エッセイ目次
 

No89
1996年9月4日発行


Do not paint free,But paint to be free

 「絵は自由に描くのではありません。自由なるために絵を描くのです」を英語にしたら? と、東京で英語を習っている女三人は、先生のトーマス君から教わった英語がタイトルのフレーズだった。
 「かっこいい、まるでシェークスピアだ」と、私はますますキミ子方式に自信を深めた。
 英語版チラシを四○○枚つくって、10名のメンバーと共にトンガ王国へ九日間。そして、帰りはニュージーランドでゆっくり休んでこよう。

 トンガ王国へ絵を教えに行くことになったきっかけは、昨年、中国における世界女性大会NGOフォーラムで、キミ子方式の講座に、トンガ王国のパピリオさんが、講座が終わったあとにかけつけてきて、誰もいないテントの中で、机の上に残っていたパレットを使い、てきとうに混ぜて画用紙の上に色をぬったくっていたので、机もテントの外に出したら、彼女も机と一緒にテントの外に出てきて、まだ続けようとする。私はスタッフとパレット洗いをしながら、改めて、三原色による「色づくり」を教えた。その後、彼女は言った。
 「ぜひ、我が国へ、絵を教えに来て下さい。私はあなたに英語を教えましょう」
 十一月末には、トンガ行きの応募者26名から10名を選び、国際交流基金に補助金の申請書を提出し、三月末に国産交流基金から一名分の旅費と滞在費がおりた。
 トンガに対する情報集めを、石川県に住む貝田 明氏が『マロエ・レレイ通信』にまとめて発行してくれた。トンガの情報と、10名の同行者の自己紹介文。三回発行されたので、少なくとも、トンガ語の「こんにちは」は「マロエレレイ」とだけは、しっかりインプットしていたので、どこでも、誰にでも挨拶ができた。

 いよいよ、八月十五日出発。
 関西空港から、午後五時に3人の仲間が。東京・成田空港から八人。
 トンガへ行くには、フィジー経由と、ニュージーランドのオークランド経由。関西空港からだと、オークランドでのトランジットタイムは2時間ほどだが、成田発は10時間もあった。
 16日、午前0時15分にトンガに降り立った。
 パピロアさんとは、一年振りの対面。空港には貝田さんが迎えに来てくれていた。
 川合京子さんは、貝田さんとは初対面なので、ホテルの客引きかと思ったそうだ。
 16日朝10時から、バケツ2コ、机3コ、画用紙を持って市場に出かける。土曜日は市場が一番にぎわう日。野菜の横で絵を教えようというパピロアさんのアイデアだ。
 机を3コ並べて、市場の壁に「Let's enjoy kimiko method」のポスターを貼る。道路にも貼る。
 さあ、準備は整った。
 好奇心のかたまりでキラキラ目を輝かせている小学校三~四年くらいの年齢の男の子。それからどんどんと
 人が増えてくる。あっという間に黒山の人だかり。隣の店のおじさんが「教えろ」とゼスチャー。その人は英語はダメだけど、まわりの人がトンガ語で教える。
 小学生の女の子がくる。次々に来て、まわりをとりかこみ興奮する。
 「三原色と白で15色作ったら、おめでとうね」。まわりの余分なところを切って台紙を貼り、市場の壁に貼り、感想文を書いてもらう。興奮すると誰もが英語ではなく、トンガ語になる。
 「次はどこで教えるの?」そのうち20代後半の男性がその場をしきり始める。
 「さあ、そんなに興奮しないで、順序よくね。明日の午前・午後、ウーマンズセンターでやるからさ」というトンガ語で演説しはじめる。
 次々と人が来るので、バケツの中ではパレット洗いが大活躍。洗い終わったパレットが机の上に並ぶと、どっと人が座り、色を作り始める。そして、地面で描いている人もいる。一度終わった人も立ち去らず、友だちをつれてきて「こいつに教えろ」というので、「あなたはもうマスターしたのだから、もう、あなたが先生」というと、深くうなずき友だちに教え始める。
 以後、この手でいくことにする。トンガ人がトンガ人に教えはじめている。その教え方が、あまりにも私と似ているのでちょっと恥ずかしくなる。
 絵が終わった人には感想文。
 机の上に感想文を書いてもらうためにペンを用意しておいたが、いつの間にか消えて、次々とペンを出さなければならなかった。
 感想文を書いてもらう、字がかけない人には、トンガ語で話してもらって、誰かが代わりに感想文用紙に書いてくれる。
 市場で午前・午後。夕方は「海と空」。パピロアさんのホテルで芸術家三人がラジオを聞いて来たといって待っていてくれた。その夜、デイトラインホテルで「髪の毛」を教える。
 17日(日)、朝八時半からパピロアのレクチャー。「55才以上のパシフィックのカルチャーを学ぶ冒険ツアー」アメリカ人八人と私たち。
 「女性の敵は女性」「トンガ人は本音と建前の二重の顔をもっている」「私の弱点は、あまりにも正直なことだ」という話に、思わず「私もそう思う」とパチパチと拍手。
 それから教会へ。十一時~十二時まで、TTC(教育養成大学)の校長のレクチャー。「トンガの教育について」。絵画教育について質問したが「わからない」と言われてしまった。
 夜、パピロアさんのホテルで、パビリオファミリーに「スイカ」の授業。トンガのスイカは細長く、自然に育てているので、太陽のあたらない側の皮は黄色だった。そこで、皮が黄色い人は緑色の皮のモデルにかえてあげた。
 18日(月)、ミスターX氏のレクチャー。トンガの国籍、昔話、習慣、平和、無農薬野菜、ヌーディストコロニーなどについて。
 お昼、パビリオさんの出身の村でウムパーティー。
 近くの海で泳ぎ、料理が出来上がるまで芝生の上で、京子、永田、平野、杉山、貝田、キミ子、カトリーナと七つのグループに分けて、一枚の画用紙上に「色づくり」を教える。パレット一コ、筆一本で一人15色づつ、リレー式で色を作ることにした。
 私のグループは、小学校低学年の男の子と女の子10人くらい。
 暇になると、すぐ隣の子を殴ったり、蹴ったりするので、一色作っては、隣の人に筆を渡す。パレットは一コ、自分の色づくりの時だけすごく真剣。
 19日(火)、ウーマンズセンターで午前・午後と授業。通訳のくまさん。奥さんが日本人で王様の通訳もしている。日本語=トンガ語OK。
 リーダーのフィバーさん、スイカが描けたら躍り上がって喜んでいた。

 20日(水)、午前十時、TTCへ。カトリーナの通訳でキミ子方式とは?の話をする。そして「色づくり」。 疲れたら途中でやめてもいいのよと言うと「never ! 」の大合唱。そして「This is fun」。
 自己紹介の時、ぺんてるの本村さんの番になったら「絵の具ちょうだい」。日本の小学校の先生の貝田さんが理科の実験をして「何か質問は?」と聞いたら「あなたは独身ですか?」と聞かれ、貝田さんは思わず「イエース」。私たちはあわてて「ノー」。
 午後2時から、ウーマンズセンターで授業。
 21日(木)午前ウーマンズセンターで、一回目の人は「色づくり」、二回目の人「スイカ」、三回目の人は「髪の毛」。パビロアがロナ(娘)の髪形そっくりに描けて、何度も嬉しそうに見せにくる。
 ザ・トンガ・コロニクル(新聞)の取材を受ける
 京子さんがフィバーさんを、貝田さんがパビロアさんを似顔絵に描く。パビリアにそっくりに描けているのに、パビロアは「ほほえみが足りない、直せ」と貝田さんにせまる。
 午後、海へ。午後4時からjicaへ。日本語で教えていいからと私、カメラマン、杉山、貝田、平野の五人で会場へ行ったら、インド人、トンガ人、ヨーロッパ人だったので、jicaの宇田川さんに通訳してもって「色づくり」の授業をした。
 集まった人の一人のお母さんが涙ぐんで
 「私の子はハンデキャップなのだけど、絵が描けた」と言っている。私はすかさず貝田さんの口グセをまねて笑顔で答える「ノープロブレム」。
 トンガでは、三五○人以上の人がキミ子方式を楽しんだ。もっと絵の具があればと切に願っている。
 「日本に帰ったら、トンガに絵の具を送る運動をします」と約束した。
 22日(金)、午前中、ラジオ局でインタビュー。
 「トンガではそろばんが学校教育に入っていますが、そろばんのようにキミコ・メソッドを普及させたい」。
 その後、教育省とカレッジに挨拶。
 パピロアさんの娘、ロマの作ってくれたブーゲンビリアのレイを首にかけてもらって、トンガを後にした。

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