エッセイ目次
 

No84
1996年4月4日発行


我ら熟年、絵を描きはじめる展

 4月になった。桜の花もそろそろ咲く。
 今年は新しいことをひとつ始めようと思う。それは、乗馬。それにしても、3年前に始めたスイミングのバタフライがあと少し。まだ苦しくてジタバタしているから、まだまだだなぁ。10年前に始めたゴルフも、スコア120あたりで、うろうろしている。毎朝、聞き流しているラジオ講座の英語とスペイン語も、もう少し何とかしたいんだけど。
 すっかり春めいてきた窓外の花曇りの空を見渡しながら思う。

 スポーツ嫌いの私が、はじめてゴルフを習いに行った時、ウエストのしぼっていないワンピースを着て、息子の運動靴を履いていったものだ。
 運動の時は、運動靴が必要だろうという常識だけしかなかった。
 私の服装を見て、インストラクターは
 「何考えているんですか? そんな服装ではゴルフができません」
 「ハァー」(なぜ? 手足が動けばできるんじゃないの? なぜダメなのか説明してほしいなぁ?)
 私の不思議そうな顔を見て、説明してくれた。
 「アイアンを持つ正しい姿勢は、前傾姿勢になるわけだけど、胸からバサーと下に広がるワンピースでは、前傾の角度が見えないから指導することができないのです。次に来る時は、ウエストがはっきりわかる服装で来ること」と教えてくれた。
 納得した私は、翌週からモンペをはいて行った。ウエストがゴムでしっかりとまっているからだ。
 思いおこせば、大人になってからの習いごとは、36才の終り頃のスペイン語が初めてだ。
 35才で、誰でも絵が描ける方法を見つけてしまった。画用紙の中に、構図を考えて、形(下書き)をして、色をぬるのではなく、色から形にして、最後に画用紙を足したり、切ったりして構図をきめるという単純な方法だ。
 その発明に有頂天になっていた私は、あちこちの美術教育の研究会にでかけて発表するが反応がない。どの会場でも「しーん」としらけるばかりだった。
 日本を捨てよう、どこか遠い国へ逃げ出そう。どこへ行こう? 尊敬する建築家・彫刻家のガウディの住んだバルセロナへ行こう。そのためにはスペイン語を学ぼうと決心した。
 そうして、36才で春期集中スペイン語講座を習いに、京王線「高幡不動」から、中央線「信濃町」に一時間かけて通うことになった。
 「えっ、お金を出せば、外国語も教われるんだ」と驚いたものだ。学生時代に、フランス語も、英語も挫折し、後悔だけが残っていた。大学以外でも、意欲があればどんな外国語も習えるのだ。それなら、はりきって働いてお金をためようと、新しい世界がパーッと広がった。
 しかし、週3日のスペイン語講座に通う間、文字通り、手にじっとり汗をかく緊張の日々だった。
 それまで、スペイン語は「ケセラケラ ・なるようになる」という歌の「ケセラセラ」だけが、私の知っているスペイン語だった。
 復習をさぼり、よく立たされたものだった。でも、いつからでも習えるというのは、私にもまだ無限の可能性があるんだ、と気づかせてくれた。
 そして、スペイン留学。若い外国人と一緒の勉強はたのしかった。帰国後、自分の考えていた絵の描き方に「キミ子方式」という名前をつけ、本を出版した。
 45才の時、いよいよ最も苦手とするスポーツに挑戦することにした。ゴルフだって習えばできるようになるにちがいない。習わなければ、まったく見当がつかないスポーツだ。
 週一回、習っていた。6カ月くらいしたころだろうか、全然、ボールが飛ばない時があった。あせればあせるほどできない。先生は「あなた、スポーツというものをしたことないの?」と怒る。つらかった。
 あまりにも先生が怒り、私がダメな時、仲間がそっとやさしく助言して、はげましてくれた。私は自分に言い聞かせた。
 「つらい時にやめたら挫折感だけが残る。やめるなら楽しくなってからにしよう」と。
 そして今では、誰かに誘われたら喜んで参加できるし、「ゴルフしましょう」と言い出すことができる。
 ゴルフが一段落した52才の時にスイミングに挑戦したのだ。これは自信がなかったので、ビギニングニュースに「スイミングを習い始めます」と文字にした。
 そのおかげで、沢山の人にはげましてもらい続けられた。呼吸ができなくて、酸欠になり頭痛がしたり、足や手がつったり、水を飲んでむせて苦しかったりした。それも、今では楽しい思い出だ。
 私の習い事の歴史は、スペイン語、ゴルフ、水泳と続いた。今では、習い続ければ何でもできてしまうという自信がある。その自信は〈さて今年は何か新しいことに挑戦しよう〉という気にさせてくれる。

 絵を学びに来て下さっている方への助言は、
 〈辛いときにやめてはいけません。〉
 人生、山あり谷ありです。晴れの日もあれば雨の日も嵐もあります。
 自分ひとりでも楽しめそうになった時が自立の時、卒業の時ではないでしょうか?
 先日、アートスクール展を見に来てくださった60代のAさん。3年前に我が教室に通ってきて下さっていたので「久しぶりに再開しませんか?」と私が言うと、
 「ここに来て絵を習ったおかげで、習えばどんなこともできるんだ、とわかったんです。できないから習うんで、できないことをはずかしがらなくていいんだって。だから今、社交ダンスとコーラスで忙しくて・・・」

 習いごとは若い時からは必要ありません。むしろできなくて傷ついた歴史が長い方が、できた時の感激が大きくていいのです。キミ子方式の絵は、どなたでも、何才だろうと、2時間以内に絵が描けてしまいます。
 社会のため、家族のために一生懸命働いてきて、人生の山頂に立っている熟年世代。
 これからは、自分のたのしみのために、ちょっと絵を描きながら、寄り道しながら、ゆっくり下山していってはどうでしょう?
 一本の雑草が絵に描けたら、足元の雑草にも名前があることを知り、道端に目がいくようになります。
 一枚の空の絵が描けたら、「空」を描く目で眺めるようになり「〈秋の雲〉と〈夏の雲〉が違う、そんなことを感じるようになりました」と、我が教室に通っている人が言っていました。
 誰でも絵が描け、歌を唄え、ダンスができて、たくさんの友達とすぐ仲良くなれる。大自然の美しさが我がものになる。そんな未来を夢見て、まずは第一歩の想いをこめてゴールデンウイークに
 「我ら熟年 絵を描きはじめる展」をおこないます。文字通り、熟年から絵を描きはじめた一年目、二年目、三年目、四年目の人達の作品展です。
 今からでも遅くはない、いつからはじめても絵を描くことが自分の楽しみの一つになる、という自信をもって下さる方が増えればいいなぁ。ぜひ、見に来て下さい。

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