エッセイ目次
 

No109
1998年5月4日発行


あたらしいことに挑戦

 中学生時代から、スポーツとか体育とか身体モノがきらいだったはずの私が、ゴルフ、スイミング、そして今年は乗馬(引き馬ではない)にも挑戦してしまった。はじめて〈馬ってこんなにかわいい動物だったんだ〉と毛並みにそってなでまわした。
 小学校の頃、〈走るのが早い〉のは、人気者になれた。私は走るのが早かったので、体育の時間はきらいではなかった。
 ところが、中学校から体育が大きらいになった。一列に並び、気をつけの姿勢、そして号令をかけられるなどの軍国調が耐えられない。幸いにも、体育着を持っていかないと授業をやらずにすむので、ずーっとそうして体育の授業をサボってきた。
 〈健康な体に、健康な精神が宿る〉という言葉を体育教師が言って、私をジロリと見ると反抗期のかたまりになった。
 あんなみっともない体育着を着るのは私の美意識に反すると、ますます屈折した。
 高校時代は、遠足、運動会をはじめ体育っぽいことは一切サボった。しかし、一度だけ五〇メートルを走ったことがある。
 ハリガネヤという変わった名の体育教師で、その昔、南部忠平と一緒に走ったという人だ。彼は生徒にちょっと走らせて、走る才能ある人を発見し、育てるのを生き甲斐にしていた。
 私はセーラー服を着て、ズボンをはいて、赤い鼻緒のゲタをはいて、その時だけは真剣に走った。しかし、走る才能は私にはなかったようだ。従姉はその先生によって短距離選手になった。
 そんな私が、大学で野口三千三さんに会ったことから、私の知っている世界がひっくり返った。体操着を着なくても、一列に並ばなくても、気をつけの姿勢をしなくても参加できる授業だった。
 〈がんばれ〉とか〈何度もくりかえし〉というのがないのが信じられなかった。〈気持ちがいい〉とか〈体に聞く〉というセリフが体育の時間に聞けることがうれしかった。
 ある日、布がいっぱいにヒダがある裾広がりで足首まであるスカートをはいて体育の授業に参加した。
 こんな洋服では、さすがの野口さんも何か言うにちがいないと思ったが、野口三千三さんは服装のことは何も言われなかった。
 私は体を動かす度に自分の体が、スカートに合わせて大きく空間の広がる楽しさを発見した。
 野口さんは、卓球の相手をよくしてくれた。私は自分は卓球が上手な人なのかもしれないと思った。きわめつけはダンス。二人一組で踊る社交ダンス。野口さんとスイスイ踊りながら「頭をカラッポにし、身体をふぁっとしていれば、楽しくダンスができるんだ」「なーんだ、ダンスなんて簡単だ」と信じてしまった。
 それから何年かして、スイスに一人旅をした時に、酒場に馬に乗って通ってくるステキな画家と知り合った。ダンスに誘われた。私は大学時代の野口さんとのダンスの良き思い出があるので、よろこんで申し出を受けた。
 ヒサン!。一曲終わるまでなんと長い時間だったことか。何度足をふみつけ、身体をゴテゴテぶつけたことだろう。
 野口さんと出会って、長い間の体育コンプレックスから開放された。
 学生時代は山岳部に入った。昼休みの一時間は、上野公園をジョギング(その頃はマラソンといった)をしていた。
 四十五歳でゴルフ練習所にはじめて言った時、妊婦服のようなワンピースを着て行き、コーチに叱られた。私としては、自由に動ける服を着ていったつもりだ。
 コーチの言う単語と私の知っている単語が、同じ単語でも意味が違うのを知った。〈スポーツ用語〉というのがあって、私はそれを全く知らなかったということを知った。
 野球やソフトボールのバットに一度も球があたったことのないのが自慢の私が、ゴルフの球がクラブにあたって、飛んだ時、それだけで大感激してニンマリしてしまった。今では、外国へ行ったらゴルフをしたいという望みを持っている。
 インドのゴルフ場に行った時に「ハンディは?」と聞かれ「ハンディって何?」と私が聞き返したら「あんたはダメだ」と断られた。そのやりとりを聞いていたキャディさんが「『ハンディは8』と答えろ」と教えてくれた。「ハンディ、エイト」は、どうやらゴルフ場でプレイできる暗号らしいと信じて、その秘密のセリフを使って、インドはもちろん、シンガポールでゴルフをすることが出来た。無知はホントに恐ろしい。
 いまでは〈ハンディ〉という言葉も少しわかり、行動が狭まったけれど、ゴルフができるチャンスがあればいつでもどこでもしたい。
 今年のニュージーランドに、乗馬とゴルフとダイビングが大好きなトモダチがやってきた。
 彼女のために乗馬のできるところはないかなぁと、いつもより念入りに風景を見ていた。
 あった! 私の家から十五、六軒先、徒歩三分のところに。
 今年は私も乗馬に挑戦しようと考えて、旅行者保険にしっかり入ってニュージーランドに行った。だからトモダチに便乗して、私とホーストレッキングに参加した。ホーストレッキングとホースライディングの区別もつかないまま。
 自分に言い聞かせたのは〈緊張しない、身体を楽にして、ファッとさせること〉。いよいよ馬にまたがった。そして、アッという間に落馬した。
 フアッとして馬に乗っているだけだったので、馬が何かのはずみで身体をはげしく動かしたので落ちたのだ。そのおかげで、いかに私が基礎知識のない初心者かということがわかってもらえてよかった。

 「明日から毎日一時間、ホースライディングのレッスンをお願いします」と申し込んで、家にかえってきたが、朝になると緊張して、目が早く目覚める。雨が降っていたりするとホッとしたりした、今日は休みだと。
 そして、その後一週間、雨が続いて、レッスンはお休み。あと帰国まで五日しかない。 〈せっかくの保険、せっかくの落馬がもったいない。でも恐い〉その三つのセリフが頭の中をめぐり、朝のお茶も喉が通らない。朝食なんてとんでもない。新しいことに挑戦するって、こんなに緊張してしまうんだ。
 誰でも絵が描ける「キミ子方式」といっても、はじめて絵を習おうとすると、こんな風に緊張するにちがいない。でも、絵はケガをする心配はないからいいけど、乗馬は失敗すると、骨折なんていうこともあるから恐いんだと自己弁解する。それにしても、これからはもっと絵の生徒さんに、そのところをわかって接しないといけないなぁ。
 三十七歳ではじめてスペイン語を習いに行った時も、いつも手のヒラに汗がじっとりだったし、馬のタズナを握る手も緊張で汗ばんでいる。
 「リラックスして下さいね」と乗馬の先生シエイラは言うけど、リラックスって一番難しい。
 でも慣れました。毎日十時から十一時まで、月曜日~金曜日まで五日間スクールに通って、馬が恐くなくなった。パドックの中を自由に馬を走らせられるようになった。時には山登りも下りもできた。
 子どもの頃、裸馬に無理に乗せられた。恐怖で大泣きしているのに、まわりの大人がそれを見て大笑いした。あの時の悲しさが、いまでは楽しい思い出になった。

 絵の描けないコンプレックス。絵の教室へ行きたいけど恐いという想い。それらが楽しい思いでになるようにしてあげたい。
 まだまだ絵心がないからダメと絵を描くことを拒否している人の数の方が多い。
 そんな人が一人でもへりますように。今年も五月から教室がはじまります。新しいことに挑戦するのは、すごい緊張を要するのだ、と乗馬体験でわかったので、今年の生徒に合うのが楽しみです。
 ところで、キミコ・プラン・ドウを開設して十年めになります。
 ☆先日、アートスクールの卒業制作展の会場で、絵を見にきて下さった方から、野口さんが亡くなられたことを聞きました。野口三千三先生のご冥福を祈ります。
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