エッセイ目次
 

No74
1995年6月4日発行


感想文を書いてもらうわけ

「ちよっとおさないで色のたいぐん」

 〔高崎市・永井せいご 九才)
 もう、めちやくちや。
 色でうめることしか考えていないから、どんどんぬれる。
 もう気にしないでぬるから、めちゃくちゃかさなったりしてて、たいぐんみだい。
 ちよっとおさないで、ほんとだね。


 絵を描いてもらった後に、いつでも、どこでも感想文を描いてもらう。この文は、赤・青・黄色・自だけを混ぜ合わせて、たくさんの色をつくったあとの感想文である。


 私は 35才まで「芸術は教えるものではなく才能だ。自ら創意工夫して独自の世界を創るものだ」と信じていた。
 美大を 25才で出て、絵を描いたり、彫刻をしたりしてそれを売って生活することに憧れながら、赤ん坊と大学院生の夫と三人で幕らしていた。ラーメン屋さんに入ると「ここで働かせてもらおう」と思いながら食ぺ、結局、言いだせなかった。
   〈どうやって、食べていけばいいのだろう〉と、近くの多摩丘陵の上から、眼下に広がる家々を、呆然と見ていた。
 桜の花咲く、村山貯水池に花見に行っても、花見の群衆を見ながら、こんなにたくさんの人も、何らかの職について、稼いでいるのだろうけど、一体どんなことをしているんだろう? と眺めていた。
 絵のモデルをしていたこともあった、教員免許を持っていることを思い出して、 27才で非常勤講師になり、そして、産休補助教員になった。
 臨時の先生になって、7年め、小学生相手に、リンゴの絵を描いていた。
 「うま-い、先生って、絵うまいね」と小学生の羨望の声と共に、彼らが私をとりかこむ。
 「ほんものソックリ!」「うま-い」「リンゴのへタのところ、ほんとうにへっこんで見える」と子ども達。
 「へっこんで見えるように描くのはね、このへっこんでいる色を作って、ぬれぱいいのよ」と描いてあげた。
 「ホントだ、すごい-ヘっこんで見える」と大騒ぎなのだ。そして他の子が「いいなあ、私にも教えて!」と言いだした。
 「何っ、小学生って、そんなことも知らないの?」と私。
 「知らないよ、教わってないもの」
 「じゃ、教えるね」
 芸術は教えるものではないのに、教えたら芸術じゃなくなるかもしれない。でも、リンゴがリンゴらしく見えるための絵の描き方を教えよう。
 〈教えるものではない〉と考えてきた私が、〈教えると、子ども達はすごく喜ぷ〉ことを知る。でも、まだ不安がある。教えちゃっていいのだろうか? どの指導書にも裏切ることになる。
 そこで、私の不安を落ちつかせるために、絵を描いた子ども達に、絵を描いた感想文を書いてもらうことにした。これ以外に、自分のやっていることが、いいことなのか、とんでもないことなのかわからない。
 子ども達は、せっせと感想文を書きはじめた。その風景を見ながらこれと同じことをどこかで体験したけど、なんだったのかな?と思い出そうとした。
 遠足の感想文とか、夏休みの読書感想文というのは書いたことがあったけど、とんでもないものとの組み合わせの感想文が・・・。
 しばらくして、思い出した。大学時代の体育の授業のあとである。体育と感想文の組み合わせも、それまで体験したことがなかった。
 でも、私は書きたくて、書きたくて不思議な体操に感動したことを、せっせと書いた。
 大学に入って、野口三千三先生の体育を受けてから、私の長い間の体育コンプレックスがとけたのだ。その想いを、感激を、次々と書きたくなった。
 野口三千三先生の体育は、体操服を着なくてもよい。一列に並ぱなくてもよい。一糸乱れず、号令に合わせて動作をしなくてもよい。「できないのか!ダメ」と、遠くから大声でどなられたりしない。
 「自分の体を知ろう。人間の身体は水分が 90%で、ほとんど水分だ。皮膚という生きた袋の中の液体に、骨も内蔵も浮かんでいる」と言われた。
 「そのことを、楽で気持ちがよいように感じよう」と、体をいかにクネクネ動かせるか、水分がほとんどであることを実感できるか、それを習った。同級生達はすぐにニックネームをつけた。コンニャク体操と。
 あの時の体育の授業の感想文のことを、しっかり忘れていた。それなのに、 10年後、自分が生徒達に感想文を書いてもらおうとした時に思い出した。そして、野口三千三先生の不安そうな顔まで浮かんだ。

 図工や美術の授業のあとに感想文を書いてもらうのが定番になった。
 自分のやっている、教えるという行動が、いいことなのか、よくないことなのかを、学ぶ相手に判断してもらおう。
 学ぶ側から、教えるということはどういうことなのか、聞き出そう、学ぼう、その考え方がストーンと私の気持ちに合った。
 そして長い間、私をしばっていた〈絵は教えるものじゃない〉という想いから開放された。
 絵を教える時だけではなく、講演会の後も感想文を書いてもらう。


〔東京都・水谷 暁 15才)
 私は、みんなが教育を受ける権利があるのに、それに値いするような教育(プレゼント)を、今、受けていないように思います。
 そして私は、そのようなプレゼントをわたしてくれる大人は、この世にいないのではないかと、半ぱあきらめていました。
 でも、キミ子方式を習わせていただいたり、キミ子さんのお話しをお間きして、やっとプレゼントがもらえたように思えました。
 まだ、キミ子方式を習ったことで、絵の描き方だけでなく、今までになかった視点で、ものをとらえられるようになりました。
 それは、この講演会でキミ子さんが、キミ子方式という描き方(結果)だけをお話ししたのではなく、どういう視点で、絵のかけない子ども達を見、教わっていったか、その原因などもお聞きできたからたと思います。
 これからも、もっとキミ子方式から学んでいきたいと思います。

 こうすると、誰でもが絵が描けるのではないか、という仮説をたてて絵を描いてる。そしてたのしんで描いているか、素敵な作品になっているか、いつでも、さりげなく観察し、結果を見ているのだ。キミ子方式は私が考えた予想を試す実験道具なのかもしれない。そして、作品を見、感想文を読み、その実験結果は?・・・成功!?。 実験結果がよければ、方法が確かだと思うのです。
 私はず-っと、感想文と絵を描くのと同じくらい価値を見出しています。
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