エッセイ目次
 

No127
1999年11月4日発行


どっちにころんでもシメタ

 〈どっちにころんでもシメタ〉という言葉は、『発想法かるた』(板倉聖宣著 仮説社)で知った。
 この言葉を知ってから、私はずっと生きやすくなった。
 誰でも絵が描ける方法「キミ子方式」の一つ一つのモデルや、描き方、モノの見方は、授業がうまくいかない時に発見している。「しまった! なんて生徒を傷つけてしまったんだ!」と自分を問いつめた時に、いいアイデアが浮かんだのだ。〈ワラでもつかむ思い〉をして、はじめて〈ワラ〉が黄金に変わっていくことが多かった。

 私が乗馬をするようになったきっかけは、ニュージーランドで落馬したからだ。
 新しいスポーツをはじめる時〈なによりもリラックスしていることが大事だ〉と思っていた。ゴルフも水泳も、私の偏屈な緊張が、そのスポーツを上手にさせなかった思い出があったからだ。
 私は馬の上にリラックスして乗った。たづなもゆるめ、足の腿もゆるめ、まるで馬の上に物がちょこんと乗った状態だった。
 私を乗せた馬が森へ向かう時、馬のおなかにハエかアブがとまったらしい。馬は虫を振り払うために、大きく上体をのけぞらせた。その反動で、私は物のようにフア~リと地面に落ちた。
 全くケガをしなかった。私の後ろを乗馬していた人が
  「たづなをだらりとせず、きちんと引き、馬の背に足の腿をしっかりつける」と教えてくれたのは、私の落馬後だった。
 「なーるほど」と私は感心して「続けます」と乗馬の先生に言ったが「人を落馬させると馬の方が傷ついているので(神経質になっているので)これ以上遠出は無理でしょう。パドックに戻って、乗馬場の中で練習しましょう」と、パドックに戻った。
 そこで、私は考えた。
 「せっかく落馬したのだから、これを機会に乗馬を習おう」。本当は、友人の乗馬につきあって、一回だけのトレッキングに行くつもりだった。でも、私が落馬するほどの初心者なのだということを、先生に知ってもらったのだから、先生はきっとはじめから丁寧に教えてくれるだろう。これはチャンスだ」
 その時から、毎日一時間乗馬を習い、そのおかげで、イタリア・ローマに行った時も乗馬ができたし、二年目には、ちょっとした障害物を飛べたり、海岸を走ったり、丘を駆けめぐれるようになった。
 私の水泳も、悲しい別れをした男性への思いをふっきるためにやったことだった。でも、今は時間があれば水の中で遊べるようになった。水の中にいることが苦痛だったころに比べれば、すごい上達をしたと自分では思っている。


 先日、私の三男が出稼ぎ先の工場で、右手の中指の先を機械で切り落とすという事故があった。彼が二十六才の誕生日の前日のことである。旅先の宿の友人宅に「保険証のコピーを送って」という電話があった。
 指が一本なくなったというのでなく指先だけなので、大事には至らなかったが、それでも完治するまでアルバイトができない、ペンも持てない。その時に考えた。
 「せっかく怪我をしたのだから、せっかくアルバイトも出来ずペンも持てないのだから・」そして、すぐいいアイディアがうかんだ。
 「スペイン語を学びに、スペイン語学校へ行ったらどう?」と提案した。
 その時、私は十月十八日からのメキシコに向けて、個人レッスンに通っていた。その事務員さんに、私のアイディアを話したら「鉛筆も持てず文字が書けないから、かえってヒアリングに集中していいかもね」と賛成してくれた。そして、私は彼の授業を払い込んだ。
 でも、自分以外の人を動かすことは本当に難しい。彼を大学にいくように、ずいぶんと説得したけど、彼はガンとしていうことを聞かなかった。そして、小さな俳優養成所のようなところへ行った。私がその学校のカタログを見て、?の部分があっても、彼は私に耳をかたむけずに養成所へ行った。そして一年間通い中退した。
 はたして、彼は今回の私のアイディアにのってくれるのか、不安だった。
 私は、自分のスペイン語のレッスンにその学校へ行った時、事務員さんを呼んで聞いた。
 「私の息子はスペイン語レッスンに来ていますか?」
 彼女は出席簿を調べてくれた。
 「大丈夫、二日出席しています」。今日は三日目で休みだから、きっと続くだろう。他になにもできないから、スペイン語学校に行けたのにちがいない。
 この先、どんな人生が待っているかわからないが〈どっちにころんでもシメタ〉の言葉を知っているから、ウキウキと暮らせる。


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