エッセイ目次
 

No125
1999年9月4日発行


NO という快感

 フランス語の時間、実力のない私は全身緊張させて、先生の質問をうける。
 「○×▽□ ○×▽□?」「エッ?」と、日本語で問い返し、先生はまた「○×▽□ ○×▽□?」。まわりの友人達の助け船もあって、どうやら
 「新しい本を出版するんだけど、あなたに挿し絵を描いてもらいたいと思うんだけど、引き受けてもらえるだろうか?」というようなことを言っているらしい。〈アセプト〉=〈受け入れる〉という単語だけは、聴きとれた。その時、私は反射的に「No」と言葉が口から飛び出していた。
 先生はもう一度、ゆっくり日本語で解説してくれながら、そのような意味であることを伝えてくれた。今度は私も自信をもって「No」と言った。だって私は「しめきりはいつ? どのくらいの量?、どんな絵?」というフランス語がわからないから、とにかく「No」と言うしかない。


 三十七歳の時だった。初めての外国、スペインへ行った。現地の語学学校に入って、毎日、ガウディの作品を見続けるのが目的だった。
 語学学校に入って、二週間もすると、なんだか私の仕事がどんどん増える。「No」と言えなかったからだ。
 良くわからないまま、いつでも、何となくニコニコしているだけだったから、クラスの雑事、友達からの頼まれ事が増えて、忙しくて、ちっとも自由になれない。
 そこで、私は堅い決意をした。
 ともかく「No」と言おう。どんなことも「No」と言って、それからゆっくり考えよう。どんなに困った友人の頼まれ事も「No」と言おう。
 翌朝、私は遅刻をして登校した。心は「No」と言うぞと堅い堅い決意をして。
 案の定、クラス会が開かれていたらしく、私が教室に入るや、友人がドッと私を取り囲み「○×▽□ ○×▽□?」口々にスペイン語でまくしたてる。
 私はゆっくり、首をふって大きく言った。
 「No!」
 「エッー?」まわりのクラスメート十三名はおどろき、がっくりしている。
 誰が何と言おうと、今日から私は安請け合いはしない。しっかり自分の意志を持ち、妥協せず、すっきり信念にそって生きよう。まわりの友人達を見渡し、落ち着いて「No」と、又、しっかり言った。
 「それは大変、キミ子!」と、私に走りよってきたのは、ドイツ人の若い女の子ケイトだった。私は彼女が好きになれなかった。ガンコ、自分のセンスが世界一だと思っている。
 いつかの授業の時、ひとつの単語をめぐって私と意見が対立した。私は「私の辞書にはこう書いてある」と、辞書を指し示したら、「その辞書が間違っている。そんなヘンな辞書捨ててしまえ」と、私の辞書を・三千円近くもする私の辞書を・教室の床にたたきつけたのだ。
 彼女の持っている辞書は、ハガキよりも小さな安価の簡単な辞書だ。若さを売り物にして、若い男の子のみに反応し、私と同じ歳の担任ガルバニーや、クラスメートのデンマーク人フォルへを、おじん、おばんと、軽蔑した顔つき、態度を遠慮なく表していた。
 辞書を床にたたきつけられて以来、私と彼女は口をきいていない。それなのに、彼女は困り果てた顔で、私に抱きつかんばかりに、何事か頼んでいる。私は落ち着いて、首を横にふる。
 「No!」
 「あー!」。彼女は頭をかかえて撤退だ。
 次のクラスメートが、又、私を取り囲む。
 「キミ子、お願いだ。キミ子、落ちつけ・、なぜNoなのだ?」
 何と言っても、今日からお人好しはやめるのだ。これ以上、わずらわしくは生きたくはない。もっと自由に、生きたいのだ。
 「No!」。私は、クラス中を眺めわたす。
 イスラエル人のモンシャが興奮して、人をくったようなギョロ目で、両手をぶんぶん振り回して、私に早口でまくしたてる。
 しかし、私は「 No、No 」〈あなたのメチャクチャなエゴイストぶりに、どんなに妥協してきたか、ふざけるんじゃない、今日限りそのおおげさな威嚇する態度に負けてなんかいられない〉と首を横にふる。
 次に大好きなスイス人のエリカが
 「私がキミ子を説得する」と、私のところに駆け寄って、私の両手をにぎり「あなたと私はずーっと仲良しだった」と語りはじめる。彼女は精神科の看護婦だ。若い彼女とは、ウマがあった。好きな絵もレンブラントで一致している。「どんなプレゼントがうれしい?」という話の時「真っ赤なバラ一本」と、意見が一致した。その彼女が
 「キミ子、落ち着いて。今ね、あなたが来るまで、クラスのみんなで話し合っていたのだけど、クラスの委員長にフォルヘ(デンマークの新聞記者)に決めたんだけど、キミ子一人が反対で、彼に決められなくて困っている。フォルヘはインテリでフェミニストで、すばらしい人格の人だ。クラス委員にふさわしいと思うけど・どうしてもダメ?」
 「えっ、何、何? クラス委員を選んでいたの? フォルヘはクラス委員長にふさわしいと私も思うけど・」
 「ヤッター! キミ子が賛成してくれた! フォルヘがクラス委員長になることを、クラス全員一致だ」
「ヤッター! キミ子ありがとう!」とクラス中に大拍手がおこった。

 とにかくNoと言おう。相手が本当に私を必要としているなら、さらにていねいに説明してくれるだろう。その時から、外国でわからない時は、ともかくNoと言う習慣を身につけた。そして、久しぶりに日本でフランス語の授業の時にやってしまった。
 ところがフランス語の先生は、別の質問を次の生徒にした。私に「なぜ、ダメなのか?」とも聞かず、ねばりもしなかった。だから、それっきりの話なのだと思っていた。
 一週間後、フランス語学校の校長から電話があり「締め切りは八月中。三十枚位の挿し絵を描いて欲しい」と依頼があった。


 私は今、その挿し絵を楽しみながら描いている。三十枚どころか、百枚近い絵だ。私は実力がないのを知っているので、文章を書いたフランス語の先生の注文に絶対に従いたいと思う。何度、やり直しを命ぜられても従おうと思う。
 絵のかけない子は私の教師と同じように、注文先が私の教師だと思っているから。そうすると、一枚の絵を描き直す度に楽しくなってくる。それにしても今、最も悩んでいることは「見て見ぬふりをする」という挿し絵のための、パリの売春婦を色っぽく描けないでいることだ。
 この本、『よくわからないフランス語』一川周史著(駿河台出版)の出版記念パーティーを十一月八日にするそうです。帝国ホテルで。

 P.S韓国で私の本がでました。


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