エッセイ目次
 

No78
1995年10月4日発行


トンガに絵を教えに行こう

 米子の加藤洋子さんの誘いにのって、名古屋の中根洋子さんも加わり三人で、北京でのNGOフォーラム(世界女性会議)に行ってきた。
 NGOフォーラムにキミ子方式がぴったりだ。
 性差別も年齢差別も民族差別もなく、そこに居合わせる人すべてが楽しめる。楽しいことをエネルギーに、未来を切り開こう。
 そこで便われる言葉に日本語がないので、加藤さんは中国語、中根さんは英語、私はスペイン語を担当することになっていた。しかし、私は四回くらいしかスペイン語を使わなかった。ほとんどが英語の世界であった。

 北京のNGOフォーラムに行くと決めたのは昨年10月。途中で意思が変わるといけないので、年賀状にしっかり書いた。
 4月、仮説実験授業研究会の会員継続のハガキにも、今年の研究テーマの欄は、「北京に行って、キミ子方式を教えるためにスペイン語に集中する、できれば中国語も」と書いた。
 5月からは、スペイン語に加えて中国語のラジオテキストも買う。
 中国語は聞いているだけで気持ちがよい。
 それは、昨年の12月にスペインのバルセロナに行って見た映画の場面が浮かぷからである。
 しかし中国語は、ラジオを間き流しているだけで、全くものにならなかったが聞くのがますます好きになった。
 さて、NGOフォーラムは〈ペんてる〉が、絵の道具一式90人分のスポンサーがなってくれた。
 0年程前のことだ。沖縄の画家、稲嶺教授の推薦で、沖縄造形研究大会に講演に行った。
 その時、ぺんてる(株)の木村きんに会った。
 本科さんは
 「キミ手先生、絵を教えて下さるから(つまり、絵の具を使って下さるから)大歓迎なんです。でも、あの三原色が困るんです。
 「24色をつかいます」「36色を使います」と言ってくださったら、いつでもスポンサーになります」と冗談のように笑いながら言われた。
 それを間いて、私はムッとした。
 キミ子方式から三原色をとったらゼロに等しい。
「描き始めの一点を三原色と自で自分の色をつくる」それがキミ子方式の出発点だ。
 1989年に、キミコ・プラン・ドウを開設した時から、絵の具と筆は〈ぺんてる〉を使っている。
 沖縄で出会った木村さんは、その後、北海道に転勤され、北海道は私の故郷なので気にしていた。
 そして、東京・立川市に、又転勤になった。立川市は、私が20年住んだ日野市の隣の市で、よくラーメンを食べにいったり、喫茶店で原稿を書いたりした、なじみの街だ。
 そんなわけで、ず-っと年賀状を交換していた。
 北京行きを決心した時、本科さんにスポンサーになってもらえないかとお願いした。
 「中国に、現地法人の会社が二つあるので協力できるでしょう」の返事には「ヤッター」

 たくさんの人に絵を教えた。
 韓国、香港、ヨルダン、タイ、ベトナム、中国、アメリカ、ニュージーランド、トンガ、スイス、カザフスタン、イスメニア、エジプト、カメルーン、日本など、分かっている人だけでも、これだけの国の人が絵を描いてくれた。
 三回のワークショップをやったのだが、二回は感想文をもらいそこねた。
 それでも、自分の絵の中に、タイトルと共にしっかり国の名前を下記入れてくれたのは、エジプト、イスメニア。カメルーンの人は、作品の中に住所氏名をしっかり客き込んであった。
 カザフスタンの三人組は、お礼にと言って、自分たちが発行している新聞をくれたが、もちろん文字はその国の文字なので読めない。

 会場のあるファイロー市のホテルに着いてすぐ、安積遊歩さんと出会い、彼女が「通訳必要?」と声をかけてくれた。そして安積さんの紹介で通訳の〈しおむ〉が来てくれたおかげで、私は安心して、キミ子方式の考え方を話した。BTV(北京テレビ)のインタビューにも答えられた。
 中根さんは、キミ子方式ワークショップのポスターづくりに意欲を燃やし、自分の描いた絵をはりつけたポスターを作り、貼り回った。そして翌日、なんとポスターから絵がはがされていた。又翌目、新しく描いたネコジャラシの絵をポスターに貼る。その翌日にはポスターごと盗まれていた。
「絵を描いて」とか「絵がほしい」といわれていたから、盗まれる可能性もあったのだが、困るやら、嬉しいやら。
 加藤さんは、さすが中国語を勉強しただけあって、中国の人とすぐ仲良しになれる。
 会場にはボランティアで中国の大学生がいっぱいいた、その人達に、机を賃してもらったり、バケツを貸してもらったり、水汲みまで手伝ってもらったりした。
 出来上がった絵を展示するには、会場のたれ幕にぷらさげる方がいいと、洗濯バサミを買いに走る。
 最後のワークショップが終わったら、パレットや水入れや絵の具を、絵を描いてくれた人にあけようと決めたら、ビニール袋があった方がいいと買いに行ってくれる。
 感想文をもらおうと感想文の原稿を書いたのは、英語の中根さん。その原稿を「ワープロで打ってもらおう。知人がワープロを持っている」と気づいたのは加藤さん。
 よくぞ、三人の力がそろったものだ。みごとなチームプレイで、初日は会場いっぱいの人があふれ、予定を変えて、一部に分けて入れ替え制にしてもらった。

 ワークショップが終わった頃、夏ワラ帽子をかぶった堂々とした体格の人が来て
 「このワークショップのために北京から来たのに、バスが遅れた」
 「でも、もうワークショップは終わりなのです。次のワークショップの人違のために片付けなくては」と、片付けはしめても、彼女は机に向かい、誰かが使ったパレットをこねまわし、同じ色で、マルを描きながら
 「バスが遅れた、バスが遅れた」と訴える。
 次のワークショップの人が来ていたので、机をテントの外に出す。あと片付けをしながら、彼女に「色づくり」を教えた。そして彼女が絵を描き終えたら
 「ぜひ、トンガに絵を教えに未てください」と頼まれてしまった。
  ニューヨークのすてきな女性やインドの詩人とも知り合いになった。気が会うというのは言葉の壁をすぐ超える。三原色で色づくりをしたらすぐにお友達になれる。
 日本に帰ってきたら、川合京子が9月の末にアメリカへ行くことを知る。
 「ぜひ、ニューヨークのトモダチに会って」とNGOフォーラムてもらった名刺を渡した。積極的な川合京子は、その場で彼女に電話した。
 そして、彼女の名前が「カニー」というのを初めて知った。
 川合京子は、絵の貝セットと本を待って、カニーさんに絵を教えるためにニューヨークヘ行くことになった。
 私も花月のペルー行きはニューヨーク経由にすることにした。

 NHK衛星第一放送「わくわくアウトドアライフ」の録影のため、一日早く帰国したら、東京はすっかり秋になっていた。
  10月19日、夜11時~。再放送は21日昼12時20分~放映します。テレビのある方はどうぞ、アウトドアで絵を描く楽しみを解説しますので、観て下さい。NGOフォーラムで絵を描いてくれたベトナム人からプレゼントされた、ベトナムの安ワラ帽子をかぶって出演します。

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