「小学校六年生二〇〇名とその親五十名くらいの参加で行われる〈親子レクリェーション〉で、キミ子方式の絵をやれないでしょうか?〈いちご〉か〈草花〉などを・・・」と、千葉県流山市江戸川小学校から電話があった。
「二五〇名を超える人数なら、三原色の色づくりがいいですよ」と答えたら「生徒達は、三原色のキミ子方式をふだんの学習の中でやっています。ですから色づくりではなく、なにか絵を描いて親子で楽しみたいのです」と納得してくれない。
ついに「直接お目にかかって話し会いましょう」と、担当の先生二人がキミコ・プラン・ドウにやってきた。
「三原色による色づくりは何度やっても楽しい。二五〇名以上の人が一堂で絵を描くには、モデルの用意も道具の用意も大変で、とても2時間内に終わらない。それよりも、昨年トンガ王国の村で成功した、グループに分けて、グループに一枚の画用紙で絵を描く描き方、それなら人数が不特定多数でも楽しめていいですよ。トンガでは五十数名だったけど、二五〇人以上でも成功すると思いますよ」
トンガでは自然発生的に7つのグループに分けてもらったら、年齢の似た人同士のグループになった。
日本に戻ってきて、一度だけグループによる色づくりを体験していた。岐阜県での絵の会だった。
十数名の参加者を予想して、道具を三十人分用意していたら、親子共々五十名以上も集まってしまった。その時にひらめいたのは、ひとつのファミリーで 一枚の絵を描くというアイディアだった。二十九家族、シングルの人は一人一枚で描く。道具が足りたのでホッとした。
その時の感想文が「家族でひとつの絵を描くのって楽しい」というものだった。
そうかもしれない。家族で絵を描く楽しさは、個人で絵を描く楽しさを超える。おいしいものをたべることと同じくらい、絵を描くことはたのしいので、おいしいものは、自分一人で食べるより、愛する家族や仲間と食べた方がずっとおいしい。
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親子レクリェーションなら、なおさら、親子一緒のグループで一枚の絵を描くのはいいアイディアだ。クラスもバラバラ、親子もバラバラにして、五十グループに分けて、五十枚の絵を仕上げる。私のアイディアは実行に移されることになった。
当日親子で三五〇名の参加者だった。講演30分は、体育館のステージ側に設置された椅子に座って聞いてもらい、その後に、入り口側に配置された50グループにわけた机で、立ったまま描くことにした。
机の上には四つ切大の白画用紙、0号の筆二本、パレット二個、水入れ二個。数人で、道具をリレーしながら、三原色からたくさんの色をつくろうというものだ。
どうなることやら、人数が多すぎて、数えるなんてことができない。はじめはお互いに遠慮していて、30分では終わらないかもしれないとあせった。でも大丈夫だった。
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「星」(絵のタイトル)
秋月由有
「親の人たちと最初は「シーン」としてしまったけど、どんどんたのしくなって、よくしゃべてよかったです。」
小さい子がうろうろしているので「あなたもちゃんと参加するのよ」と声をかけたら、感想文の中に
「楽しかったです。小さい妹ちゃんが二人いたけど、ちゃんと参加してくれたことがおもしろかったです。(名前書き忘れ)
「オオカミ」(絵のタイトル)
西本早希
「今日はちがうクラスの人達やお母さん方とたくさんの色がつくれて、とても楽しかったです。みんなで色を作るのも、4色の色づくりからたくさんの色を作ることができたのでびっくりした」
30分程、色づくりをして、余白を手でちぎり、色画用紙に貼り、タイトルを決め、日付と作者名を書く。そして、体育館の壁に五十枚の作品が並んだ。
「オーッ」と感激して、ながめている父や母や生徒の中に、絵をめがけてジャンプしている幼児がいた。自分の作った色を指している。
「前置きのいらない会話」
坂巻裕子
「普段なんともないふつうのことからの発見はすばらしいと思います。常識という名でしばられている現実がこわいと思いました。初対面の子ども、大人とグループになってみて、絵というのは前置きのいらない会話ができるんだなぁと思いました。」
英語の感想文も二枚あった。好評だった。
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講座が終わって、職員室でひと休みしていたら、担当の先生が
「自分の子どもと一緒にグループでやりたかったというお母さんの声がありました」と言ってきた。そこで私は読み終えたばかりの感想文をめくりながら
「子どもは『知らない親や他のクラスの子と楽しんでよかった』と書いてくれていますけどね。その方には『家で、ご家族でなさったらどうですか』と伝えて下さい。
絵は社会的楽しみというより個人の楽しみだ。個人の楽しみを、作品として完成して壁に貼り眺め、他人に見てもらい初めて社会性をもつ。それを、スポーツや演劇のように、グループでによる色づくりは〈集団で創る過程は社会的楽しみ〉になったと思った。初対面の人とも、より親密になれたのではないか。
五十枚の作品は、卒業式の会場にも貼られることになった。
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五月は私の誕生日なので、毎年、新潟県大和町で人間ドックに入ることにしている。
その近くの湯の谷村には、細井心円さんがお坊さんをしている寺があり、そこに毎月一回、絵を教えに行っている。人間ドックの後、心円教室の生徒の一人、関口 桂さんが、近くでペンションをやっているのを知り、休養がてら泊まりに行った。
彼女はペンションのオーナー夫人であり、プロスキーヤーであり、創作ダンスの先生である。
村の体育館のダンス教室についていった。フラメンコ風の彼女手作りのヒラヒラスカートをなびかせて、10数人の少女達は創作ダンスを音楽に合わせて踊っていた。そこに突然「今日は東京から絵の先生が来ていますので、先生に三原色と白から色づくりをするのを教えてもらいましょう」と紹介された。
そして、私のまわりにドッと幼児から小学校3年生くらいの子が集まった。パレット一枚、筆一本、画用紙も一枚、私用しかない。一人づつ筆を渡しながらの色づくりになった。
「ね、表現の楽しさって、ダンスだけじゃないのよ。色も創作、立派なあなたの創ったあなたの色よ」と桂先生
見学の母親についてきた2才くらいの弟も、真剣な顔をして色づくりをやって、みんなが拍手した。
ダンスの先生、関口 桂さんは15年程前に、箱根「ひと塾」で私に会い「もやし」を描いたそうだ。
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彼女は翌日「六花園」という20代~50代の人が集まっている精神薄弱者更正施設の杉林の中でダンスをするというのでついて行った。
毎月一回ボランティアで行っているそうだ。
「はじめはジーッと見ているだけの園生だったけど、今では参加して一緒に踊ってくれるようになったのよ。とっても楽しみにしてくれているの」と、行く途中の車の中で話し、「そうだ、キミ子さん、あの色づくり、園生にもやらせたいんだけど、絵の道具をスーパーマーケットで買いましょう」と、スーパーに寄って二セット買った。
杉林の中で、様々な衣装とヒラヒラの布をまとって、テープの音楽に合わせて、彼女は一人で踊る。それに合わせて一緒に踊る園生。ちょっと離れて立つ園生。すぐ近くに立つ園生。木の切り株にこしかけて見る数人の園生、林の中でかけめぐる園生、それらが杉林の中でひとつのドラマになっていた。一曲踊る度に全員で拍手。
ぞろぞろと、25名くらいのジャージの上下を着た集団で林に入ってきた時の園生はうつむきかげんで、姿勢が悪かったのに、時間がたつにつれて、一変して個性として輝き出した。
彼女のダンスか終わり、着替えの手作りテントに入った時が私の出番。
「さあ、三原色と白からたくさんの色をつくります」「まず、赤を出して」と画用紙に描き、「次は青」と、近くの園生に筆を渡す。「はい次、黄色」と大声で言い「はい、あなた」と次の人に筆を渡す。ぐずぐず遠慮していてもかまわず筆をもたせ、その上から私の手を添えて「2色まぜました。あっピンク」と叫ぶ。「はい、次の方。あっオレンジ色だ」「俺やる!」と積極的な人を優先して、遠慮深い人は、こちらが強引に誘う。リズミカルに、間をおかずやることが秘訣だ。「次はあなた、ハイ」と筆を渡す。次々と繰り返す。はじめイヤがっていた人も、又、順番がくるとやってしまう。色ができる度に大声で「すばらしい、いい色だ」と叫ぶ。
「ほら、電車描いてごらん」という職員らしい声があり、〈まずいな〉と思った。
「ただ、色をつくって、画用紙にのせるだけ、今日は色づくりの楽しさだけを味わいましょう」「さあ、みんな体験できた?」
着替えを終えて戻ってきたダンスの先生に、
「私と二人でパレットに残っている絵の具を使い切りましょう」「OK」と、掛け合い漫才のように「わぁ、肌色だ」「ちょっとくすんだすみれ色」「今日の青空」「杉林色」などと、色ができる度に声を足し、どんどん手を動かし、たくさんの色をつくっていった。パレット上の絵の具が全部なくなるまで、色づくりをした。
白い余白を手でちぎり、色画用紙の上に配置して貼り、二枚の作品ができ上がった。
それらの絵を大事そうに抱え、林を抜けて六花園に帰る園生の姿を見ながらダンスの先生は、
「園生は、すごーい集中力でしたね。私が着替えてから出てきたら、キミ子さんのまわりに黒山の人だかりなんだもの。びっくりしちゃった」。
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帰りの車の中では、なんだかうれしくて、イメージがどんどん膨らむ。
「六花園祭の時は、園生の男性はフラメンコの帽子、女性にはフラメンコのヒラヒラスカートをはかせて、そして、あなたのダンス見てもらえばもっと華やかになって楽しいよ」。そして、その衣装で色づくりをしたら、どうなるかな? 絶対、無口でうつむきかげんの人なんかなくなるだろうな。
南の島トンガ王国の村で、時間も道具もなかったので生まれた苦肉の策の「集団での色づくり」が、岐阜県、千葉県流山市、そして、新潟県北魚沼群の杉林の中にこだましたのが、うれしくってならない。
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