エッセイ目次
 

No116.117
1998年12月4日発行


あたらしい本ができます

 今、一点から隣へ隣へと描くことの威力に、あらためて驚いている。
 一九九〇年に、日貿出版社から出版された『カットの描き方』が、一九九八年に絶版(もう版を重ねない)になるという電話をもらった。八年間で八版、毎年、版を重ねてきたが、とうとう力つきたということか。
 他に、ペン一本で描くハウツー本がないので、無くなるととても不便だ。毎年やっている海外スケッチ旅行のテキストでもあるし・・・と思った。
 「もし今度、版を重ねる時は、旅行のスケッチをつけ加えたいなぁ。最近の生徒さんはスケッチブックを持って旅に出るのは常識になっているし・・・困った」と思っていた。
 少し前に『三原色で描く・四季の草花』や『三原色のフィールドノート』(共に山海堂)を編集してくれた、田中さんがインデックス出版という出版社を起こし「キミ子さん、新しい本を作りましょう」と時々、顔を出してくれていた。そして「バカ勝物語」や「自伝エッセイ」などの原稿を渡していた。そんな状況の時「最近の生徒さん、人間も風景もペン一本でどんどん描けるようになっちゃって、海外でのスケッチも魅力的なのがいっぱいあるのよ。キミ子方式で絵が描けるようになった人たちは、ものの見方が身についているから、ペン画は軽くうまく描けちゃうのよ」と、独り言のようにつぶやいたら「じゃぁ、そのペン一本で描く本を出しましょうか。文章の本はあとまわしして・・・」と、態度をコロリとかえた。
 そこへ『カットの描き方』の注文がきた。事務所で電話を出た者が「あいにく在庫がなくて。もう絶版なんです」と電話で答えている。
 「必要な人が目の前にいるのに、その願いに応じられないのは苦しいね。出版しましょう。でも、カットの描き方の範囲を越えて、スケッチというかデッサンというか・・・」と、新しい本を作る決心をした。一九九八年一一月三日の上野公園のスケッチ会の寸前だった。
 「そうだ、今年のスケッチ会の参加者に、作品を貸してと呼びかけよう」


 思えば、上野公園のスケッチ会をやったのは一九九三年。学生時代を過ごした思い出の場所である上野公園をスケッチし、その後、美術展を見ようの二つをセットにして会をひらいた。
 上野公園には、この他にも思い入れがある。学生時代の四年間のうちの三年間は、毎日、昼休みの一時間、山岳部のトレーニングとしてマラソン(と、当時は言っていた。今ならジョギング)をしていた公園だ。
 初めてのスケッチ会は、上野公園で〈空〉を描く人と〈スケッチ〉をする人に分かれてやった。
 紅葉寸前のケヤキの木を一本、スケッチブックに描いた。大きくなったケヤキの森、このケヤキを植えた時から何年たっているのだろう。
 私は公園内の大噴水の工事の時を知っている。 私が初めて上野公園に来たのは高校三年の時だから、今から三十数年前だ。
 その当時はケヤキの森はちらばり、その当時、小さなスケッチブックにスケッチしている人々は、真剣な姿なのでとても風景として美しかった。
 上野公園には外国人が多く、彼らは好奇心そのままにスケッチブックをのぞいては誉めてくれる。美術館に行く人、博物館に行く人が通り過ぎる中で、私たちのグループは堂々とスケッチをしていた。
 〈きっと、スケッチをしている私たちが素人集団だということは、わからないだろうな〉と、ゆかいな気分であった。三十数年前の〈芸大に入れるだろうか〉と不安を抱え上野公園を横切った私からは想像できない三十数年後である。
 文化の日の行事として、一回きりのつもりでやった上野公園でのスケッチ会は、私の予想を越えて、生徒さんの作品のすばらしさにショックをうけた。たのしかった。
 「又、来年やろう。上野公園で文化人と行き交いながら、ケヤキの森にひたっているだけでもいい気分だし・・・」

 ところが翌年は、家を出る時は晴れていたのに、上野公園についたら雨になった。
 〈野外スケッチなのに雨。それは絶望的だ〉と一瞬思ったが、かって知ったる上野公園、〈文化会館の軒が広くでっぱっているから、そこで雨やどりしながらなんとかしよう〉。なにしろ、雨だというのに四、五十名の人が集まってしまったのだ。
 いつものように、葉っぱをひろってきて、葉の描き方を教えた。ケヤキの葉とイチョウの葉、キミ子方式ならそれそれ五分もかからない。
 目の前に安井誠一郎氏の銅像がある。
 困った時のバカ力が私にはあるので、日頃「人の作った作品を絵のテーマにしてはいけません。その作品よりも出来がよくならないからです。自然のものは永遠の先生だから、自然のものを描きましょう」と言っているのに、今日の雨、モデルがない。
 日頃の主張をコロリと変え「あの銅像を描きましょう。鼻の頭からとなり、となりと」。どう見てもへんてこりんなものしかできない、だけど集まった人たちはゆかいそうなのだ。自然のものをテーマにする時のような、まじめな真剣さがない。「キャー、へんてこりん」と、明るくわらったりしているのだ。
 「どう見ても安井誠一郎氏に見えなかったら、描いた絵のタイトルに〈安井誠一郎氏の銅像〉と書き入れて下さい。絵日記だと思って、文字でドンドン補いましょう」と叫んだ。  文化の日の上野公園は人であふれている。目の前は人だらけである。銅像で失敗した私はヤケッパチで人の描き方を教えましょう」と言った。
 腰のあたりから上に向かって上半身を描き、そのバランスで下半身を描くことにした。
 「人も描けるなんてうれしいね」といいながら、それぞれが絵を描きはじめた。それが、うまい!。私の予想をはるかに越えて上手い。
翌年からスケッチ会は、当然のように風景の中に人間を描き入れることにした。


 上野公園での木のスケッチ、人物、海外スケッチ旅行、とスケッチブックを持って旅にでる人が増えている。
 「あなたのスケッチを貸して下さい」と、旅行に行かれた方、スケッチ会に参加した人に呼びかけたら、集まった作品の量の多さと、質の高さに圧倒された。
 アートスクール生の花田真理さんは、老人の食事宅配にそえるメニューの紙に草花のカットを描いている。その数の多さ。「食事のメニューなのだから、魚や野菜を描いてみたらどう?」と声をかけたら、さっそくイカやサンマを描いた。
 スケッチブックをダンボールいっぱい送ってくれた夫婦。一人で十四冊のスケッチブックを送ってきてくれた山本 裕さん。
 それらを見ながら「すごいー スゴイー」。
 あまりにも見事なので、私は徹夜を三日もして、それらの作品に見入って、本づくりの作業が楽しくってたまらない。
 来年三月末刊行予定。『一点からとなりとなりへ』スケッチ/カット/デッサンの描き方という題になるのかなぁ。

 今年は、私はフランスのニースでフランス語学校に入ります。韓国で作っている本も二月刊行予定とかで、来年はたのしいことがいっぱい待っています。
 良い一九九九年を!
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