「夢を発明した人はたいしたものだ。
夢というものは、あらゆる人間の心をくるむマントの役目だけではない。
空腹をなだめる食べ物でもあれば、渇きを追い払う水でもある。寒さを暖める火でもあるのだから」
サンチョ・パンサ
この言葉に出会った時、思わずノートに書きとめた。そして、若い頃の私を思い出してしまった。
絵を描きたいという一〇代、二〇代の私は貧しかった。毎日が空腹との戦いであった。
目の前にたった一個のリンゴがある。すぐに食べてしまいたいほど空腹だけれど、そのおいしそうな感じを絵に描いて、それから食べようと、絵を描きはじめた。ところがどうだろう、絵を描いている二時間は、絵を描くのに夢中で、すっかり空腹を忘れてしまっていた。それどころか、絵を描き終えた後、不思議な充実感で、すっかり満足していた。本物のリンゴと絵の中のリンゴと、二コにもなっている喜び。
小学校で産休補助教員をしていた時、絵を描いてもらうために〈ブドウ〉を教室に持っていった。
「たべたい! ちょうだい!」と、子ども達は大合唱になる。
「絵を描き終えたら、食べていいですよ」と言うと「ヤッター」と、うれしそうに絵を描き始める。ところが、絵を描き終えると、絵を描く満足感が食欲をこえたのか、
「食べなくてもいいです。先生食べて下さい」と、静かにもってくる子が必ずいた。
絵を描くって不思議なことだなぁーと、その子の落ちつきから想ったものだ。
こんなこともあった。
私は十九才で、北海道から東京に出て来た。東京芸大を目指したけれど、二度も落ちて、武蔵野美術学校(現、武蔵野美術大学)の補欠募集にひっかかり、やっと学校が決まった。
下宿は、学校があった吉祥寺。井の頭公園の入り口近くの陽のささない三畳間のアパートだった。
たて長の部屋に布団を敷いて、小さな座り机をおいたら、それで部屋は満杯。そんな部屋で布団の上に寝て、天井を見上げて自分に言った。
「キミ子、あなたは何がほしい?」
そして、欲しいものを絵に描くことにした。
椅子付きの机、スタンド。どんな形?どんな色?。広い部屋にソファ・・・どんなソファ? どんどん紙に描いて、壁に貼って眺めた。とても幸せだった。絵を描きながら、そのものが、ほんとうに目の前にあるような気分だった。
狭くて何もない三畳間に、希望のものたちが並び、深い満足感で眠りにつくことができた。
『百まいのきもの』文/エリノア・エスティーズ 絵/ルイス・ストボトキン(岩波書店)では、「わたし、きもの百まいもっているわ」と、主人公のワンダが言っても誰も信じてくれない。でも、ワンダは百まいのきものの絵を描いていた、という話がある。
絵とは、モノに夢をプラスしたものかもしれない。絵を見る楽しみは、モノにプラスした、作者の夢を見ているのかもしれない。
一つのリンゴと、一つのリンゴを描いた絵が目の前にあるとすると、どちらを私たちは欲しがるだろうか? 私は絵の方だ。
じっくりと、本物のそっくりに描きたい夢にこだわりたい時は、三原色の絵の具を使って、一点から隣へ隣へと描いていった方が満足するにちがいない。
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今年のゴールデンウイークは、平田ゆかりさんの「あなたに会えてよかった」展と「ペン一本で描く・身近な小物から風景スケッチまで」展を同時開催します。
平田さんの言う「あなた」とは、人ではなく〈ジャガイモ〉だったり〈ピーマン〉だ。
人ギライな彼女が「私、ジャガイモ一コしか描けない。二コも三コも描ける人がうらやましい」「モヤシ一本だけ、草花一つ、キュウリ一本描くのにヘトヘトになっちゃうの」と、片道約三時間かけて、新潟の日本海側から湯ノ谷村までやって来た。
「人に会うのがこわかった私が、キミ子方式で絵が描けるようになって、展覧会の期間中は東京に行くことになるなんて、自分でも信じられない。私にこんな行動力があるとはねー」と、先日会った時に私に話してくれた。
彼女の絵には、必ず詞が添えられている。一つのものを描き終えると「ありがとう、あなたがこの世にいてくれて」と、絵に感謝したくなるという。
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一方、「ペン一本で描く・身近な小物から風景スケッチまで」展は、ペン一本で描いた絵の作品展である。
絵の具を使って、本物そっくりに絵を描く楽しさを味わった人たちから、スケッチブックにちょこちょこっとペンだけで描けるようになりたいという声が上がった。
「そんなのは簡単よ。充実感がないと思うけど」と、一点から隣へ隣へとペンだけで描く方法を教えた。葉は生長の順に、葉柄→葉脈→そして葉のヘリの順に。動く人は、腰のあたりから上へ、そして下へ。木は根元から、木肌を描きながら上へ。
毎年、文化の日に開かれている上野公園でのスケッチの会で、参加者が描いた作品に圧倒される。
どうして、一点から隣へ隣へと描くだけでこんなに描けちゃうの?もしかしたら、手のひらサイズよりちょっと大きいスケッチブックの大きさが、安心して描きはじめられるのかなぁ?描きはじめの一点を決めて隣へ隣へと描き、線を間違えても気にせず、最期まで強引に描く。でも、どうしても気に入らなければ、ペラッとページをめくって過去を忘れられる。そして、次の真っ白な紙に、ゼロからはじめられる快感。
リンカク線の否定から生まれたキミ子方式が、リンカク線のある絵でも描けるようになったということなのだろうか?
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四月刊行予定だった『身近な小物のカットから旅のスケッチまで 描き始めの一点発見の本』の制作が遅れています。五月四日に予定していた〈出版記念パーティー〉は延期になり、かわりに〈原画展パーティー〉になります。本が出来上がるのを楽しみにしてた方々へお詫びいたします。
原画展では、これから出来上がる本の見本や制作途中も見ることでできます。そして、どの作品が掲載されるのかもわかります。ぜひ、見に来て下さい。
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