エッセイ目次
 

No115
1998年11月4日発行



週間日記

一〇月一九日 月曜日
 女子美術短期大学、美術科教育法の最後の授業だった。あと一日は試験。毎回授業でやったことを誰かに教えてくることを宿題にした。
 五講時の授業が終わって研究室にいたら、「アートセラピー」を教えているという人があらわれた。
 さっそく、仮説社の「だれでも描けるキミ子方式」のグラビアにのっている〈描いたのはどんな人かな?〉の2枚の絵を分析してもらった。
 アの作品にはとても覚えられないような専門用語がならび、なにやら、否定的なムード。イの作品には、芸術的センスがあるという肯定的なムード。自信たっぷりに、ウ、エ、オ、カの作品も分析してくれた。エ、オはやはり、否定的。ウ、カは肯定的。
 「実は、アとイ、ウとエ、オとカは同じ人なのです。ア、エ、オは美術の先生が教えた絵。イ、ウ、カは担任がキミ子方式で教えた絵なのです。」と言ったけど、その後のコメントはなくて、外国人の名前がいっぱいでてきて、その人達と、共同研究している、と自己紹介をした。
 英語、フランス語、イタリア語、スペイン語、ロシア語そして中国語もできるということで、それらの言語で話してくれた。芸大でフラメンコも教えているといって踊ってくれた。美しかった。「母からの相続税が2億円もでいやになっちゃう」には、うらやましくもあり、お気の毒。ともあれ、新しい友達ができたので、彼女の出版物を読む約束をした。
 夜パソコンの使い方がわからず、川合京子から電話で、レクチャーしてもらう。約3時間近く。それから、作業して寝たのは、3時過ぎ。

一〇月二〇日 火曜日
 アートスクールの日。ちょっと曇り日。
 駒場公園で、アートスクール生達は近代文学館を描く。先週描いた形に色を塗る日だ。他にも写生している人がいたが、見ると、どの人もはづかしそうだ。
 五時二〇分から、一川先生のフランス語に行く。
 「フランス語をやって、気持ちが豊かになるかどうかわからないけど、おもしろい話をたくさんしてあげるから、やめるなよ」「フランス語は下品な言葉がいっぱいあります。しかし、私は教えません。現地にいって、覚えてください。ときには下品な言葉をつかわないと、気取ってる、と、ういちゃうこともあるけど、教えません」と、先週は、言っていたのに、今週から、突然厳しくなって、びしびしあてて、答えられないと、「やめちゃえ!時間の無駄だ!」
 私はかろうじて、答えられる、やさしい質問を受けたから、なんとかどなられずにすんだ。全体的に若者が、答えられない。中年の生徒はくいさがっている。
 夜七時から第三火曜日の研究科。その教室には、思わず「ボンソワール、コマンタレブー?」と入っていってしまった。それにしても、キミ子方式のような、誰でも、すぐに、できる、フランス語講座ってないかしら?
 二〇〇〇年にチャドへ行くための第一歩を、フランス語学習から歩き始めた。前途は遠い。夜十二時近くに帰宅、それから、パソコンに向かい、やっぱり、寝たのは、三時過ぎ。


一〇月二一日 水曜日 朝から雨。
 今日は、国際交流基金に報告書を出す日だ。コロンビア行きのスポンサーになってくださったことのお礼をいいながら、資料を机の上に並べていると、課長さんが「こんなに資料を出してくれる方は、いないのです」と小さな声。
 キミ子方式にとても興味をもってくれて、沢山の質問。「美術教育界では、どんな反応ですか?」など。あっという間に二時間近くなり、「今日は、僕の頭をリフレッシュしなければ・・・・・やあショックです。」「ビデオもあります」と伝えたら、「是非ビデオを貸して欲しい」ということなので、送る約束をした。
 夜、カルメンのスペイン語教室のために日野社会教育センターへ。
 カルメンの娘さんの学校へ、絵を教えに行く約束を煮つめることにした。金曜日が私の都合がいいといったら、水曜日の生徒が特別優秀なクラスなので、水曜日にもぜひという。金曜日は二〇人、水曜日は一〇人だそうだ。少ない人数。「どちらのクラスも問題ないよ。ところで、何語で授業するの?」と聞いたら、「それは、まったく問題ないよ。美術の先生の旦那さんは日本人だから」。
 帰り川合京子の家により、おいしいとびきり辛いカレーをごちそうになった。帰宅十一時。

一〇月二二日 木曜日 すっかり、秋が深まって寒い。
 浜松短期大学で、四時二〇分から授業があって、一時四五分の新幹線〈ひかり〉にのらなければならない。その前に、締切の過ぎたミニコミ紙の表紙の絵を描かねばならない。あいにく外は雨。モデルを摘みに外へ行くと、汽車に遅れそうだ。先週、仙台教室からもらってきた、〈むらさきしきぶ〉を描くことにした。やれやれ。
 浜松駅には、大学の先輩の見崎教授が向かえてくれた。
 「みさきさん」と私はいう。みさきさんは「不正脈と高血圧と老人ぼけでめちゃくちゃさ」といいながら、二〇〇坪あるアトリエに案内してくれた。毎年授業に来る度に、みさきさんの仕事を見るのを楽しみにしている。
 「雨の日のレジャーとして、囲碁を始めようと考えている」と言ったら喜んでくれて、「来年は一緒にできるかもしれないね。当アトリエは囲碁教室も併設しているから」。
 さて、本番の私の授業に、ビデオを持ってくるのを忘れた。一〇〇人の女の子達は授業中のおしゃべりがはげしくて、ビデオがなかったらつらいものがある。五、六人のおしゃべりがやまない子がいて、声をはりあげてしまい、喉を痛める。「浜松といえばウナギよね」といって、ウナギをごちそうになった。夜九時に大阪に着く。

一〇月二三日 金曜日 雨。
 毎月一回行きつけの、マッサージ医院へ。
 「足の裏が痛い」と訴えても、あまり相手にしてもらえなかった。十一時半ごろから、お弁当をもって、国立国際美術館へ「日高理恵子」の近作展22を、福井恭子さんと見に行った。その画家は、樹を見上げて描き続けている。福井さんは私の元生徒で、樹の絵を描いている。
 ギャラリーに入るなり、作品の大きさからくる迫力に圧倒される。樹は魅力的だ。ほとんど、実物大ではないかと思われる。白と黒に、樹の太い幹に、うっすらと赤い色が入っている。紙に岩彩とのこと。
 素晴しい絵だったのに、2時間程見ていたら、樹の絵が、落葉したのではなく、枯れている樹のようにみえてきた。どうしてだろう? 福井さんも同意見だったので、雨のなかの万博公園の樹をじっくり、観察しながら歩いた。樹の枝先にもっと、エネルギーを感じる様に、描いたほうがいいのかなー。
 夜 茨木の定期講座。
 この一ヵ月の出来事を伝えた。「キミ子方式から画家になった、杉崎さんの個展を、新宿・高野の画廊へ見に行って、〈おおきなおいも〉作者の市村久子さんに会えたこと。テレビ朝日のトウ・ナイト2の番組で、北野 誠に曇り空の絵を教えたこと。日高理恵子さんの絵を見て、自分の絵と比較してはどうだろう、大きさでは負けるけれど、なかなかいいせんをいっていると思うよ。」といいながら、9月に描いたケヤキの樹に、空と地面を描き加えた。皆さんの作品がみごとなので、この風景に、人間を入れようということになった。来月は子供の写真などをアルバムからはがして、もってきて、それを見ながら、人間を描きいれよう。予定を変えて、風景画を充実させることにした。

一〇月二四日 土曜日 午前は雨、午後から晴れ。
 朝食を終えて、ショパンのノクターンを聞く。
 福井さんにおべんとうを作ってもらって、滋賀県・大津教室へ。大きなニワトリの続きを描く日だ。先月は顔まで描けている。今日は仕上げだ。
 お茶飲む間も、ご飯食べるまもなく、二時間と四〇分格闘。「一点からとなりとなり」のキミ子方式の基礎をわかってもらうのはむづかしい。この教室には、今まで少し絵が描けた人が、多いので、やっかいだ。
 京都発五時一二分〈のぞみ〉に間に合うぎりぎりの時間まで、みなさんはねばる。会場は九時まで借りているそうなので、半数以上の人は、描き続ける。新幹線に乗ったら、ぐったり。しかし、ウオークマンでフランス語を聞いていたら、あっという間に広島へ。ホテル・グランビア泊まり。私の一番好きなホテル。シャワーをあびてから、福井さんの手作りべんとうを食べる。涙がでるほどおいしい。


一〇月二五日 日曜日
 広島教室。
 朝から、東の空が朝焼けできれい。晴れそうだ。ホテルの部屋いっぱいに朝日がさして、洗濯ものがすぐ乾きそうだ。新聞をゆっくり読み、ラジオの音楽を聞く、窓の方に頭をむけ、日光浴も兼ねる。昨年は、この時間滞には、近くのプールに行ったものだが、今日はそんな元気はない。
 チエックアウトタイムの一二時までホテルにいて、それから教室へ。
 江藤五葉さん八十七歳が体調がもどってきて、元気な絵を描き始めた。粘土でにんにくを作る日だ。おおきなにんにくを各自がもってくるように頼んでいた。四時間かかって、にんにくづくりと色付け。生徒さんには休憩があるが、私は四時間ズーッと仕事。終わったら、へとへと。
 そんなとき、自分に言い聞かせる。あと一ヵ月もすると、休暇だ。今年は、フランスへ行って、フランス語を学ぶ。十二月十八日から、北イタリア・スケッチツアーだ。あと六名増えると実行されるのに。どなたか、旅行に行く方はいませんか?
 来週は、本作りのために、水曜日から、韓国に行く。


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