ、どう描けばいいのか分からなかっただけなのではないかと思います」〔福田志穂)

 「・・・私は絵を描くのが小さい頃から大嫌いだったけれど、このキミ子方式なら、少しは絵が描けるかもしれないど思えるようになりました。キミ手先生は、他の美術の先生から、あまりよく思われていないそうですが、私はキミ子方式はすばらしい方法だと思います。これからもがんぱってキミ子方式を広めて下さい。そして、私のような絵が嫌いだと思っている人に絵を描ぐことの楽しさ、すばらしさを教えてあげて下さい。
 先生から絵の描き方を教えてもらって良かったです」〔副書由香)

 「キミ子方式の授葉は他の授業とまったくちがっていて、自分自身がきちんと参加できるものだったと思います」〔菊日美奈〕

 この感想文は、来週、清水真砂子さんの自宅に見せにいこう。真砂子さんの"彼"がキミ子方式に興味を もって下さり、ぜひ一度描いてみたいとのことなので、修善寺の帰りに寄ることにした。

 

   
   

○素敵な人との出会い

 金曜日の遅い夕食をつくっていると、沖縄の島沖さんから電話があった。 「今日、暮らしの手帳杜別館で、前田順子さんの−沖縄の紅絹から絣や紬など、祖父母、両親、姉妹の古い着物を使って、ハッとするキルトに仕上けた−展覧会を見て来たんです。それはそれはステキでした。私「沖縄から見に来た」と言ったら、とっても喜んで下さって、そして私がキミ子方式を教えているって言いましたら、なんと「えっキミ子方式?」って驚かれ「今はブームだけど、ブームになるずっと前から注目していたのよ。やっぱりキミ子方式よね」と、いわれるんですよ。そして又、もりあがって・・・。すてきな方なので、キミ手先生に紹介したくて・・・」と間いて
〈土曜日はその方に会うことにしよう〉と、決めた。島沖さんと会場で待ち合わせることにした。

 土曜日。
 その日は、台風が去ったあとの晴天だ。こんな日は衣類の整理に最高だな、おぷとんもほしたいし、日光 浴にも最高だし・・・。でも、見知らぬ人、キミ子方式を初期のころから応援してくれていて、すばらしい キルト作品を作る人に会いにでかけた。島伸さんから電話で教えてもらった場所をメモした紙を握りしめて。

 「きらめく紅絹の交響楽」が展覧会のタイトルだ。
 彼女の作品は、家族や自分の記憶を呼び起こす古い着物、繕いの跡、つぎの当たった痛んだ布との対話だった。
 会場に、きわだってさわやかな美しい女性がいたので声をかけた。
 「松本キミ子といいますが・・・」
 「キャー松本キミ子さん! ようこそお来し下さいました。ず−っと昔から目をつけていたんです。あなたの本、ほとんど読んでます。図書館から借りて・・・。これが私のやることなんですが・・・」と会場を見渡しながら恥ずかしそうに頭に手をやる、その仕草がまたチャーミング。
 「昨夜、沖縄の島伸さんから電話で教えてもらって、島沖さん今日も来るはずです」と挨拶した。
 島沖さんが来られて、二階の会場の作品を見ていたら、前田順子さんが来られた。

   
   



 私と島伸さんは、どんな作品を見ても「これ、どこから作ったんだろう?」と、キミ子方式の描き始めの一点のように考えてしまう。
 「この作品は、真ん中から?隣へ隣へと広げていかれたんですか?」と間いてみると
 「もちろんそうよ。出来上がりの大きさは、その時の身体の調子や、リズムて決める。きちっとした四角にすることはない。布はまっ平らって誰がきめたのかしら?布はタラシて、たれたりするものよ。それにこのシワは、長い間のタタミしわだからとれないの。
 青と黄の配色が汚いなどと誰が決めたのかしら。どんな布がその隣にきた方がいいか、置いてみれぱいい。頭の中で考えるとね、自分の頭以上大きくならない。隣ヘ、隣へと無邪気に積み木をするように積み上げていくの。どんな布も美しいの。好きな色だけを選ばない。」
 解説を間きながら、目の前のキルトをみると"これ一つ一つ手で縫ったの、すご−く時間がかかりそう"と思ってしまう。
 「でも、私達50代60代って、意外と時間があるものなのよ。日常生活ではなかなか冒険できないけど、キルトの中ではエイッと冒険できるから楽しいの。ちょっといきずまると、買い物に出て、サンマなんか見てると、あっあの布との組み合わせちょっと気取っているなと気づいたりするの。私、ほんとに楽しくて」話している前田順子さんのまわりに人たかりが出来る。
 「みなさんご存しの松本キミ子さん」と嬉しそうに紹介して下さるが、まわりの人は、私のこと知っていそうもない。 「"一点から隣へ隣ヘ、最後にワクを決める"まるでキミ子方式ですね。それが楽しく作業するコツですね。」「生活全部がそうなるのが理想なんです」という点で、私達は一致する。
 すばらしい作品を見せていただいたお礼に、私の最近刊行の本『三原色で描く・四季の草花』をプレゼン トした。
 「まあ、嬉しい。この歳になって何がうれしいかというと、すてきな人との出会いですね。主人はエンジニアなのですが、定年退職後、水彩画を描こうか、なんて言ってるんですよ。この本見せますわ。図書館にも入れるように言います」
 島中さんが沖縄から東京に出てこなかったら、彼女と私は会えなかった。人との出会いは、ほんとに不思議。
 こうして一年中で、たった一日あいていた黄金の土曜日が、前田順子さんとのすてきな出会いでうまった。

土曜日の夜
 前田さんの作品の紅絹の美しさが忘れられずにいて、黒いブラウスと赤いチョッキと組み合わせて、本棚にぷらさけてみた。捨てようと決意していた絣のモンペやインド綿のスカートが、捨てられなくなった。
  あっ、衣類の整理は、又先にのぴそうだ。

 

   
     

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