エッセイ目次
 

No101
1997年9月4日発行


夏休み日記

 今年の夏休みも終わった。
 自由業なのに、小中学生に合わせて、七月二〇日から八月末日まで夏休みと決めている。毎月の定期的な仕事はなし。スイミングスクールも、英会話もスペイン語のレッスンも夏休みにしている。
 夏休みの始まりは、私が二月から絵を教え、かわりにハングル語を教えてくれる〈貞さん〉一家が韓国へ帰った時だ。彼女に似顔絵を教えた時「鼻の下が長い」という言葉は、韓国では「長生きする」ということだと教えてくれた。

 八月に入り、群馬県東村の星野富弘美術館に行きたくて、近くの国定村に仕事に行った。その駅に降り立った時、我が目を疑った。外国人の方が多かったからだ。聞こえる家族の会話はスペイン語だ。近くの人に「どこの国の方?」と声をかけたら、スリランカとインドの人だった。この村には工場がいくつもあって、外国人の労働者がたくさん働いているそうだ。
 星野富弘美術館には、大勢の人が絵の前で詩を口ずさんでいた。ビデオの中で、星野さんは寝たままからだを横にして口に筆をくわえて絵を描いていた。モデルの花は横にできないから、横になって見える花を描くことになる。
 この視点の置き方、描き方は、アメリカのベティさんの「右脳で描く」という本の描き方と偶然一致する。ベティさんの著書にはピカソの絵を逆さまに模写させたりして、習慣の逆からモノを見させようという描き方だ。
 夏休みはあまりにも自由なので、曜日を間違えてしまった。
 泊まる予定の友人宅は当然留守で、夜の10時30分頃、盛岡駅前でホテル探しをしなければならなかった。ヨーロッパなら駅にインフォメーションデスクがあるが、日本は自分で探さなければならない。路地裏の小さなビジネスホテルのオーナーが、電話帳リストで片っ端から電話してくれて、八件目にやっと見つかった。その心細さは一人旅の心細さ。仕事の日より一日早く行ってしまったので、リアス式海岸の宮古市までバスで行き、浄土ヶ浜という白いギザギザの岩山の海岸に行き、遊覧船にのった。

 八月一一日から一八日まで、冬のニュージーランド。
 ひな菊の咲く、オレンジの実るゴルフ場で二回プレー。バーディーがでてヤッター。
 翌、一九日から石川県でのキミ子方式全国大会。この日のためにメキシコから駆けつけたのは中沢さん。「カニ」と「漁船」「空と海」をたっぷり描いて、今年の大会は満足した。
 来年の全国大会は福岡県阿蘇山の麓、七月三一日から三日間と決まった。阿蘇の高原で動物を描こう、高原で空と人を描こう。
 そして、来年八月後半は、ベネゼエラとコロンビアにキミ子方式を教えに行く。一緒にいくスタッフを来月号の紙面で公募する予定。その前に、私は大使館に情報集めに行く。
 今年の年末にはスペインとエジプトに行くスケッチツアーがある。
 あぁ、活動の秋がやってきた。
 
 今年一九九七年片山津でのキミ子方式全国合宿研究大会は、私にとって記念すべき一つの節目の会になった。心病む人達と街の中で一緒に暮らしたいと、食事作りで交流する小さな居場所を開いてから十年目を迎えた年だ。
 一九九〇年、霧ヶ峰高原での全国大会に初めて参加し、緊張でカチンカチンになりながら『こだわりから自由になり生活が楽しくなった』という題で、クッキングハウスでのキミ子方式の絵を描く活動を通じて、互いに分かり合い、自分らしさを取り戻していった心病む人達のことをレポート発表した。あれから今年まで毎回参加し、私自身の実践から学んだことを伝え続けてきた。一年に一回振り返り、語り、全国各地からのみなさんと友達になり、また元気をもらって活動の場に戻る、という私にとっては、ひと息つくための場になってきた。
 食事作りとキミ子方式の絵を描くプログラムとは、ふぁっと緊張がほぐれ、自然なコミュニケーションを可能にする。誰でも分かってもらいやすい。絵を描いては料理して食べ、絵をながめて語りあっていると自分のことも他人のことも愛せる心のゆとりがうまれてくるのだ。入院しないで元気になっていく人達が増えてきた。
 この小さな居場所は五年後、自然派家庭料理のレストランへと発展し、心病む人達が積極的に社会参加するきっかけになった。ダイコンやネギやサンマの絵が生き生き見える。店員の多い不思議なレストランは、ゆったりとした笑いがあふれるようになった。
 弱い立場の側の心病む人達が、健常者といわれる人達の気持ちをほっとさせ、建て前は捨てて本音で生きるのもいいものだと思わせてしまう。弱い立場の側に添っていることで、新しい文化を提案できるのではないか。この十年の活動がそのことを証明してきた。それは、キミ子方式の絵の原点〈一番ゆっくりな人に添って。絵のかけない子は私の教師〉と共通だったのだ。
 原点を確認したところでようやく私は『不思議なレストラン』の本を書くことができた。不器用な私でも、書きたいことのひと固まりずつを丁寧に書いていったら、いつの間にか四百五十枚の原稿になっていた。「誰でも本が書ける。キミ子方式の部分から隣へと描く方法と同じです。」とレポート発表で報告することができた。
 毎年、私の報告に付き合い、励まして下さり、はるばるクッキングハウスにも訪れてきて下さった各地のみなさまありがとうございます。
 さて、今年の大会は、心優しい男性スタッフが、疲れる頃に穏やかに声をかけて原義づけてくれたり、お茶や昼食の用意、運転手をして下さったお陰で、本当に幸せな気持ちに満たされて描くことも楽しめた。
 分科会の理論研究で、二十年のまとめとして「変わらぬ精神 変わってきた授業」の松本キミ子さんの歴史の振り返りが、私には良かった。
 カニの絵は六時間もかけて立派になった。イカ釣り漁船を橋立港で一日半もかけて描くことができた。穏やかな波の音を聞きながら青い海、青い空、生活の匂いのするイカ釣り漁船を描いていたあの幸福感が忘れられない。
 すっかり疲れがとれ、また私も優しさを取り戻し生き生きと働けそうだ。
 第三クッキングハウスの開設準備もできるエネルギーが沸いてきた。
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