1940年 |
北海道生まれ。 |
1965年 |
東京芸術大学彫刻科を卒業。
学生結婚をして、在学中に母親になっていた。 |
1973年~
1982年 |
産休補助教員、不定期ながらほぼ3~6ヶ月単位で都内各地の小中学校で美術・図工を教える。 |
1975年 |
美術教育についての全く新しい理論・指導法を提唱。これは後に「キミ子方式」と呼ばれるようになったが、美術教育界からは無視され続けた。
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1977年 |
失意のうちにスペイン留学とヨーロッパ放浪。
その間に自分をとりもどして帰国し、産休補助教員を再開。
研究授業の記録をガリ刷りで冊子にすることもはじめた。 |
1978年 |
板倉聖宣氏に出会い、強くはげまされる。
以後、「科学教育の研究会」である仮説実験授業研究会の周辺に「キミ子方式」が一気にひろまった。 |
1980年 |
「美術の授業研究会」を結成し、以来会代表。
仮説実験授業研究会の会員でもある。 |
1982年~ |
執筆と講演・実技講座に専念。
全国に「キミ子方式」で絵を楽しむ人が急速に増加。 |
1988年~
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高崎芸術短期大学(95年まで教授)をかわきりに、青山女子短期大学、浜松短期大学、共立薬科大学、女子美術短期大学などで、大学生にも「キミ子方式」を教えている。 |
1989年 |
「キミ子方式」の教育の拠点として、「キミコ・プラン・ドゥ」を開設。 |
1995年 |
NGOフォーラム(世界女性会議、北京)では世界各国の人びとに「キミ子方式で実際に描いてもらい、喜ばれた。 |
1996年 |
前年のNGOフォーラムが縁で国際交流基金(日本文化紹介助成事業)でトンガ王国を訪問し、「キミ子方式」を紹介。
ニュージーランドで講座を開く。 |
1998年 |
5月:韓国、8月コロンビア共和国を訪問。
主に大学で講座をひらく。
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2000年 |
4月:拓殖大学北海道短期大学保育科で教鞭をとる |
2006年 |
4月:共栄学園短期大学 児童福祉学 教授に就任 |
2006年 |
10月:北海道旭川市・齋藤牧場内にメゾン・ド・キミコ(キミ子方式資料館)開設 |