エッセイ目次
 

No112
1998年8月4日発行


旅日記

七月十七日(金曜日)東京は雨で寒かった。午後、大阪伊丹空港に、JALが到着。座席を立ち上がった瞬間、後ろから声がした。
 「アッ キミ子先生!」Nさんだ。
 彼女は旦那さんを癌で亡くし、呆然自失しているときに私を訪ねてきた。元気になってもらうには、絵を描いてもらうしかないと、一年間私のアートスクールに通ってくれた。その後、武蔵野美術大学へ入学した。
 「ね、卒業できた?」と小声で聞いたら、目の前で、小さく手を左右に振った。
 大阪は午後から急に気温が上がり、暑い。「まいったわねえ、長袖を着てきて」「私はコートも持ってきた」
 空港の喫茶店でその後の話をきいた。
 「今は、アートスクールの同級生、Yさんからの紹介で、はがき絵講座を教えています。近所の老人ホームでは、ボランティアで絵を教えています。キミ子方式と、前からやっている、日本画をミックスして。とても喜んでもらっています。それに、今、和紙が面白くって・・・」
 Nさんの同級生は、4人か5人が武蔵野美大へ入った。1人は2年間で卒業できたが、他の人はまだらしい。
 「自分の絵が描きたくって、どうしても、課題の絵が提出できなくて・・・」
 私は茨木市で教室を持っている。Nさんは茨木高校をでている。大阪にもモノレールが空港までつながったので、利用している。大阪出身の彼女はそれを知らなかった。というわけで、私が案内して、モノレールでいっしょに南茨木まで行った。京都行きの彼女と、そこで別れた。
 夜六時半からの講座は、イカ、魚、ザリガニ、カメを描く。明日が小中学校の終業式とかで、欠席が多い。今日の講座では、教育熱心な祖母と中一、小二の孫の座席を離すことだ。
 少女は絵を描くことに集中できないのを「おばあちゃんいわないで!」と異常に甲高い神経質な声で、反抗して、おばあちゃんのせいにする。「大丈夫、お任せください」と心配症の祖母へ話し、中学生の少女の傍につきっきりで、中学生の誇りを保てる、イカの絵に仕上げた。いい顔になった。
 サバやサンマのお腹を描くときは、思いきって白の絵の具を入れて、一気に、色画用紙に描く。白を多く入れることで、生き生きした感じがでる。
 「先生に白を加えてもらったら、生きたわ!」七十代の松浦氏。
 突然、「できた!」と、小二の孫が、自分の身体と同じ位大きな、いかの絵を持って立った。「わーすばらしい!」と全員が拍手。〈絵の具がたれるから、絵を寝かせておいて〉と言いそうに、なったけれど、うれしそうな彼の顔が、私を黙らせた。

 七月十八日(土曜日)午後、
滋賀県生涯学習センター 大津教室。
 「嫌だよ 嫌だよ、絵描きたくないよ、絵は好きだけど、今日は気が乗らないよ、描く気がしないよ」と教室の中を行ったり来たりする新顔の小柄な小学四年生。両親も一緒で、両親から逃げ回って、ばたばたしている。
 「僕、絵描くの好きだよ、大好きだよ。」と強調している分痛々しい。「口では好きといいながら、身体は嫌っているね」と私。
 「嫌いじゃないって、好きだよ。ただ、今は描きたくないの」と病気のような青い顔をして、憂鬱そうだ。
 新人の彼も〈毛糸の帽子〉を描いてもらうことにした。「いやだ」と拒否する彼の前にパレットを広げ、絵の具を出して、私が色づくりをする。「もうちょっと青かな」とか「まずは赤と青だ」とか口だけは一人前だ。「こんな色かしらね」と私が作った色について、彼に聞くと「いいでしょう」と。そこで、一緒に、手をもって、毛糸のボンボンを描いた。一段目、二段目、三段目も一緒に描いた。四段目も一緒に描いた。五段目の途中まで描いて、
 「もう、一人でやれそう?」と言うと、「うん」。こうして、毛糸の帽子の絵が、誰よりも、はやく仕上がった。ちょっとあわただしい絵だけれど。その瞬間、彼の顔から病気いろが消えて、ぱっと明るくなった。まるで、別人だ。後でおかあさんが、私に言った。
 「あの子の絵が特選に選ばれて、いま**会館に展示してあります。去年も特選でした。展覧会ではいつも賞をもらいます。でも、なかなか、描き出さないのです。すごーくのろいんです。」
 〈展覧会で賞をもらって、絵が嫌いになった子だったんだ〉。このタイプは結構いる。賞をもらうのと、自分の満足する絵が描けたのと、一致しないことから来る悲劇だ。展覧会の賞は審査員の好みだから、怖いこともある。
 会場をでたら、先ほどの小学生が、両親と喫茶店で、お茶を飲んでいるのがガラス窓を透して見えた。彼は私を発見するや、大きく手をふって、うれしそうに笑った。
 一緒にいた、小学校の先生に「子供って、感情表現が豊かでいいね、あの喜びの顔は同じ人とは信じられないよ」と私。「だから、小学校の先生は楽しいのです。」
 その小学校の先生は、三月に自宅が火事になった。「新しい家が建った?」と聞いたら「ここは田舎だから、三年間は建ててはいけないみたいよ」
 七月十九日(日曜日)
広島東区民センター 広島教室。
 ザリガニを描くと張り切っている三人。その中に、八十七歳の五葉さん。彼女は「八〇歳の母が絵を描いたーあれから五年ー展」の出品者だ。今、その展覧会は北海道をまわっている。
 四十代の男性と、アメリカに語学留学して帰ってきたばかりの、五十代の張り切っている女性に囲まれて、五葉さんは描き始めた。大筆で、絵の具たっぷりで、ゴテゴテと描き始めた。しかし、顔と胴体だけで、四つ切り画用紙二枚をこえた。そこでエネルギーが尽きてしまった。陽子さんが、助け船で登場。陽子さんは四月末日、キミ子方式の展覧会開催中に、陽子さんの家、伝統ある喫茶店「中村屋」の火事にあって、すっかり、元気をなくしていた。
 「陽子さんが、続きを描いてくれて、うれしいわー」「おかげさまでりっぱなザリガニになりそうです。」ザリガニは細かいところにこだわらず、激しい色でエネルギッシュに描く。しっぽ、おおきなハサミ、ゴテゴテ、ブツブツと陽子さんが五葉さんの絵の続きを仕上げていくにつれて、陽子さんは、元気になる。生き生きしてくる。「わーすばらしいザリガニになりました。あーうれしいわ。」と手をたたいて喜ぶ五葉さん。
 「陽子さんの顔を見て、うれしくて私元気になるんだから、又来月も来てくださいね」と付け加えている。

 七月二〇日(海の日で祭日)
 広島県吉田町中央公民館
 夏休み絵画教室が毎年開かれている。今年で六回目だ。
 会場の広い体育館中に、ひびきわたるように、「眠いようー眠いようー」と大声で泣いている、小学生。一年か二年生。
 彼の傍へ行ったら彼の絵の道具がない、パレット代わりに冷蔵庫の製氷箱
 「これでは色が作りづらいです。パレット買ってください。絵の具は?」と母上に聞いたら、おねえちゃんのを借りて!」その間中、彼は大声で「眠いよー眠いよー」。私の手伝いに、広島市から駆けつけてくれた、陽子さんが彼についてもらうことにした。「眠いようー」と泣きながら、毛糸のぼうしが描けた。描けたら、満足そうに、笑っている。
 「泣いていいんだよ、思いっきり泣きな」と声をかけながら教えた陽子さん、きっと自分に言っていたのにちがいない。
 こうして、日本の夏休みが始まった。八月十五日から、コロンビアへ絵を教えに行ってきます。三原色の国旗の国で、三原色で描くキミ子方式にどんな反応があるのか、とても楽しみです。コロンビア行きに、沢山の方からのカンパありがとうございました。

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