エッセイ目次
 

No122
1999年6月4日発行


ショーン・マナーさんからの手紙

 四月の末日、大阪の茨木市に絵を教えに行ったときのことである。
 「キミ子さん、ショーンからことずかってきた手紙・・・」と、大阪の小学校の先生の杉山知子さんが、私に、封筒を渡した。
 杉山さんが、二度ほどキミ子方式を教えに行ったという、神戸にある、マリスト・ブラザーズ・インターナショナルスクールの封筒だ。
 杉山さんの話によると、その学校は、幼稚園から高校まで、1クラスづつのインターナショナルスクールで、学校の授業は全部英語らしい。彼女が、キミ子方式を教えにいった小学校3年生のクラスは、生徒数が20名ほどで、5、6人の日本人を含め、アジアの子が多く、特に、インド系の人が多かったそうだ。
 なぜ杉山さんが、そこの学校へ授業しに行くことになったかというと、そこのスクールの小学校3年生担当の、ショーン・マナーさんが、林 真紀さんのマンションに住んでいることが、きっかけだった。
 杉山さんと林 真紀さんは96年8月に、キミ子方式海外実践研究チームのメンバーで、トンガへ絵を教えに行った仲間である。
 林 真紀さんは、彼女のマンションに住む、ショーンにキミ子方式の本を紹介し、話をしたら、とても興味をしめしてくれて、是非、杉山さんに、自分のクラスに〈絵を教えに来て欲しい〉と頼んだそうだ。
 一昨年、杉山さんと林さんは、オーストリアへ英語研修旅行に行った折にも、ヌーサのテワンテインステートスクールという公立小学校で、キミ子方式で「色づくり」の授業をした。


 杉山さんが、マリスト・インターナショナルスクールへ絵を教えにいく前に、林 真紀さんのマンションに3人が集まって、ショーンから英語を習いながら、彼女に絵を実際に描いてもらったそうだ。そのことがあったので、実際の生徒相手の授業のときもスムーズに流れたそうだ。
 2回目の「もやし」の授業のときは、元中学校の英語の先生で、キミ子方式の仲間の木村 泉さんも一緒に絵を教えに行った。
 「そこの学校の子供たちは、とっても可愛いの。お行儀が良いの。『手は膝に』と担任の先生がいうと、きちっとするのよ。日本の学校の子供と何かが違うのよね。『他人に迷惑をかけない』『自己の責任に於いて』というところが徹底しているように思う」と木村 泉さん。
 「ショーンはね、キミ子方式に惚れちゃって、すごいのよ」と杉山さん。
 さて、喜びいさんで開けた封筒には、七枚の写真と、英語の手紙が入っていた。
 「キミ子さん、元気ですか? あなたはわたしのことを知らないと思いますが、私はショーン マレーです。私は最近、フィリピンに家を建てるボランティアに行ってきました。そのときに、キミコメソッドを教えました。キミコメソッドは林さんと杉山さんから教わったのです。
 ここに、フィリピンへ行ったいくつかの写真があります。本当にありがとう、あなたの才能が他の人たちに教えられて。私はほんとうに、あなたのメソッドをたのしんでいます。これからもわたしは、私の人生の最良のものとして、それを使っていきたいと思います。ショーン マレーより」

 大阪、滋賀、広島と、旅仕事を終えて東京に戻ってきた私は、あらためてその写真を見て、わからないことがあったのでショーンに電話をした。
 「家を建てに、フィリピンに行ったっていうのは、どういうこと?」と私が聞いたら「ハビタット.・フォヒユウマニテイ」という、世界中の貧しい人たちのために家を建てるボランティア団体の行いだそうだ。ショーンの学校から、教師六名、高校生五名の十一人でパランニアケ市へ家を建てに行ってきたとのこと。
 絵を教えたところは、マニラのトップラサンセンターという、七歳から、十八歳までのホームレスの男の子三十名が入っている施設です。ブラザーさんが建てた施設です。写真の中で、眼鏡をかけている、アジア系の男性はそこの施設の教師です。彼が、原地語のタガログ語に通訳をしてくれたので、とっても助かったそうです。
 「キミコメソッドは本当に楽しい、こどもたちもとっても喜んでくれました。ありがとうキミコさん。いつか、ぜひ、おめにかかりたいです。」となめらかな日本語が電話の向こうで、はずんだ。


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