未来に向かって「こうしたい!!」と夢をもった後、人々はどんな行動をするのだろうか?
私はひたすら、友人・知人、隣近所に言いふらす、文章を書く。個人の夢だけで実行できることは、例えば、10年前に始めたゴルフや、4年前に始めたスイミングは、スクールに行くことで解決した。遠い外国へ旅したいという夢も、必要な経費を稼ぎだし、旅の間に仕事を入れなければ可能だ。37歳の時に実行した〈スペインのバルセロナに行き、毎日ガウディの作品を見て、スペイン語学校に入りたい〉という夢は、当時3歳、8歳、11歳の子どもがいたけれど、それまで貯えた資金があったので実行できた。
そんなわけで、私の未来への夢は、大金を必要としないものなら、きわめて楽観的である。言いふらしていると、そのうち可能性が向こうからやってくると信じている。
1996年9月、トンガ王国へキミ子方式を教えに10人のチームを組んで行ってから「次はまだ行っていない、三原色の国旗の国で絵を教えたい。ベネゼエラかコロンビアへ」と言いふらしていた。
96年12月、インドのスケッチ旅行の時に、トリバントラム空港から、ボンベイ行きの飛行機の中で知り合いになった、コロンビア人のカップルがいた。
「97年12月まではブラジルにいるけど、あなたの来る98年8月はコロンビアに戻っているから…」と住所を知らせてくれた。でも、その後は連絡しないままだ。 「親戚がベネゼエラで働いている」「姉の友人がベネゼエラに永く住んでいて、今は日本に戻っている」という情報はあったが、ベネゼエラ人やコロンビア人のお友達は言いふらして一年過ぎてもできないままだった。
旅行社のSさんが、私のベネゼエラ、コロンビア行きの話にのってくれて教えてくれた情報は「ベネゼエラはカリブ料金範囲なので渡航費も安く行けますが、コロンビアと両方の国に行くのは旅費が高い。コロンビアへの観光旅行は安全保障ができないのでやっていない。ベネゼエラは多井自然が豊かで、コロンビアのボコタは魅力的な古都。大使館へは訪問希望の英語の書類を出しておきます」。しかし、その後、何の音沙汰もない。 |
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「ベネゼエラの日本人学校の校長先生をしていた方がいます」という情報で、その方を訪ねた。その方は私の主旨を聞いてくれて「大使館に行って相談されては?」とアドバイスしてくれた。そして、大使館に電話すると、
「あなたが大使館を必要とする主旨を、スペイン語か英語にして、ファックスして下さい。日本語はダメです」ガチャンと電話は切れた。
キミコ・プラン・ドウ講師の川合京子の生徒Kさんの家に、スペイン人の上智大学生がホームステイしているという情報が入った。
さっそく彼女には、両大使館ヘ出す申請書類と、トンガへ持って行ったビラをスペイン語に翻訳してもらった。
そして8月のはじめに両大使館へファックスした。
その二、三日後のことだった。尾関さんから電話が入った。彼女とは、1995年のバルセロナ・パリのスケッチ旅行の後、私は、マラガのスペイン語学校へ行ったのだが、そこで出会った人だ。
「コロンビアに行きたいんだけど…」と言ったら「同じ職場に、三年間コロンビアに留学していた人がいるから…」と職場の電話番号を教えてくれた。ワラをもつかむ思いで訪ねて行った。そして、コロンビア訪問の希望を伝えた。「キミ子方式を教えたい」と。
「興味深いことをなさっていますね。協力できると思います。コロンビアの知人、友人に連絡します。コロンビアの大使も友達です」
これでコロンビア行きは大丈夫だと思った。
一方、大使館へ送ったファックスの返事も気になる。「訪ねたい」とベネゼエラ大使館に電話すると「あなたから送られてきたファックスには『訪ねたい』とは書いていない。訪ねたいならその主旨を英語がスペイン語で…」と前回と同じことを言う。そこでねばって、文化担当官と会わせてもらう予約をとりつけた。しかし、文化担当官は日本語はまったくダメという。
あれこれスペイン語で考えて、約束の日に大使館へ行ったけれど、スペイン語以外は話せないプレッシャーで失語症のようになった。
文化担当官は私が持って行った著書をめくり「面白そう」と言うだけ。8月のはじめにファックスと共に送っておいた私の本は「本国の大使館に送って、美術館のプログラムに組み入れられないかと助言したから、そのうち何かの返事かあるでしょう。待っていて下さい」と話してくれた。
コロンビア大使館は「文化担当者は8月いっぱいは夏休みです」ガチャン。 |
9月中旬、コロンビア大使館へ、8月はじめに送ったファックスの上に「訪ねたい」と英語で書き入れ、その日の日付も前回の日付の上に書き加えた。二度目のファックスだと印象づけるために。
何度かの電話のやりとりがあり、9月25日4時の約束をとりつけた。文化担当者は「その時にあなたの作品をお持ち下さい」との返事。「前回、著書を送ったつもりですが…」というと「念のため、又お持ち下さい」。
コロンビアの文化担当者は、M・平井という名なので、てっきり日本語を使える人だと安心していた。
ベネゼエラ大使館でのような失敗はないだろうと、緊張しないでいられた。ところが彼女と会い挨拶をすますと「スペイン語、話せますか?」と聞かれ、「ちょっとだけ」と私は答えた。すると彼女は「私もちょっとだけ日本語、主人が日本人」。結局、スペイン語、英語、日本語のミックス言葉で話し合うことになった。彼女のセンスは鋭い。
「いつ? 何名で? どこで? 誰を対象に? 何回できるか?」と具体的な質問。そして「私、絵が描けないから、この描き方はとても興味深い」「小学校でも大学でもできる。貧しい人相手の施設(?)でもぜひやってほしい。オジイチャン(この単語だけは日本語)相手もいいですね。」話はどんどん進む。
「オネエチャン(この単語も日本語)がボコタに住んでいて、小学校の先生をしているから、今夜電話してみます。返事は二週間待って下さい。大使に伝えます」「日本でも、南米の人たちが集まる会があって、様々なイベントをやっているのですが、そこでもキミ子方式をやってくれますか? 共通語はスペイン語です。」とミリアム・平井さん。
これで、コロンビア行きが決定した。
身体はコロンビアに行けないけれど、共にコロンビア行きの夢をみたい方は応援して下さい。
P.S1997年度のスケッチツアー「スペイン/アンダルチア地方」「世界遺産探訪エジプト」に、ぜひ行きましょう。このツアーは条件もなく、どなたでも参加出来ます |
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コロンビア行き、5名募集します。
1.キミ子方式をコロンビアで教えたい人。
2.スペイン語ができる人、これから学習する人。
3.98年8月15日から、約二週間時間がとれる人。
4.体力のある働き者。
5.「歌」など、絵以外のコミュニケーション可能な人。一芸を持っている人。
6.自己資金(滞在費、画材など、約15万円捻出できる人。〈旅費は当方で負担します〉
応募者は「自己アピールと、なぜコロンビアへ行きたいか」の作文(長さは自由)を書いて10月27日(月)必着で、左記までお送り下さい。
〒一五三 東京都目黒区駒場4ー7ー8 リバティハウス内
キミ子方式海外実践研究チーム 代表松本キミ子宛 |
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