第25回「キミ子方式全国合宿研究大会」

第二十五回「キミ子方式」全国合宿研究大会が、八月九、十、十一日の三日間、私の勤める共栄学園短期大学を会場にして行なわれた。
  私は、今回の大会の募集パンフが、気に入っている。〈みんなが絵が描けるって楽しい〉というコピーだったからだ。
「キミ子方式とは」の文を、『現代育学辞典』(労働旬報社 一九九八年)より転載してある。
「松本キミ子プロフィール」と、スペシャルゲストの「関根秀樹さんのプロフィール」が載っている。私は名刺代わりに、このパンフを持ち歩き、大学や短大中に貼った。
昨年も、同じ会場で大会をした。学長や事務員さんが好意的で、そして今年も気持ち良く、学校使用を許可してくれた。二日間二教室借りて二万八千円である。
 この短大で大会が開催されるメリットは、私が教えた図画工作の授業を受けた五十名の学生が、描いた作品がすべてそろって展示してあることだ。
  図画工作室の外の廊下に、真夏に涼しい感じがするだろうと、ケヤキの木の背景を雪景色にした作品を展示した。
 大会の始めは、私の講演。四月からの授業で描いた作品と、学生とのバトルの日々の話をした。

 今大会のスペシャルゲストは、原始技術史研究所主幹である関根秀樹さんが、絵の具の離しをしてくれた。
「日本画の絵の具も、三原色を混ぜて、全ての色が作れますよね?」という私の質問に、
  「もちろん、顔料に加えるモノ(ニカワや、タマゴの黄身、アラビアゴムなど)によって、水彩絵の具になったり、テンペラ、アクリル、油絵の具、に変わるだけだ」という話を聞いて納得。


○色づくりは〈トンガ方式〉で
 一日目の〈色づくり〉は、テーマにそって「みんなが絵が描けるって楽しい」を体験してもらうことにした。グループになって一枚の作品を作る〈トンガ方式の色づくり〉だ。
 道具が少ない時、何人参加するか不明の時、バラバラを人が集まる時、イヤだイヤだを拒否する人がいる時に、この方法は良い。
 一九九六年に、トンガ王国へ絵を教えに行った。
「トンガは絵の具がない国で、絵を描く人なんかいない」と、トンガを良く知る人に言われたが、私たちはホテルだろうが、市場だろうが、海辺だろうが出会う人みんなに絵を教えたので、四日も過ぎると絵の具も画用紙も足りなくなった。
 そこへ、村から招待されたのである。ブタの丸焼きを作っている間、村の広場で〈色づくり〉をすることになった。
 そこで、ひらめいたのが〈トンガ方式〉。
 カメラマンを除き、われら九名の講師がいる。九人の周りに絵を描く人に集まってもらうことにした。
 一枚の画用紙、一つのパレット、一本の筆。その一本の筆を、一人の人が色を作って丸を描いたら、となりの人に筆を渡し、となりの人が色を作り、とみんなで一枚の画用紙に〈色づくり〉をしようというわけだ。
 ふと気づくと、若い男性の講師のまわりには若い女性が集まり、若い女性の講師のまわりには若い男性。私のまわりに集まったのは、元気いっぱいの幼児から小学校低学年のチビたち。ヒマになるとはずかしさで、すぐ殴り合いのケンカをはじめる。
 一本の筆を回しながら、たくさんの色を作った。トンガの伝統料理であるウム料理を食べるテントに、九枚の作品が展示された。そんな話をしながら、たくさんの色を作ってもらった。その描いた作品の余白を手でちぎって台紙に貼り、タイトルをみんなで考え、グループ全員のサインと日付を入れ、そして会場の壁に貼った。
 この〈グループでの色づくり〉は、初体験の人が多いようだ。

 「四色だけで四十色以上も色をつくることができて驚きました。自分だけでつくるのもよいですが、みんなで一つの作品を作り上げるのは楽しいなと思いました。」〈神奈川・江口洋子さん〉

 「四人で一枚の画用紙、一本の筆、一つのパレットで順番に回していくと、一人が色を置いた時、それを見ていた仲間が「いい色」とか「きれいな色」「あっ、そんな色もあったのね」と感想を行ってくれるので、一緒にやることの喜びが増す。コミュニケーションの良い手段ともなった。知らない人たち同士の交流ができる方法だ。秋に二十周年を祝う会の舞台看板に、さっそくみんなと共同作品にできそうだ。いろんな場面に応用できるのではないか。四人で一つの作業をしたら、ストレスも四分の一ずつにシュアできるから楽だ。楽しい時間でした。」〈東京都・松浦幸子さん〉

 「グループによる色づくり。一人でやるより楽しく、韓国の人たちと交友を深めることができた」〈群馬県・町田佳司さん〉

 「キミ子方式を知ってから二ヶ月くらいしかたたないが、前に一人で三原色で色づくりした時と、三人で一緒にするのとでは、又ちがう感じだ。
 特に、松本昭彦先生と一緒に色を作っていきながら、両国の異質性は感じられず、色という一つの目的に集中してみると、何も考えも必要なく、とにかく楽しかった。無数の色を探して航海する船のように、その深さと広さは無限だった。〈韓国・チャ・ジュド〉
 その夜、ホテルで交流会が開かれた。
  まずはみんなで乾杯して飲み、食べ、それからギターや民族楽器の演奏。自己紹介は遠く韓国から来た人から。韓国から参加の八人は、どの人も挨拶が長い。情熱が伝わる。
 今年の参加者は、今までになく少なかったので、中身の濃い大会になった。子どもが参加していないのが特徴だ。


○イカを描いて自信回復
 二日目の午前中、基礎コースは〈モヤシ〉だ。
 毎年、私がモヤシを教えていた。はじめてのキミ子方式の絵で、落ちこぼしてはいけないという配慮からだ。ところが今年は私は〈イカ〉を教えたくてしょうがない。生徒数も少なそうだ。
 午前中の参加者が描いた〈モヤシ〉の作品が、会場の壁に貼ってある。
 その作品を見ていると、二人は落ちこぼしているように見えた。しかも親子だ。六十代の父と二十代の息子。何と気の毒なことをしたのだろう。
 午後からの〈イカ〉の授業は、私が受け持つ。私は二人を頭において言った。
 「〈モヤシ〉がうまく描けた人は、〈イカ〉は失敗する可能性が大きいです。〈モヤシ〉に失敗した人は〈イカ〉をたのしめるでしょう」。
 そうして、父と子の座る位置を遠くに離した。その息子は「美術学校を出ています。スケッチブックを見て下さい」と見せに来ていた。だから、息子は父を干渉するだろうと思ったからだ。
 イカの上半分を描くのに二時間かかった。ここで休憩して、下半分は三十分くらいで終わるだろうと予想していた。ところが、ネチネチと大人は粘る。結局四時間かかってしまった。
 青年は「キミ子方式は本だけではわかイカの説明をすると、「そうなんですか」と、感激してくれる。
 全員で十六人描いたのだが、上半分描いて、そこで休憩をして、十分に乾かすという、私の指示に三人は裏切り、上半分の胴体と下半分の顔がつながってしまった。ともかく、ほとんどの人が四時間かかって、作品を乾かすために床に広げたまま、イカを描き終えた参加者は、ホテルの迎えのバスに飛び乗った。
 モヤシを上手く描けていなかった青年は
 「私はキミ子方式をまだまだ理解していなかったことを思い知らされました。この画法は、いままで見てきたどの描き方とも違いました。キミ子先生の「生物」に対する観察や構造に対する知識レベルが高い事におどろきました。」と感想に書き、
 「午前の〈モヤシ〉に比べて、おおらかに大きく描けたので、大いに気分がよかったです。先生にちょっと手を入れていただいただけで、感じがすごくいい方向に変わるので、びっくりしました」と、青年の父親が感想を書いてくれた。
 やれやれ、安心して宿泊先に帰れそうだ。
 外に出かけて、動物園で動物を描いたグループを、川合京子が応援に行き、日焼けして真っ赤な顔で帰ってきた。「暑かった、たいへんだった」と

 宿泊しているホテルでは、夜七時から研究発表だ。
 クッキングハウスのキミ子方式の活動が、「絵を描いてリカバリー」というタイトルで、二〇〇六年、富山におけるリハビリテーション学会で発表した時の報告。(本紙NO215 2007年3月号に掲載)
 キミ子方式の絵の会を、月一回続けて二十年。精神障害者のリハビリテーションに、どう位置づけられるのか、科学的に体系づけてみたいと発表した。その学会で大好評だった様子や、当事者の斉藤君の発表。
 韓国の小学校で、キミ子方式を教えている先生の発表。子どもたちの作品や写真はなかったが、子どもたちがキミ子方式に反応してダイナミックに変わっていく様子が、まるで私の本『教室のさびしい貴族たち』(仮説社)のようだった。しかし、画用紙が足りなかったら足すという授業をやっていないようなので、それを必ずするようにと伝えた。
 私の発表は、神奈川県川崎市の鈴木宏子さんが、在日韓国の年老いたハルモニたちに、文字やキミ子方式の絵を教えた。その作品を集めて展覧会をした時の感激を、ハルモニたちが作文にして私に送ってくれた。私はその作文を、私一人が読むだけでは、もったいないので読み上げた。
 大会に参加している神奈川県小田原市の濱 悦子さんが、実際に展覧会の最終日に観にいって、作品に添えられたコメントをメモしてきたので、それも発表した。
 動物園で動物を描く担当講師をした山本 裕さんは、ハングル版『三原色の絵の具箱』のまえがきを、日本語訳にしたものを発表した。
 あのまえがきを書いた時(一九九九年)は、今ほど日本と韓国は近くなかった。それで翻訳者のソン・ヨンミンさんに「日本人の名前はキミ子先生以外、出さないで下さい」と言われていた。
 でも、二回の韓国行きに同行してくれた永田ひろ子さんの協力なくしては、本作りが成り立たなかった。それで、永田さんの名を出して感謝の文を書いた。それがそっくりハングルになっていたことを知り、感激した。自主規制しないで、本当によかった。

○画用紙を足す授業
 三日目、突然、韓国八人組を代弁して、愛知教育大学の松本昭彦さんが来た。
 「夕べ、韓国からの参加者が集まって話をしたら、画用紙が足りなければ足すという授業を受けていないので、木を書くことで体験したい。なんとか教えてもらえないだろうか」と言ってきた。
 その願いには答えなくてはならないと、短大の中庭にあるケヤキの木をモデルに教えた。時間は午前中の二時間しかない。しかし、その短い時間で、彼らはダイナミックに画用紙を足した絵が描けた。特に若い人が、力強く描けるようだ。
 会場に戻ったら、あの青年が「ついに自己ベストの毛糸の帽子の絵ができました」と、うれしそうに私に報告しに来てくれた。その絵は、素直にモデルに向かっている。やわらかな感受性に満ちた作品であった。心から「おめでとう」と言えた。
 今年の全国大会は、この親子がいてくれて、そして韓国からの八人が参加してくれて充実した会になった。
 ところで、来年はキミ子方式全国大会を韓国でやろうと言ってくれている。全国大会ではなく「キミ子方式アジア大会」という名になるのだろうか?



空を見てから