エッセイ目次
 

No92・93
1996年12月4日発行


清姫さま

 毎年11月3日は、上野公園でキミコ・プラン・ドウ主催の〈スケッチを描こう〉というイベントがある。今年は3日の祝日が日曜日と重なったので、翌日の4日に行った。
 今年の秋は少し早くやってきたようだ。いつもの場所、博物館前のケヤキの大木が黄色に色づいていた。今年は、時々陽もさす、明るいくもり日。
 昨年は、犬を連れた人たちが集まっていて、噴水の片隅に私の本を並べるや
 「あら、私、この前この本、買いましたよ」と『四季の草花』(山海堂)を指差した。
 「えっ!!」と犬連れの仲間たちが寄ってきて、次々と本を買って下さった。今年もその方たちに会えるといいなぁと思いながら、いつもの場所に〈キミコ・プラン・ドウ〉の旗を立て、参考図書を地面に並べた。
 「キミ子さんの赤い服、目立っていいですね」と一番乗りしたのは、信州から友人とやってきた住吉さん。
 ぽつぽつスタッフも集まり、いよいよ空が明るくなり、晴れそうな予感。開始時間も近い。
 秋の上野公園は、博物館に行く人、美術館に行く人が多く、思いがけない人に会える。昨年は、大分に住む、大学時代の山岳部の仲間に会った。
 「キミ子さん」という声が聞こえて、そちらを振り向くと、三人の男性達。秋田から来た人たちで、鳥海山のブナの木を守る会の人たちだった。
 「わたし、毎年、鳥海山を見がてら、遊佐町へ絵を教えに行ってるのよ。前のビギニングニュースに、そのことを描いたんです。」が口火で話しはじめる。私を呼ぶきっかけを作ってくれた池田 肇さんが、共通の友であることがわかった。
 「来年、遊佐町に絵を教えに来られたら、一緒に鳥海山に登りましょう」と言ってくれ、約束の名刺交換。
 その方たちと別れて、どんどんふえてくる通行人を眺めていると、見覚えのある男性が迫ってきた。
 「NHKの丸山です。こんなに人が集まれるのは、やっぱりキミ子方式でしたか・・・」と、90名近い、スケッチブックを持って集まっている人々を見渡す。
 丸山さんは、NHKテレビ「婦人百科」のディレクターで、〈三原色で描く夏の便り〉というタイトルで、はがき絵の描き方を放映した時に大変お世話になった人だ。その時の出演者、漆原万里子さんも、今日は参加している。

 「さて、そろそろ開始時間11時が近づいたなぁ」と、並べた本の傍らに座り込んで、あせって本にサインをしていると、20代後半か30代前半の、化粧をしていない、普段着の散歩姿の女性が
 「わたし、子どもが生まれたら、画描きにするんや、ほう、描き方の本か?」と大声で近づいていた。そして、私の前でもう一度しっかり
 「いいよなぁ、絵。私、子どもが生まれたら、ほんまよ、画描きにするわ」と言い、「ねえちゃん!!」と私に呼びかけた。懐かしい呼びかけ言葉に思わずニヤリとしていたら「ねえちゃん、ぜんぶ本買うたるわ。なんぼやね?」と、はずむ声で言った。
 「全部?」と、焦った私は、
 「ちょっと待って下さい。いくらになるのかな、今、計算します」と言ったが暗算するにも数字が多すぎるので、隣で会費を集めていた坂西さんに「計算機ある?」と電卓を借りた。しかし、私は計算機が使えない。
 左側にいた川合京子に「計算して」とお願いする。
 「ハイハイ、全部ね」と言いながら、計算するが
 「待ってよ、一回目と二回目の金額が違う。あ、あれへんだな。三回目も又違う。ダメだ、誰か計算とくいな人?」と、隣にいる鎌田さんに計算機を渡した。
 「私も得意じゃないわよ」と言いながら計算してくれている。彼女は私のクラスの生徒で、前に事務員をしていたから、計算は川合京子より信用がおける。
 「3万6千・・・」というや、彼女はポケットから一万円札を四つ折りに重ねたのを出し、数えた。4枚あった。3枚目まではいきおいよく数え、あと一枚はちょっとだけ躊躇していた。
 川合京子と鎌田さん二人が、又、計算を繰り返していた。そして「3万6千・・・」と、合計額を告げようとすると
 「ええわ」と自分に言い聞かせるように言い「ハイ4万。つりはいいわ」
 「そんな・・・、ただいまおつり用意します」と川合京子。
 「ええったら。なんなら、あれ(と、スケッチブックを指差して)適当に入れといて」
 「ハイハイ、あっサインしましょうね。お名前は?」と私。
 「名前は清姫というんよ。清姫」 
 「あのー、清い、お姫さまですね」と私はいいながら本にサインをはじめた。何しろ20冊以上ある。
 もう開始時間になっていたので、ますますあせって、サインを続ける。
 「サインしといてな、後で、取りに来るさかい。ちょっと、預かっててんか」
 「わかりました。ありがとうございます」と、彼女の後ろ姿を見送りながらあわただしくサインを終え、黒板のまわりに集まっている参加者の前にいそいで立つ。イベントの開始だ。

   ケヤキの大木の下に黒板を置き、チョークで描き方の説明をする。
 3年前に初めて黒板を使って説明をした文化会館前では、道行く人が、生徒にまざって、私の描き方の説明に熱心に耳を傾け、こっそり自分の手帳を出して、葉っぱを描いていたっけ。
 最初は、身近な落ち葉をひろってスケッチ。そして、初心者とそれ以外の人に別れて、ケヤキの木をスケッチ。ところが、初心者組のケヤキの木にドッと人が集まった。
 今年は子どもが多いので、ちょっと心配。
 1時に昼食。2時から、人物のスケッチの描き方を説明し、午前中に描いた大きな木の下に人物を描き入れた。

 50代の男性が
 「先生、おかげで木の描き方がわかりましたよ。やあ、今日は勉強になりました。」と、今描いたスケッチを嬉しそうに見せに来た。この方は、スケッチを始める前に
 「今、日展を見て来ました。作品が多くて疲れますね。絵はむずかしいなぁ」と言いながら、自分の描いたスケッチブックを見せてくれた。その中は、何ページにもわたり、絵と文が描いてあって、絵には淡彩で着色してあった。
 そこに描かれている木の絵は、太い幹から突然に細い枝になっていて、色でそれらしく葉をつけているだけだったので、「今日は、木の描き方を教えますから、たのしみに」とだけ言っておいた。
 その彼が
 「いやぁ、長い間、木を描けない悩みが、今日で解決できました。五千円の参加費じゃ安いですよ。三万円払ってもおしくないですよ」と、興奮している。
 「そうだ、あなたの絵、教える前と教えた後の絵を、もう一度見てごらんなさい。比較してみましょう」と、二人でページをめくった。
 その違いに、私はニヤリとし、彼は、はずかしそうにした。
 その2枚の絵を、今日スケッチを描きに来た人に見てもらうことにした。
 キミ子方式で描いた方の絵を見たイベントの参加者の一人が
「あっ、木になった!! 」と言った。そのシンプルな表現が愉快だ。
 さて、清姫さまは全然現われない。
 彼女が買ってくれた本は、ダンボールに入れて、しっかり画材の横においてあるのに。
 3時半になった。そろそろ解散の時間だ。私も次の約束があるので、あせっている。
 午後の陽の光りが変わって、今夜は冷えそうだった。
 ホイッと、公園の向こうのケヤキの木の間から、彼女がかけてくるような気がして、噴水の回りを見渡すが、清姫さまは現われない。
 「4万円もいただいといて、住所と電話番号くらい聞いておかないなんて非常識」とスタッフ。
 どんどん陽がかたむき、公園の木々が黒さを増す。
 清姫さまがお金を払ってくれた場所に、キミ子方式のチラシをガムテープでとめた。それに「連絡を下さい。待っています。松本キミ子」と書いた。

 清姫さま連絡を下さい。子どもが生まれたら、画家にするのに、テキストがないじゃありませんか!

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