エッセイ目次
 

No130
2000年2月4日発行


私の人生は偶然の連続 ニューカレドニアからの手紙

 お元気ですか? ニューカレドニアの語学学校の庭で原稿を書いています。
 昨日二十六日に、何と、一ヶ月以上も前に失くした水中メガネを見つけたのです。一体、いつ失くしたのか考えてみたら、先月の十八日か十九日のことでした。
 スケッチツアーの人達と、私の通っている語学学校でスケッチし、翌日、近くの島に行ったのです。その島からの帰りに、私の水中メガネがないのに気づいて、てっきり島に忘れてきたのだとあきらめていたのです。それが、学校の庭にひっそりと落ちていたのです。


 一月二十六日は、ニューカレドニアに三十年以上住んでいるKATSUKOさんという方を中心に、八人くらいの人が集まって、キミ子方式で絵を描きました。
 〈色づくり〉〈モヤシ〉〈空と海〉〈毛糸の帽子〉、そして、二十五日は〈草花のはがき絵〉と、五回が終わりました。
 仲間に声をかけてくれたKATSUKOさんと、どうやって知り合ったかというと、ニューカレドニアの新聞に私のことが紹介されたのです。
 「日本人の五十九歳の女性がニューカレドニアに来て『こんなすばらしい国はない』と感激している」という平凡な内容の記事で、主な内容はオーストラリアとバツヌアからたくさんの留学生を迎えているというものです。
 その日、私は授業の時間に〈偶然〉というフランス語を習いました。そこで若い先生ドルフィンに「私の人生は偶然の連続なのよ」という話をしました。そして、休憩時間にカフェテリアに行ったのです。そのカフェテリアにちょうど現地の新聞記者とカメラマンがいて、オーストラリアとバツヌアの留学生を待っていたのです。
 そこへ私がカフェに入っていったら、他の生徒がまだいなかったので、写真をバチバチ撮られて、インタビューされたのです。インタビューが終わったあとに教室に戻って、昨年十月に絵を教えに行った、キューバで日本人新聞記者と出会った時のことを、先生に話しました。
 キューバに行った際、政府が主催するパーティーに出席することになっていて、その時にカストロ首相と会えるはずでした。その予定でパーティードレスを友人に徹夜で作ってもらったほどです。ところがパーティーが一週間延期されて、私の帰国日と重なってしまったため、カストロ首相には会えませんでした。
 その時に、カストロ首相を取材にワシントン来ていた北海道新聞の記者も、急に仕事がなくなって手持ちぶさたになって、私を取材することになったのです。その記事が十二月の末に北海道新聞に掲載されたのです。
 ニューカレドニアの新聞に、私のことが掲載された翌朝、一人の日本人女性から、私が通っている学校に電話がありました。
 その人が KATSUKOさんです。もう三十年もニューカレドニアに住んでいる方で、だんなさんはフランス人です。
 彼女と校庭のマンゴの木の下で、彼女の三十年の人生話を聞いているうちに「そうだ、絵を教えてあげようか」ということになったのです。KATSUKOさんは普段は新聞の三面記事は読まないそうなのですが、その日の一面には面白い記事がなく、なにげなく三面記事をめくったら、私のことが載っていて思わず電話したということでした。
 その日をきっかけに、この町に住む商社の奥さんやKATSUKOさんの娘さん、学校の先生とエールフランスのスチュワーデス、そのスチュワーデス仲間が三人と公務員を定年退職してからニューカレドニアに来たという、これまた美しい女性などが集まって絵を描きました。
 この人たちはとても熱心です。私の時間は失われましたが、私の学校はプライベートレッスンを受けていて、クラスメートができることもないので、学校での出来事を話せていいのです。
 彼女たちにつれられて絵の具などを買いに行ったのですが、チューブのはグァッシュとイギリス産の高価な水彩絵の具しかなくて、私が持っていった日本の絵の具を使いました。


 私が通っているフランス語学校では、四週間授業を受けます。最初の二週間は問題がなかったのですが、最後の二週間が最低の教師なのです。私は毎日フランス語で日記を書いているのですが、その中に思いっきり抗議の文を書いたので、今週月曜日はスッキリです。
 火曜日は、午前中にキミ子方式を教える授業がなかったので、朝八時に学校へ行き、庭の真ん中にあるテーブルで勉強していたのですが、陽の光が移り暑くなったので、マンゴーの木ではなく、黒い小さな実をつける木の下へ移りました。そこにはベンチがあるからです。ベンチを机にして文字を書いていたのです。そこは海のそばで道路に面しているので、いろいろな人が通ります。そこへ一人の教師が通りかかり「キミ子、こんなところではなく図書館に行ったら?」と言ってくれました。
 「何? 図書館があるの? 図書館があればいいのになぁと思っていたのよ」「じゃあ、案内するわね」というわけで、その人に連れられて行った図書館は、私がいつも通うトイレの近く、事務室だと思っていたところでした。
 その部屋は、中庭に面し、左には海が見えて、なかなかの部屋ですが、前はテラスだったところに囲いの壁を作ったような細長い部屋でした。その部屋には机が二つあり、一つの机には本などがのっていました。
 そして、二人の事務員さんがいて「空いている方の机をどうぞ」と声をかけてくれたので、じゃあこの机を窓側に移動しようと動かしていたら、私の担任のヂェスリンが入ってきました。
 彼女は「ダメよ、冗談じゃない。私一人でこの部屋を使いたいのよ」と言っているふうです。小さなフランス語で、私には聞き取れませんでしたが、他の三人の困りはてた様子からすぐにわかりました。
 そこへ、もう一人の事務員さんが来て「キミ子、カフェテリアで勉強しなさい。そこには大きなテーブルもあるから快適よ」と言ってくれました。そのカフェテリアは、庭も海も見えないのでイヤなのですが、その場の暗い雰囲気から逃げねばなりません。
 私はカフェテリアで日記を書いていました。事務員さんが集まってヒソヒソ声で話しています。話の中で「キミコ」と私の名だけが耳に飛び込んできましたが、気がつかないふりをして日記を書いていました。「あの教師ひどいわね。キミ子を追い出したのよ」と言っている感じです。
 その教師が私の担任に決まった時、二人の秘書や事務員さんが「いい先生だよ」と言っていたので、たのしみにしていたのですが、実は逆だったのです。時間はルーズで休み時間は長い、授業中すぐに事務室にいっちゃう、私が黒板を写していると、雑誌をめくるは・・・。授業中ともかく無言なのです。だまって日記をチェックし、黙って黒板に字を書き・・・。


 今日もまた、休み時間が過ぎても教室に来ないので、学校中を探したら「図書館で調べものなんじゃない?」と事務員さんが教えてくれたので図書館に行くと、他の教師と立ち話をしていました。
 「さあ、はじめましょう」と声をかけて、背を向け一緒に教室に行こうとしたら、彼女はまたいなくなっていました。「あれ?」と、図書館を覗いたら、図書館から直接中庭に抜けられる小さな抜け道があって、彼女はそこを通って教室に向かっていたのです。
 私はあとを追うために同じコースをたどりました。その道にはちょっとした段があり、飛び降りなくてはいけません。私は、飛び降りませんでした。危険なので慎重に地面を見つめながら段をおりました。すると、どこかで見たことのある、みどり色の水中メガネが落ちていたのです。「私が失くしたメガネに似ているなぁ・・・まさか」という心境です。でも、まぎれもない私が失くしたと思っていた水中メガネでした。
 その日の午後遅く、ホームステイ先のコリートが車で迎えに来てくれました。彼女の家はホテルよりも豪華な壺や花々、そしてプールがあるのです。
 あぁ、何カ月振りだろう、両方の目にしっかりフィットしたメガネをかけて、足がだるくなるほどプールで泳ぎました。
 又も、偶然に一ヶ月以上前に失くしていた水中メガネと再会した物語でした。


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