エッセイ目次 NO70~100

NO15~69  NO100~130 

NO 発行日 タイトル 内容
99 1997年7月4日 キミ子方式全国大会へ行きましょう 金沢 97年の全国大会の開催地「石川県」金沢。学生の時に金沢芸大へ遊びに行った時の思い出話と、金沢の思い出。
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1997年6月4日 集団による色づくり遊び トンガで初めて行った、集団で一枚の画用紙に色作りをする。それを、新潟の福祉施設で実践。
97 1997年5月4日 最後の一枚 97年のゴールデンウィークに開催する「トンガ写真展」へ出展する写真作品の中に、トンガで出会ったハンディのある少女のカットを発見する。その少女との思い出話。
96 1997年4月4日 キミ子方式の絵はね、み~んな金賞なの 群馬県高崎での教室の作品展の時に、小学生が友人から「どの絵が金賞なの」の問い、みんなステキな作品だという表題に、優劣ではない評価が、キミ子方式の一番の特徴なのだという話。
95 1997年3月4日 盲学校での絵の授業 岐阜の盲学校での絵の授業。生徒さんの感想文掲載。
94 1997年2月4日
ひょんなことから インドで展示会を
96年度末に行ったインドでのこと。美術館を回っていた時にその職員から「展覧会をやらないか」と持ちかけられる。その時のこと。
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1996年12月4日 清姫さま 11月3日のスケッチを描こうのイベントにあらわれた謎の女性の話。
91 1996年11月4日 宿題 あなたが学んだことを誰かに伝える 女子美術短期大学へ教えにいくことになった。高校3年の夏に夏期講座で女子美に行った時の思い出から芸大受験、浪人、再受験とその当時を振り返っている。
90 1996年10月4日 雑草賛歌
山形県遊佐町へ実技講座にいった時のこと。公民館脇の雑草のうつくしさを語っている。
89 1996年9月4日 Do not paint free,But paint to be free 96年夏に、キミ子方式を教えにいったトンガの実践報告記事。
88 1996年8月4日 先生と呼ぶのはやめよう 「先生」「生徒」というのは、固定した上下関係を生む。教える側も学ぶ側も常に平等で学び合う関係がキミ子方式にはあるのだ。
86 1996年6月4日 赤は血の色 三原色の国へ 95年12月にいったエクアドルのキト郊外の子ども達にキミ子方式を教える。海外へキミ子方式の普及をする第一弾。この後、キミ子方式を普及に行く国は、国旗が三原色の国にいこうと決心する。
85 1996年5月4日 父・北海道・全国大会 96年夏、北海道での全国大会へ向け、自分のふるさと北海道と、父との思いで話。
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1996年4月4日 我ら熟年、絵を描きはじめる展 自分の可能性を信じて、習い事をすれば、未来はひらけるという話。
83 1996年3月4日 いちごのハンカチ キミ子方式と、まだ名前かついていない頃に東京神田の仮説会館でおこなっていた教室に通っていた「岡崎菜緒子」さんが、自分の遺品として、自分の絵をハンカチにプリントした。そして、外交官夫人だった生徒さんがガンで病床にふしていた時に、ベットの脇にいちごのはがき絵を飾っていたことを思い出す。
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1996年2月4日 スケッチツアーじゃなくてトレッキングツアー? 96年、スケッチツアーで行った、ペルーの思い出話。参加者との出来事をまとめている。
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1995年12月4日 たくさんの花はいりません。
たくさんのものはいりません。

沖縄の市マナカさんから聞いた話。キミ子方式の絵は一本の草花、その派手さはないかしみじみ飽きずに見ることができる絵だ。
79 1995年11月4日 トンガ行き8名募集 北京で行われた、世界女性会議で知り合ったパビロアさんの招待で、トンガへ絵を教えにいくことにした。そのメンバー募集記事。
78 1995年10月4日 トンガに絵を教えに行こう 北京で行われた世界女性会議で出会ったパビロアさんとの思い出話。
77 1995年9月4日 画集を作ろう 通信講座を始めるキッカケ。 通信講座を受講していた、山根築子さんが画集を作った時のこと。 アートスクールの作品を画集にした田中由紀江さんのことにもふれている。
76 1995年8月4日 水産高校へ・イカの授業を 神奈川県逗子市の水産高校へ、イカの授業をしにいった時の話。 この水産高校には友達が勤めていて、行くことになった。
75 1995年7月4日 赤い画用紙
消防自動車を描くin沖縄

沖縄で、消防自動車を描く講座をした時のこと。消防自動車を赤い画用紙を使って描くのは、産休補助教員時代に出会った一人の少女から教えてもらったというそのエピソード。
74 1995年6月4日 感想文を書いてもらうわけ キミ子方式では、受講した生徒から講座の後に必ず感想文をもらっている。その感想文をかいてもらうようになったキッカケは・・・
73 1995年5月4日 絵は描けるけど、もっと学びたい 第6期アートスクール生のこと。竜太郎のこと。 アートスクール生の一人一人の紹介記事。
72 1995年4月4日 何歳からでも絵が描ける・
三原色のフィールドノート出版
95年春に出版される「三原色のフィールドノート」の出版に関してのこと。
71 1995年3月4日 卒業おめでとう。 自分の水泳教室のことをからめながら、卒業していく人へのメッセージ
70 1995年2月4日 スケッチツアー 94年、年末のスケッチツアー「スペイン・パリ」の思い出話。