エッセイ目次
 

No123
1999年7月4日発行


タイムスリップ

 六月、第四金曜日。
 「旭川空港気温16度」の飛行機のアナウンスに、「しまった夏服すぎる」と後悔したが、もう遅い。東京は28度。
 旭川空港についたら、梅雨がないはずの北海道が雨。しかも冷たい雨。
 「昨日までは信じられないくらい、あったかかったのですけどねー」と、バスの運転手さん。
 空港は丘の上にある。バスの中から見渡す、広い空、遠くつづく丘、あのなつかしい色の風景を見たとたんに、心の中のモヤモヤが一気に吹き飛ぶようだ。この感じって何なのだろう? 二十歳まで知っていた風景、私の中の原風景はこれだ、ということだけは確か。この風景に、又出会っただけでも、十分満足。


 旭川市で、夜に講座が終わって、昔の友だち二人と夕食を共にした。
 一人が「月刊・たくさんのふしぎ」(福音館・一九九九年七月号)『時をながれる川』古沢 仁・文/絵 という本をプレゼントしてくれた。
 私たちが住んでいた、北海道の炭鉱町、沼田町字浅野を流れる幌新太刀別川〈ホロニイタチガワ〉にそって見られる崖や川床から、たくさん化石がみつかったのだそうだ。その化石から古代、八〇〇万年、一五〇〇万年前のデスキスチルスという哺乳類の化石も発見された。今から八八〇〇万年前の生き物、アンモナイトも発見されたそうで「今から八八〇〇万年前の時間を旅しましょう」という絵本だった。
 「ほら、崖のあちこちに化石がいっぱいあったわよ。石炭にだってくっついていた。わたし達、無知だったから、どんどん燃やしてしまったよね」
 「私が川におちて、やっと岩のようなものにつかまって、命が助かったんだけど、その岩は、牛を頭のような形していて、そのことを家族に言っても、誰も信じてくれなくて・・・」と二人の友だち。
 その川から、貴重な化石が次々と発見されているらしい。
 私は、私の生まれたところ「太刀別」という地名が出てきたことにおどろいた。私が小学校三年生以降、地名がなくなったはずだ。
 家の裏には川が流れていて、少し上流に行くと、山側から流れる川と、隣の炭鉱町からの川が交流しているところがあった。私の夢にしばしばでてくるところだ。
 「白い川と黒い川と呼んでいたわ。白い川まで、よく友だちを引き連れて泳ぎに行ったものよ」と友だち。
 「山からのきれいな川まで洗濯に行ったわ。その川は、この絵本のどこかしらね」と昔話に盛り上がった。
 その絵本の水色にぬってあるところは、私達の小・中学校があった炭鉱町。今はダムの底だ。そこから徒歩一時間ほどのところが太刀別で、駅しかないところだった。そこで、私は生まれ、小学校二年まで過ごした。
 「絵本の中に、昔の地図も書いてくれなくっちゃね」と、私たち三人はその絵本の上に「ここが、あーだ、こーだ」と書き入れる。
 「あの川の名前を、私は太刀別川と言ってた」「幌新をホロニイではなく、ホロシンと言ってたよね」と私ともう一人。
 「いや、私はホロニよ」と別の友だち。
 「キミ子さん、旭川に来ているうちに、この太刀別川探訪に行こう。教育委員の山下氏に連絡したら案内してくれると思う」と、盛り上がった。
 その山下氏とは、高校時代に生徒会役員で、よく議論したものだ。彼とはいつも話が合わなかった。後年、その理由がわかった。彼はタテマエの人で、私はホンネの主張だったからだ。どうしてもニガテな人という意識があったが、今や地元の中学校の先生をして、土、日は、川に化石探しに行っているという。
 私の記憶の中にしか残っていないと思っていた、私の生まれた太刀別の町が、思いがけず、古代の化石発掘でにぎやかになっていた。沼や木イチゴの群生するところや、キノコのなるところ、山ブドウのたくさんとれる山は、今もかわりないのだろうか?

 翌、土曜日は晴れていた。札幌での絵の講座。そして、日曜日も晴れていた。朝の五時、思い立って宿の目の前にある北海道大学構内を散歩することにした。
 土曜日に描いた、北海道のスズメのカタビラは、二十五センチくらいもあった。それでも、小さいのを選んで描いてもらった。
 「北海道のスズメのカタビラって、腰くらいの長さがあるのよ。小さいの探してきたけど・・・。フキもイヌドリも北海道のってバカデカイものね」と主催者。
 ところが、北大へ一歩踏み入れたとたんに、十センチくらいのスズメのカタビラがあるではないか。しかも二十センチくらいのペンペン草もある。ちょっと足を伸ばして、描きやすいモデルを探してあげればよかった。日曜日の仙台教室のためにペンペン草をとった。
 北大には古い白い木造洋館があった。「古河記念堂」という名で、小さな解説板によると、古河鉱業の社長の寄付だそうだ。この古河鉱業という名は、私の住んでいた炭鉱町の二代目の会社だ。今は文学部の校舎で「旅行者立入禁止」のフダが下がっていた。
 絵を描きたくなるゴロゴロ模様のあるレンガの館も魅力的と、林のあちこちに点在する校舎を見るため林を横切っていると
 「カー! カー!」というカラスの声と共に、私の頭スレスレに、風を切ってカラスが飛ぶ。
 一度や二度なら偶然だが、ちょっとしつこい。
 小さい頃、いちご畑に母と行くと、必ずカラスが頭の上に止まり、髪の毛をかきみだし、私が泣くまでやめなかった。その時の恐怖を思い出して「あっ、カラスに襲われている」と逃げた。まわりには誰もいない早朝の大学。幸い自転車の人がやってきた。
 「助けて! カラスに襲われて・・・」
 「あー、僕も何度も襲われたよ。食べ物のそばを通ったから、取られると思ったのかもね。それかコッコ(子ども)を産んで、殺気だっているのかも。あぶないから表通りに出なさい」と忠告してくれた。
 小さい頃の時より今の方がこわかった。あの時は、母がいて、笑ってみていてくれたからだろうか。
 北大名物、ポプラ並木は「倒木の恐れあり、危険につき立ち入り禁止」と書かれていた。しかし地元らしき人は堂々とそこを散歩していた。


このページのTOPへ