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発行日 |
タイトル |
内容 |
130 |
2000年2月4日 |
私の人生は偶然の連続
ニューカレドニアからの手紙 |
お元気ですか? ニューカレドニアの語学学校の庭で原稿を書いています。 |
128 129 |
1999年12月4日 |
メキシコ・キューバ訪問記
国際交流基金主催-専門家派遣事業 |
メキシコでの一番の仕事は山手の小学校だった。地方から都会にでてくる人々は、山の斜面に小屋を立てて住む。 |
127 |
1999年11月4日 |
どっちにころんでもシメタ |
〈どっちにころんでもシメタ〉という言葉は、『発想法かるた』(板倉聖宣著 仮説社)で知った。 |
126 |
1999年10月4日 |
2000年12月 アフリカ・チャドへ絵を教えに行こう
2000年8月 グァテマラへ |
遂に、アフリカのチャドから招待状がきた。世界中の三原色の国旗の国の中で、最も訪問が困難な国だろうと思われていたチャド国から招待状が届いたのだ。 |
125 |
1999年9月4日 |
"NO" という快感 |
フランス語の時間、実力のない私は全身緊張させて、先生の質問をうける。 |
124 |
1999年8月4日 |
一日玄米四合と、味噌と少しの野菜をたべ・・・ |
「宮沢賢治が好きです」と言うのが、なんだかはずかしかった。賢治ファンが多すぎてあまりにも多数派支持のようで、表だって言えないところがある。 |
123 |
1999年7月4日 |
タイムスリップ |
六月、第四金曜日。
「旭川空港気温16度」の飛行機のアナウンスに、「しまった夏服すぎる」と後悔したが、もう遅い。東京は28度。 |
122 |
1999年6月4日 |
ショーン・マナーさんからの手紙 |
四月の末日、大阪の茨木市に絵を教えに行ったときのことである。
「キミ子さん、ショーンからことずかってきた手紙・・・」と、 |
121 |
1999年5月4日 |
これが絵を見る楽しさ |
昨年一年間学んできた一〇テーマの中から、自分が一番気に入った作品を選んで、額縁に入れて展覧会をしました。 |
120 |
1999年4月4日 |
あなたにとって絵を描くということは? |
「夢を発明した人はたいしたものだ。
夢というものは、あらゆる人間の心をくるむマントの役目だけではない。 |
119 |
1999年3月4日 |
恋愛の技術? |
Y君という青年が、アートスクールの生徒になった。
彼はB服装学院の学生である。「スタイル画が描けないので、何とかしてほしい」ということだった。 |
118 |
1999年2月4日 |
海外スケッチの旅 in イタリア |
この原稿はニュージーランドで書いています。はじめの予定では、今日まで英語でイタリア日記が終わり、それを今日と明日で翻訳して、日本にファックスで送るつもりでした。 |
116 117 |
1998年12月4日 |
あたらしい本ができます |
今、一点から隣へ隣へと描くことの威力に、あらためて驚いている。
一九九〇年に、日貿出版社から出版された『カットの描き方』が、一九九八年に絶版(もう版を重ねない)になるという電話をもらった。 |
115 |
1998年11月4日 |
週間日記 |
女子美術短期大学、美術科教育法の最後の授業だった。あと一日は試験。毎回授業でやったことを誰かに教えてくることを宿題にした。 |
114 |
1998年10月4日 |
三原色の国旗の国コロンビアへ |
一期一会 たった一度の出会い
私が北海道の山の中の小学生だった頃、学校にハモニカおじさんがやってきた。 |
113 |
1998年9月4日 |
10年目の歌津 |
・ほいど・って何?
久しぶりということはわかっていたけれど、十年ぶりだったとは。 |
112 |
1998年8月4日 |
旅日記 |
七月十七日(金曜日)東京は雨で寒かった。午後、大阪伊丹空港に、JALが到着。座席を立ち上がった瞬間、後ろから声がした。 |
111 |
1998年7月4日 |
はがき絵の画集 |
福田泰子さんから『あした天気になぁれ』というハガキ絵の画集が送られてきた。 |
110 |
1998年6月4日 |
韓国で一番必要だった言葉は「ちょっと待って下さい」 |
五月四日は〈キミコ・プラン・ドウ十周年記念パーティー&ありがとうコンサート〉だった。翌日は〈八〇歳の母が絵を描いたーあれから五年ー展〉の最終日。 |
109 |
1998年5月4日 |
あたらしいことに挑戦 |
中学生時代から、スポーツとか体育とか身体モノがきらいだったはずの私が、ゴルフ、スイミング、そして今年は乗馬(引き馬ではない)にも挑戦してしまった。 |
108 |
1998年4月4日 |
イラクとアインシュタイン |
長崎市で美術館を見たあと、佐々町で待つ友人宅へ向かうために車を走らせた。 |
107 |
1998年3月4日 |
祖父の栄光の日々 |
その女性がキミコ・プラン・ドウの教室に入ってきた姿を見た時、悪い予感がした。 |
106 |
1998年2月4日 |
フティヤンガにて |
この文章はニュージーランドのフィティヤンガで書いています。 |
104 105 |
1997年12月4日 |
家族に教える |
もうすぐ一九九八年。気になる年だ。
私が58歳になるからだ。 |
103 |
1997年11月4日 |
不思議な一日 |
日曜日に家にいたときに英語教室の勧誘の電話があった。その教室への見学とその時の出来事をおもしろおかしく書いている。 |
102 |
1997年10月4日 |
コロンビアへ絵を教えに行こう |
98年夏、コロンビアへ絵を教えに行こうと計画、大使館へ行って交渉したりと、じっさいに動き出している様子。 |
101 |
1997年9月4日 |
夏休み日記 |
97年夏の思い出をダイジェストでまとめている。 |
100 |
1997年8月4日 |
69番菊池チエさんのこと |
通信講座で、初めて中級卒業コースを終えた菊池チエさんの個展を見に行った時の話。 |