「宮沢賢治が好きです」と言うのが、なんだかはずかしかった。賢治ファンが多すぎてあまりにも多数派支持のようで、表だって言えないところがある。
でも、私は宮沢賢治の詩を、何日かに一回は必ずつぶやく。玄米をマスではかって、鍋に入れる時である。
「一日玄米四合と、味噌と少しの野菜をたべ・・・」と〈雨ニモマケズ・・・〉の詩の一部を口ずさみ、
「賢治さん、一日に玄米四合は多すぎるんじゃない? そうそう、玄米には味噌と少しの野菜で十分。」と、どんなに急いでいる時でも、独り言が口について出る。
玄米と白米のちがいに気づいていなかった、今から二十五年ほど前は、清貧の人=宮沢賢治だと思っていたが、玄米の威力を知った今では、彼は満ち足りた食事をしていたのがわかる。「いや、玄米を食べ過ぎよ」と思ってしまう。
宮沢賢治の評論集『謝々』王 敏(河出書房新社)を送ってもらった。その本の作者は中国人で「日本人はなぜもっと宮沢賢治から学ばないのか」と疑問符を投げかけていた。久しぶりに、じっくり自分の目で、もう一度彼の本を読みたくなった。
長旅に出る時、大好きな本をもって旅立つクセがあった。あの旅にはあの本と、私には旅と本がセットになっていることが多い。
四十歳で、二十年一緒に暮らした人と別れて家を出る時『オズボーンコレクション』を自分の車にのせた。
一九六五年、はじめての子の出産のため入院する時、私は宮沢賢治集の文庫本をもって病院に行った。
何といっても、気に入っているのは「どんぐりと山猫」だ。
・・・おかしなはがきが、ある土曜日の夕方、一郎のうちにきました。 「かねた一郎さま 九月十九日
あなたは、ごきげんよろしいほで、けっこです。
あした、めんどなさいばんをしますから、おいでんなさい。どびどぐもたないでくなさい。 山ねこ 拝」
こんなはじまりだ。ここを読んだだけでもワクワクしてしまう。
その、めんどうな裁判〈どんぐりの中で、誰が一番えらいか〉の争いをおさめるために、一郎裁判官がとった解決の仕方が、あっとおどろく。
「このなかで、いちばんえらくなくて、ばかで、めちゃくちゃで、てんでなっていなくて、あたまのつぶれたようなやつがいちばんえらいのだ」
どんぐりは、しいんとしてしまいました。それはそれはしいんとして、座ってしまいました。・・・
私は自分の生まれた息子の名前を、自信をもって、一郎という名前にした。
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誰でも絵が描けるキミ子方式を考える十年も前のできごとなのに、物事の解決方法に「どんぐりと山猫」を借りていることが多いように思う。
すべての人が楽しく登山するためには、一番体力のない人の歩調に合わせればいい、というのもそうだ。
〈何が良いことか、悪いことか判断できない時は、とりあえず少数派につこう。少数派についたら、ずーっとそのことを考えないわけには行かなくなるから〉という発想も、たぶん影響を受けているのかもしれない。
誰でも絵が描ける方法を探している時に、クラスの中で一番できないと言われている人に焦点を合わせて、その人ができるための方法を見つけようという発想も、どんぐりと山猫的だ。
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八月五日に、新刊『モデルの発見』(仮説社)が発売された。
「なぜ、キミ子方式はもやしを描くのか?」「なぜ、イカなのか?」そこに行き着くために、どんな子ども達と出逢い、どんなドラマが繰り広げられたかを書きつづった本だ。(B6版 一九二頁 定価一九〇〇円・税別)
月刊『たのしい授業』に連載されていたものが、まとまったのだけど、まとめてみて、はっきりわかったことは、あとがきにも書いたけれど、私が発見したのは、絵のモデルというより〈それを描く人間のすばらしさ〉だったのかもしれない。
人々はどのモデルを描いている時に、集中し、楽しそうにするか? よいモデルとは、思わず人を集中させてしまうモデル。そのモデルにたちむかう人々の喜びの日々をつづった本だ。
絵のモデルのことを書いたつもりが、実は絵を描く人間を見つめていたこと、私の喜びは、絵を描いた人がよろこんでくれること。絵を教えるとは、人をよろこばせること、感激を共にすること。
〈日本の、一番えらくなくて、ばかで、めちゃくちゃな子が発見した絵の描き方が、今では、世界中の人々に絵を描く楽しみを伝えている〉と、一九九八年に、三原色の国旗の国、コロンビアの大学で講演中に気づいて、ゆかいな心境になった。
そのコロンビアに行き、幼児から八〇代の人、約七〇〇人近い人々に絵を描いて楽しんでもらった。その時の記録集もまとまった。(カラー写真入り、一五〇〇円)
七月末には、私がニュージーランドで書いた英文の旅日記「ニース・イタリア」も刊行した。一時期に三冊もの本が出たことになる。(英語好きな方、ぜひ、読んで下さい 一冊五〇〇円)
『カット・スケッチの描き方』の本も、あと一歩。ほとんどできあがっている。八月中には、仮説社から刊行される予定です。(A5版 一九二頁 定価一九〇〇円・税別)おたのしみに。
二十歳の頃、花巻の宮沢賢治記念館に行った時、彼が書いた「作物出来高予想表」の横に、鉛筆文字で小さく「とれすぎても、おどろかないこと」という意味のメモがあって、思わずニヤリとしてしまった。
来年はチャド国へ絵を教えに行きたいと思っています。「うまくいきすぎても、びっくりしないこと」と、メモしたいが、とてもとてもそんな心境にはなれない。
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